今週は先々週の「トキワ荘」に引き続いて、漫画特集の第二弾として「手塚治虫の東京を歩く」を掲載します。以前も書きましたが今年(2003年)4月には鉄腕アトムが誕生します(手塚治虫の鉄腕アトムのお話は2003年4月のアトム誕生から始まります)。
<手塚治虫> 手塚治虫は昭和3年(1928)11月3日、大阪府豊中市で手塚ゆたか、文子の長男として誕生します。兵庫県宝塚市に転居後、昭和10年(1935) 大阪府立池田師範付属小学校(現大阪教育大学付属池田小学校)に入学、中学校は昭和16年(1941)大阪府立北野中学校(現北野高校)に入学しています。小学校、中学校とも昔からのエリート校(現在でも進学校です)ですので、手塚治虫自身かなり恵まれた環境で生まれ育ったようです。戦時中のため旧制北野中学を4年で繰り上げ卒業(旧制中学は5年制)し、昭和20年(1945)7月1日大阪大学付属医学専門部に入学します(現大阪大学医学部)、この頃には勤労動員ではなくて通年動員となり、学校へはいかずに毎日工場へ通います。昭和21年(1946)デビュー作の4コママンガ「マアチャンの日記帳」の連載が『少国民新聞(のちの毎日小学生新聞)関西版』で始まります。昭和26年(1951)大阪大学医学部を無事卒業、「アトム大使」を『少年』に連載を始めます。翌年から脇役だったアトムが主人公となって「鉄腕アトム」として長期連載されることになります。出版社が東京のため昭和27年(1952)東京に転居、新宿区四谷の八百屋の二階に下宿します。
この頃の手塚治虫については「トキワ荘実録」によると「初めてお目にかかる手塚先生は、逆卵形の顔にトレードマークのベレー帽をのせ、丸っこい鼻に度の強い丸めがねをかけているところは似顔絵そのままだけれど、かなり背が高くて若々しい青年というのが第一印象。めがねの奥には人なつっこい目がのぞいていて、にこやかに出迎えてくれました。ベレー帽はふだん室内にいるときでもかぶっているので、うっとうしくはないんだろうかと、ひとごとながら気になったものです。……その日の帰り道、先輩はきびしいことを言います。先生は、原稿ができたら連絡すると言うだろうが、それまでのんべんだらりと待っていたらとんでもないことになる、絶対に目を離すな、と言う。なにしろ「神没鬼没の手塚」といわれたくらいで、ほとんどどこにいるのか居所が分からないんだそうです。…」、と表現しています。手塚治虫自身はかなり自由人だったようなので、原稿の締めよりも映画などの好きなことがあればそちらを優先してしまうようです。そのため出版社から見ると「神没鬼没の手塚」になっていたのでしょう、うまくいったものです。
※手塚治虫の大阪については別途特集したいとおもいます。
★左の写真は兵庫県宝塚市にあります宝塚市立手塚治虫記念館です。阪急宝塚駅から宝塚歌劇場横を通って歩いて約10分位です。大阪駅からは少し遠いのですが、時間があれば見ていただければとおもいます。
|