赤穂浪士たちの討ち入り直前を巡ります。
その他の地区の紹介は下記の1〜7の項目、もしくは下記の地図から選択してください。

1.元禄忠臣蔵散歩 2.赤穂散歩 3.京都山科散歩 4.討ち入り 直前散歩 
5.本所から永代橋散歩 6.永代橋から泉岳寺散歩 7.忠臣蔵ゆかりの地散歩
 

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最終更新日:2006年3月26日


●東京全体の忠臣蔵関連地図です。赤い道筋は討ち入り後の泉岳寺までの道筋です。
このページでは吉良邸の移り変わり、討ち入り直前の浪士宅を歩きます。

地図をクリックしてください。その他の紹介ページにリンクします。


<忠臣蔵年表>

和 暦

西暦

忠  臣  蔵  年  表

元禄14年
1701

3月14日 浅野内匠頭長矩、松之廊下において肝煎高家吉良上野介義央に刃傷に及ぶ
夕刻、城地没収のうえ切腹仰せ付けられる
3月19日 急使赤穂着
4月11日 赤穂城開城を決定
6月25日 大石内蔵助良雄、赤穂城下を撤去し京都山科に隠栖
8月19日 吉良上野介義央、呉服橋門内から本所一ツ目回向院裏に屋敷替え
元禄15年
1702

1月11日 第一回山科会議
4月15日 大石内蔵助良雄、妻子を離別
8月1日 大石内蔵助良雄、山科閉居を引き上げ、四条河原町梅林庵に仮寓
10月7日 大石内蔵助良雄、京都を立つ
10月26日 川崎平間村の軽部宅に仮寓
11月5日 大石内蔵助一行、日本橋石町公事宿小山屋に逗留
1703
2月14日 浅野内匠頭の夫人瑶泉院に暇乞いに伺う(南部坂 雪の別れ)


吉良上野介義央呉服橋屋敷跡>

 吉良上野介が本所一ツ目の回向院裏に屋敷替えを命ぜられるまえの屋敷があったのが呉服橋です。元々は
鍛冶橋に屋敷があったのですが火災で延焼し元禄11年(1698)呉服橋に移っています。回向院裏に屋敷替えしたのが元禄14年(1701)ですから、約3年間呉服橋に住んでいたことになります。浅野内匠頭と吉良上野介が勅使接待の件でもめた接待所が伝奏屋敷なのですが、この伝奏屋敷跡が現在の日本工業クラブビルの所です。

左の写真は新日本製鐵本社前の永代通りに立てられている呉服橋跡の記念碑です。吉良上野介の屋敷は呉服橋の門内ですので、現在の第一鉄鋼ビルから東京駅に近いJRのビル辺りとおもわれます。


小山屋弥兵衛店跡>

 元禄15年(1702)11月5日、大石蔵之助は12月の討ち入りを前にして江戸に到着、大石主税が既に宿泊していた日本橋の小山屋裏店に垣見五郎兵衛の偽名で宿泊します。大石蔵之助は小山屋に討ち入り直前の12月14日まで39日間逗留します。

右の写真が石町三丁目、現在の日本橋本町4丁目1番辺り、江戸通りから一筋入った裏通りです。本によっては日本橋本町4丁目15番地ともありますが、石町三丁目だと4丁目1番辺りが正解とおもわれます。


富岡八幡宮>

 深川一帯の開拓に手腕を発揮した京の高僧・長盛上人が、寛永元年(1624)八幡大菩薩のお告げによりこの地に勧請したと伝えられています。地域の鎮守であり、深川八幡ともよばれています。毎年8月15日の八幡祭は、水をかけあう豪快な神輿の練りが人気で、江戸の昔から山王祭、神田祭とともに三大祭に数えられています(八幡祭のかわりに三社祭を数える説もあり)。 富岡八幡宮の前の茶屋に、内蔵助をはじめ赤穂浪土の総勢が集まったのは、12月2日です。茶屋には適当に言いつくろって、一同は長い時間をかけて各自がもつ情報について話しあい、討ち入りに関する細かい取り決めを行いました。毛利小平太が、吉良家に入りこんで調べた様子を細かく伝え、堀部安兵衛は、吉良家辺りを中心にして両国界隈の地理を、実際に測った数字にもとづいて話したそうです。(「元禄を紀行する」より)

左の写真は富岡八幡宮の正面参道です。前の通りが永代通りです。浪士が集まったのは、富岡八幡宮前の茶屋なのですが、昔の雰囲気があるのは深川不動尊の参道の方ではないかとおもいます。


前原伊助宅跡>

 前原伊助は米屋五兵衛と名乗って吉良邸を見張るため吉良邸裏門近くの家を借ります。そこに数人の浪士たちが住み込み、かなり細かく吉良邸の動きを調べます。討ち入りの集合場所にも使われたという説もあります。

右の写真の右側が相生町二丁目、現在の両国2丁目3番地付近です。


堀部安兵衛宅跡>

 堀部安兵衛が移り住んでいたのが本所林町五丁目、現在の立川3丁目15番地付近です(杉野十平次宅も直ぐ隣の徳右衛門町一丁目、現在の立川3丁目16番地辺りに移り住んでいました)。立川付近は江戸時代から区画があまり変わっておらず、そのままです。討ち入り当日の集合場所については、本によって少しづつ違いますが、林町五丁目の堀部安兵衛宅に集まったのはたしかなようです。13日から降りだした雪の中を八つ(午前2時)に浪士たちはここ堀部安兵衛宅集まります。そして七つ(八つとの説もある)、吉良邸に向かって出発します。

左の写真の左側が所林町五丁目、現在の立川3丁目15番地付近です。ここから吉良邸までは約1Km弱ですから、歩くと約15分ほどだとおもいます。

堀部安兵衛宅などに集合した浪士たちは七つ(午前4時)に吉良邸に向かって出発します。討ち入りからは「忠臣蔵 本所から永代橋散歩」で、紹介しています。

<参考図書>
 歴史と文化の散歩道:東京都生活文化局コミュニティ文化局観光レクリエーション課
 元禄忠臣蔵データファイル:元禄忠臣蔵の会、新人物往来社
 元禄を紀行する(忠臣蔵22景):津川安男、新人物往来社
 忠臣蔵百科:泉秀樹、講談社
 元禄繚乱:元禄繚乱展図録編集委員会
 江東辞典(史跡編):江東区総務部広報課
 史跡をたずねて:江東区総務部広報課
 
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