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最終更新日:2006年3月21日

京都市右京区嵯峨小倉山の二尊院(嵯峨家墓所)を紹介します。


●愛新覚羅浩さんの足跡をたどり、京都市右京区嵯峨小倉山にあります嵯峨家の菩提寺、二尊院を訪ねてきました。東京から新幹線ひかりで2時間36分、京都駅が問題の新ビルになってから初めての訪問です。嵯峨野線(山陰線)に乗り換えようと京都駅の中を右往左往しました。なかなか見つからず、陸橋と地下道をそれそれ一回づづ歩いてしまいました。結局新ビル側の大阪よりに32・33番線をやっと見つけることが出来ました。(左写真が嵯峨野線乗場です)電車は4両編成で一時間に3本位出ていました。普通は四条大宮から京福電鉄で嵐山まで行くのですが、荷物もあり乗り継ぎがやりやすいJR一本でいく事にしていました。線路は単線で、各駅で上り下りで待ち合わせをしながらで、途中太秦の映画村も通って行きました。時間があればゆっくり見てきたかったのですが残念です。

sagaarashiyama1-w.jpg 嵯峨嵐山駅で下車して駅前のロータリーに出ると、例のごとくタクシー乗場とトロッコ列車の乗場がありました。嵐山の周辺は京福電鉄の嵐山駅の方が渡月橋もあり、土産物屋さんも多くて繁華街です。JRの嵯峨嵐山駅の方は商店もまばらです。とにかく二尊院に行くのが目的なので、コストミニマムでタクシーには乗らずレンタサイクルでいく事にしました。(2時間500円)レンタサイクル屋さんで貰った地図を見ながらひたすら二尊院に向かってこいでいきました。山道の中、少々道も間違いましたが10分位で無事に二尊院の正面にたどり着きました。(右の写真がJRの嵯峨嵐山駅です)

nisonin1-w.jpg<小倉山 二尊院>
  二尊院は本尊に釈迦如来と阿弥陀如来(重文)を祀ってあるところからこの名で呼ばれておりますが、「小倉山二尊教院華台寺」 というのが本当の名前です。現在は天台宗延暦寺(比叡山)に属しています。嵯峨天皇(809〜823)の勅願によって慈覚大師が承和年間(834〜847)に開山し、鎌倉初期には円光大師(法然上人)がここに居を定め、当時の貴顕の信望を集めました。のち、土御門、後嵯峨、亀山三天皇の分骨を境内に納め、三帝陵として明治維新までは勅使の参拝がありました。また、黒戸四ヶ院の一寺で明治維新迄御所の御内悌殿のお守りをして居り、宮中でのお彿事を勤めました。応仁の乱(1467〜1477)によって堂宇伽藍が全焼しましたが、本堂・唐門のみ約30年後再建されました。本堂「二尊院」の勅額(後奈良天皇)、唐門「小倉山」の勅額(後柏原天皇) は、この時に下賜されたものです。総門は慶長18年(1613)、豪商角倉氏の寄進によるもの。また、山中にある「時雨亭」は藤原定家卿が百人一首を選定した場所として名高く、茶室「御園亭」は後水尾天皇(1611〜1629)の第五皇女、賀子内親王の御化粧間であったものを元禄10年に下賜されたもので、狩野永徳筆の腰張りがあります。(左の写真は二尊院の正面です)

、二尊院の本堂前庭は、その昔この地に龍女が住み、正信上人によって解脱昇天した故事をもとに「龍神遊行の庭」 と申し、また、本堂南側の石庭は浄土の世界をあらわしたものとして「寂光園」と名づけられています。
嵯峨家のお墓へ行こうと思って二尊院の入口で御浄財(500円)を払ってお墓の場所を聞くと、どうも要領をえません。正親町三条家と言ってもよく分からないみたいでした。京都の人も・・・・ ですね。しかたがないのでパンフレットを見ながら探す事にしました。二尊院はもともと御所と繫がりが深く、二条家、三条家、四条家、鷹司家等のお墓の場所がパンフレットに書き込まれています。残念ながら嵯峨家(正親町三条家)はパンフレットの中には見つかりませんでした。しかたがないのて馬場(右の写真です、下から手前へ登ってきます、紅葉の季節には絶景ではないでしょうか、秋にもう一回見てみたいです。)から本堂を通って嵯峨家のお墓を探す事にしました。本堂の右に在る階段(ものすごく急で、段数がかなりありました)を登ぼりつめるとお堂があり、その右に立派な嵯峨家の墓所がありました。(左下の写真です)

<嵯峨家墓所>
 慧生の二十三回忌で二尊院墓参
  「からくにと 大和のくにがむすばれて 永久に幸あれ 千代に八千代に」
 昭和53年(1978)8月、日中平和友好条約が成立したとき、今は亡き愛新覚羅浩がわが身を顧みて、心からその喜びを和歌に詠んだ。昭和55(1980)年12月4日。小倉百人一首で知られている京都郊外嵯峨野の小倉山の山懐に抱かれた二尊院は、正親町三条、つまり嵯峨家三十代にわたる菩提寺である。 愛娘慧生の二十三回忌の法要のために帰国した薄傑・浩夫妻、次女樗生の墓参を映像に収めるため、テレビ取材のカメラクルーは一足早く二尊院に到着した。急勾配の山道に散在する墓地には、歴史に登場する名家の墓も随所に見られる。良子皇太后の妹君が嫁がれた三条西家や、江戸時代の大阪の豪商角倉了以の苔むした墓もある。最近では陛下の姉上故鷹司和子の墓所も作られている。その中腹に一際目立つ近代的なしつらえの納骨堂が、嵯峨家の墓所である。墓が立派に修復されているということは、その家が栄えているという証ではないだろうか。
(愛新覚羅浩の生涯:渡辺みどり 文春文庫より)

<参考図書>
二尊院パンフレット
愛新覚羅浩の生涯:渡辺みどり 文春文庫

<参拝順路> 地図
●京福電鉄 嵐山駅下車 徒歩20分 タクシー5分
●嵯峨野線(山陰線)嵯峨嵐山駅下車 徒歩 20分

●バス 京都バス嵯峨小学校から徒歩15分
●住所 京都市右京区嵯峨小倉山 ?Z 075-861-0687

●左の写真は納骨堂の正面の表札です。(『嵯峨家 旧姓正親町三条家』と書かれていました)

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