●忠臣蔵めぐり (軽部五兵衛屋敷跡) 2000年12月14日 V01L01
元禄十五年(1702)の暮れは例年にない寒さに見舞われています。十三日から降り続いた雪は翌日十四日の未明にようやく止んでいます。集合時間は八ツ刻(午前二時)、討入りの身支度をととのえ、各自の武器を携えた浪土たちは、七ツ刻(午前四時)に吉良邸へ向かいました。と、14日未明に赤穂浪士の討ち入りがあった訳ですが、今回は討ち入りから少し逆上って、大石内蔵助が江戸に下る途中に立ち寄った所を訪ねてみました。
<軽部五兵衛屋敷跡> NHKの”元禄忠臣蔵”でも放映された川崎市幸区の”軽部五兵衛屋敷跡”です。もともと軽部五兵衛は浅野家江戸屋敷の出入り農民(苗字帯刀を許されている)で、赤穂浪士の援助者として知られています。大石蔵之助が江戸へ入る直前に泊まったのが軽部五兵衛屋敷で、元禄15年(1702)10月26日から11月5日まで滞在し、この時に上杉の刺客に襲われたことになっています。
★右の写真は軽部五兵衛屋敷跡の前に建っています赤穂浪士縁の称名寺です。軽部五兵衛寄進の赤穂浪士の遺品等があります。屋敷跡はこの前に建っています住宅供給公社の団地の中にありました。 軽部五兵衛屋敷跡:神奈川県川崎市幸区平間 |