【討ち入りの道のり】(「元禄を紀行する」を参照)
<集合>
元禄15年(1703) の暮れは例年にない寒さに見舞われています。十三日から降り続いた雪は翌日十四日(現在の15日)の未明にようやくやみましたが、夜半には霜が降り、非常に寒い日でした。集合時間は、八ツ刻(午前二時)、林町の堀部安兵衛宅と本所三ツ目横丁の杉野十平次宅、そして吉良邸裏門斜向かいにあった前原伊助・神崎与五郎宅の三カ所がその集合場所でした。内蔵助や小野寺十内ら数人の浪士たちは、まず本所・回向院に 近い矢之倉米沢町の堀部弥兵衛宅へ集まりました。弥兵衛宅ではその妻と娘(安兵衛の妻)が一同を出迎え、歓待したといわれています。内蔵助らが弥兵衝宅を出たのは九ツ刻(午前零時)を過ぎたころになったようです。そして集合場所へ向かい、討入りの身支度をととのえ、各自の武器を携えた浪土たちは、七ツ刻(午前四時)に吉良邸へ向かいました。一説によると、この時刻を八ツ刻と記したものもあるが、十内や寺坂吉右衛門らの記録には七ツ刻で一致していています。四十七土全員が、吉良邸近くのうどん屋・久兵衛方、あるいはそば屋・楠屋重兵衛方に集まり、腹ごしら えをしたあとで討入り装束に着替えたという説もあります。そして吉良邸前で前原伊助宅の数人の同志と合流し、表門組と裏門組とに分かれて討入ったのでした。
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