<岩屋寺、大石閑居跡>
大石内蔵助良雄は元禄14年6月赤穂を立ち、京都・山科に隠栖します。この地を選んだのは当地出身の赤穂藩士進藤源四郎の縁故により,土地を手に入れることができたからで家屋を新築して住み始めます。閑居跡は山科区岩屋寺のなかにあります。京都市山科区というと場所がよく分からなかったのですが、山科区といっても京都市内の中心街からはかなり遠く、新幹線で京都へ行かれた方はわかるとおもいますが、新幹線京都駅手前にトンネルがあり、そのトンネル手前が山科区となります。岩屋寺はトンネル手前左側になります。下記の地図を参照してください。大石内蔵助良雄が住んだ家は残っていませんが、その住いの古材で建てられたのが左の写真の茶室です。討入り後,邸宅,田畑など一切の財産を岩屋寺に寄進しています。岩屋寺には赤穂義士にちなんだ数々の遺物・遺品が保存され,一般に公開されています。
★左の写真は大石内蔵助良雄が岩屋寺に寄進した茶室です。閑居跡はこの茶室の場所ではなくて、参道手前の右側になるそうです。
★左の写真は岩屋寺に入る所です。場所が分かりにくくて苦労しました。路が狭くて、こんな所にあるのかと思うほどの場所でした。
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