西 暦
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和 暦
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年 表
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愛新覚羅浩さんの足跡
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1868 明治元年 |
江戸時代 |
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正親町三条家の京都での住まいは京都御所の東隣りで、現在は三条実萬公、三条実美公を祭る梨木神社となっています。
嵯峨家(正親町三条家)の菩提寺は京都嵯峨野、二尊院です。 |
1869 |
明治2年 |
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東京に転居 外桜田伊予松山藩久松邸 |
1870 |
明治3年 |
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呉服橋内松本藩戸田邸 |
1871 |
明治4年 |
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浜町麻生藩新庄邸
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1872 |
明治5年〜 |
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下谷二長町一番地対馬宗邸 下谷二長町五十二番地(現台東区台東一丁目二番)韶子内親王の養育にともない、増地されり一万坪の敷地になったと思われます。関東大震災で屋敷は焼失しています。 |
1914 |
大正3年3月16日 |
第一次世界大戦始まる |
嵯峨侯爵家の嵯峨実勝(さねとう)さんと尚子(ひさこ)さんの長女として誕生
(日本橋区矢ノ倉町十番地) |
1921 |
大正12年 |
関東大震災 |
九段靖国神社の裏 |
1929 |
昭和4年3月 |
世界大恐慌
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愛新覚羅溥傑氏日本留学、(杉並区天沼1-252武田秀三宅) |
1930 |
昭和5、6年頃 |
ロンドン軍縮会議 満州事変
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嵯峨家の杉並区大宮の土地は、明治四十四年以前に嵯峨家が購入していたようです。昭和十六年八月の公勝氏死去により、味の素社長鈴木忠治さんに売却されています。また、実勝氏は、大正初めのご結婚に伴って独立し、のちに赤坂区氷川町十番(現港区赤坂6丁目5番地)に住居を移されています。太平洋戦争により、疎開のため横浜の日吉に家財も赤坂から半分移し、移動しています。昭和二十年の大空襲で赤坂の家が焼失した後は、横浜市港北区日吉に移られています。嵯峨公勝侯爵邸(杉並区大宮1557番地)は現在は杉並区立郷土資料館が建っています。 |
1931 |
昭和6年9月 |
満州事変勃発 |
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1932 |
昭和7年3月1日 |
満州国建国 |
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1933 |
昭和8年9月 |
ナチス政権誕生 国際連盟脱退
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溥傑氏陸軍士官学校本科入学 |
1934 |
昭和9年3月 |
愛新覚羅溥儀氏 皇帝に即位 |
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1935 |
昭和10年7月 |
第1回芥川賞、直木賞 |
溥傑氏陸軍士官学校本科卒業見習い士官として歩兵第59連隊へ入隊 |
1936 |
昭和11年11月 |
2.26事件 |
本庄大将よりお見合いの話あり 溥傑氏30歳(7歳年上) |
1937 |
昭和12年2月6日 昭和12年4月3日 昭和12年4月 昭和12年9月 |
蘆溝橋で日中両軍衝突 |
駐日満州国大使館(芝桜田町)謝大使から婚約発表 結婚式:式場は軍人会館(現在の九段会館)
稲毛海岸で居を構える 満州国に帰国 浩さんは10月12日帰国 |
1938 |
昭和13年2月26日 |
愛染かつら封切り 日本軍が武漢三鎮を占領
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長女、慧生さん生まれる(満州、新京) |
1939 |
昭和14年4月 昭和14年10月 |
ノモンハン事件 ドイツ軍ポーランド進撃 |
駐日大使館武官室勤務となり日本に戻る(牛込、若松町)
溥傑氏奉天に戻る |
1940 |
昭和15年3月18日 |
北部仏印進駐 日独伊三国同盟 |
次女、 生さん生まれる(東京、順天堂医院) |
1941 |
昭和16年12月 |
真珠湾攻撃、太平洋戦争始まる |
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1943 |
昭和18年12月 |
ガダルカナル島撤退 |
溥傑さん陸軍大学校入学のため再び日本に戻る(麻布狸穴) |
1944 |
昭和19年12月 |
マリアナ海戦敗北 東条内閣総辞職 レイテ沖海戦 神風特攻隊出撃 |
溥傑さん陸軍大学校卒業、東京大空襲にあう |
1945 |
昭和20年2月
昭和20年8月10日 昭和20年8月14日 |
ソ連参戦 ポツダム宣言受諾 |
生さんをつれて新京へ戻る。慧生さんは嵯峨家にあづける。(日吉)
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1947 |
昭和22年1月10日 |
織田作之助死去
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浩さん 生さんと共に日本へ戻る |
1949 |
昭和24年10月 |
中華人民共和国成立 |
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1950 |
昭和25年6月 |
朝鮮戦争始まる |
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1957 |
昭和32年12月10日 |
コカコーラの日本での販売開始 |
慧生さん、天城山に死す |
1961 |
昭和36年5月11日 |
加山雄三の若大将シリーズ ベルリンの壁
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浩さん溥傑氏の所へ(中国) |
1968 |
昭和43年5月 |
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生さん福永さんと結婚される |
1974 |
昭和49年12月 |
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溥傑夫妻、日本に里帰り |
1980 |
昭和55年10月 |
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溥傑夫妻、日本に里帰り |
1987 |
昭和62年6月20日 昭和62年12月12日 |
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浩さん、北京にて死す(享年73歳) 愛新覚羅溥傑氏納骨のため来日 |
1988 |
昭和63年1月17日 |
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中山神社愛新覚羅社に納骨 |