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最終更新日:2006年4月22日


●「番町皿屋敷」  初版2000年7月15日 <V01L01>

 そろそろ梅雨も明けて、もうすぐ8月、蚊取線香の香り(金鳥がいい)が恋しくなる季節ですね。浴衣をきて花火を見ながらビールを飲みだすと気になるのは怪談話です。今週は怪談話の第二話として「番町皿屋敷」を取り上げてみました。

 「お皿がいちま〜い、にま〜い、さんま〜い、よんま〜い、・・・・ きゅ〜まい」で九枚まで数えて、一枚たらないのが発覚するわけです。『お菊さんは青山主膳が大事にしていた十枚そろいの皿を1枚割ってしまった。すると青山主膳はそのことでお菊さんを惨殺し井戸に放り込んだため、夜毎その井戸にお菊さんの幽霊が出て、皿を数え、9枚まで数えて「1枚足りない」と恨めしそうに言う』、のが「番町皿屋敷」の怪談のストーリーですね。お菊さんは平塚宿役人真壁源右衛門の娘で、行儀作法見習のため江戸の旗本青山主膳方に奉公をさせていた時に惨殺されたそうです。(左の写真は現在のJR平塚駅です)

皿屋敷のお菊さんのお話は岡本綺堂の「番町皿屋敷」[大正5年(1916)]が有名ですが、一番最初に上演されたのは播州姫路になります。享保5年(1720)京都榊山四郎十郎座の歌舞伎狂言で、この物語が「播州評判錦皿九枚館」で上演された記録があり、寛保元年(1741)7月には大阪の豊竹座で初演された浄瑠璃「播州皿屋敷」がたいへんヒットして、定番の怪談となりたようです。江戸の番町を舞台にした最初の上演作品は、宝暦8年(1758)馬場文耕の「皿屋敷弁疑録」で、その後、明和2年(1765)江戸市村座の歌舞伎「女夫星逢夜小町」(めおとぼしあうよこまち)で評判になりました。明治16年(1883)には市村座は河竹黙阿弥作で新解釈を入れた「新皿屋敷月雨暈」(つきのあまがさ)を上演しています。

<各地の皿屋敷伝説>
・番町皿屋敷
上記のお話です。

・播州皿屋敷
播州姫路で、お家乗っ取りを企む青山鉄山一味は、その悪るだくみを忠臣船瀬三平の妻お菊さんに立ち聞かれてしまいました。そのことから、お菊が御家から預かっていた皿を1枚隠し、責任を負わせて殺害し、死体を井戸に投げ込んでしまいます。そうするとお菊さんの怨霊が毎夜井戸に出てきて青山鉄山一味を懲らしめたそうです。

・尼崎のお菊
摂州尼崎の城主青山播磨守の部下に喜多玄番という武士がいました。喜多玄番の妻喜多が玄番と侍女のお菊さんとの関係を嫉妬し、お菊さんが準備した食事に針を混ぜたそうです。喜多玄番は針が出てきたことに怒り、お菊さんを井戸に投げ込んで殺害してしまいました。その後玄番の家には様々な凶事が発生し、名跡も断絶してしまったとのことです。

<お菊さんのお墓>
 JR平塚駅を北口側に降りて、ロータリーを左側に折れて、梅屋の横を通り少し歩くと長崎屋の角にでます。少し歩いて最初の角を左に曲がると右側に「お菊塚」がある公園があります。(右上の写真がお菊塚です)戦前はこの付近が墓地で菊女の墓もここにあったようですが、昭和27年(1952)秋、戦災復興の区画整理移転により現在の立野町晴雲寺の真壁家墓地に移動されています。(左の写真が晴雲寺です)

・東京都杉並区永福町の栖岸院(すうがんいん)にも番町皿屋敷でおなじみのお菊の墓があるそうです。
・東京都台東区西浅草の本然寺に「お菊稲荷」があるそうです。(両方とも訪問してみましたが、よく分からなくて不明です)

<落語の皿屋敷>
幽霊見物に行った者たちは、お菊さんが9枚まで皿を数えてしまうのを聞いてしまうと祟りがあるというので、8枚まで聞いたところで逃げ出すようにしていました。ところがある夜、幽霊見物に来た者が8枚まで聞いたところで逃げ出す途中で転んでしまい、「9枚」という声を聞いてしまったのです。これはたいへんなことになったと恐れおののいたのですが、どういう訳か今日のお菊さんは9枚では終わらなかったのです。10枚、11枚と数え、とうとう18枚まで数えてしまいました。「お菊さん、なんで18枚まで数えたの?」「はい。明日休みますので2日分です」、丁度お時間となりました。

平塚駅付近地図


【参考文献】
・東京のお寺神社謎とき散歩:岸乃青柳 廣済堂出版
・歴史と旅 江戸東京歴史ウォーク(3/10 増刊):秋田書店

【交通のご案内】
・お菊塚:JR東海道線「平塚駅」下車 徒歩10分位
・晴雲寺:JR東海道線「平塚駅」下車 徒歩20分位

【見学について】
・お菊塚:神奈川県平塚市立野町
・晴雲寺:神奈川県平塚市紅谷町15


●「東海道四谷怪談」  初版2000年7月8日 <V01L01>

 そろそろ梅雨も明けて、もうすぐ8月、蚊取線香の香り(金鳥がいい)が恋しくなる季節ですね。浴衣をきて花火を見ながらビールを飲みだすと気になるのは怪談話です。今週は怪談話の第一話として「東海道四谷怪談」を取り上げてみました。

oiwainari1-w.jpg 「その夜のうちに、伊藤の家で伊右衛門はお梅と祝言をあげるが、初夜の床で、お梅の顔を見ると・・・」これは皆様よくご存じ、『東海道四谷怪談』のお岩さんが毒薬で酷い姿になり殺されたあと、殺した旦那の伊右衛門が、なにも知らないお梅さんと祝言を挙げた後の場面です。講談や映画で、「お梅さんがゆっくりとふり返る場面」は肝っ玉が冷えてしまいますね。暑い夏はやっぱり怪談話が最高です。文政8年(1825)7月、三世尾上菊五郎のお岩、七世市川団十郎の伊右衛門,五世松本幸四郎の直助という配役で,『東海道四谷怪談』が江戸・中村座で初演されました。江戸に暮らす浪人,民谷伊右衛門の妻お岩が毒を盛られ,見るも無惨な容貌に変わり果てて憤死した後、不実な夫に祟るという、よく知られた怪談話です。(四世鶴屋南北の作です)(左の写真と右下の写真は、新宿区四谷左門町に向かい合わせに立つ「於岩稲荷田宮神社」「於岩稲荷陽運寺」で、怪談ものを扱う芸能関係者が必ずお参りに訪れる名所です。講談師の四谷怪談が恐怖を盛り上げてくれるはずです!)

oiwainari2-w.jpg<田宮(於岩)稲荷神社(新宿区四谷左門町)【都指定旧跡】>
江戸時代後期の歌舞伎脚本作者、四代目鶴屋南北が書いた『東南道四谷怪談』で有名な民谷伊右衛門(実は田宮伊左衛門)の妻お岩をまつった「お岩稲荷神社」の旧地です。物語は上記の通りですが、これは全くの作り話で、幕府の御家人田宮又左衛門の娘お岩さんは、養子伊左衛門の貞淑な妻であり、美人で働き者で、代々家に伝わる稲荷を篤く信仰していたといわれています。このお岩さんにあやかろうとしてお岩稲荷の信仰が盛んになり、それからは「於岩稲荷」「四谷稲荷」「左門町稲荷」などと呼ばれ、家内安全、無病息災、商売繁盛、開運、さらに悪事や災難除けの神としてますます江戸の人気を集めるようになっていました。明治5年ごろに田宮稲荷と改めましたが、同12年の火災で類焼し、翌年、下記の中央区新川に移りました。現在は再建され飛地境内社として、お岩稲荷の旧地を守っています。


oiwainari3-w.jpg<田宮(於岩)稲荷神社(中央区新川)>
 『東海道四谷怪談』を演じては天下一といわれた市川左団次から、「四谷まで毎度出かけていくのでは遠すぎる。是非とも新富座などの芝居小屋のそばに移転してほしい」という要望があり、明治12年(1879)の四谷左門町の火災で類焼したのを機会に、中央区新川あった田宮家の屋敷内に移転しています。それが左の写真の於岩稲荷神社」で、四谷の於岩稲荷とまったく同じ神社です。しかしながら新川の社殿は昭和20年(1945)の戦災で焼失しましたが、戦後、四谷の於岩稲荷とともに復活して、現在は二つの「於岩稲荷神社」があります。新川の方は地味でなかなか場所が分かりませんでした。

<東海道四谷怪談>
 鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の初演は上記でも述べましたが初演は文政8年(1826)の七月です。この初演では、二日間に幾つかの幕を「仮名手本忠臣蔵」(討ち入りは1702/12です)と交互に上演されるという方法で上演されました。この「東海道四谷怪談」「仮名手本忠臣蔵」は表裏一体で同時に進む歌舞伎のお話として作られた訳です。この表裏一体の理由は「お岩さん」を殺す夫である民谷伊右衛門は、塩谷家(赤穂藩)の元家臣でありながら、義士として討ち入りに加わらず、いわば不義士の裏面として作られているわけです。歌舞伎でも映画でも見せ場となる有名な「戸板返し」という場面ですが、お岩さんと不義の濡れ衣を着せられた小平というものを戸板の裏表にして縛って川に流すと、後で化けて出て裏表に返ってそれぞれが伊右衛門に怨みを言うわけです。歌舞伎ではここで一人二役を演じて客を驚かします。この初演は大成功で48日間の長期興行となりました。翌年は「いろは仮名四谷怪談」として上方で再演されています。ところが、初演の後は、「東海道四谷怪談」「仮名手本忠臣蔵」は別々の話として成り立っていきます。最新の映画である深作欣二監督の「忠臣蔵外伝・四谷怪談」ではまた一体となってきました。

<妙行寺 お岩さんのお墓>
創建は寛永元年(1624)明治42年(1909)に四谷より移転(昔は於岩稲荷田宮神社も含めてみんな近くにありました)、法華宗。「東海道四谷怪談」のお岩さんの墓があり、現在も芸能関係者を初め、塔姿を建て替えて熱心にお祈りすると願いがかなえられるいわれていることから、多くの参拝者が訪れています。(左下の写真の塔が妙行寺の門前に立てられています)

  今回の散歩道は四谷左門町、中央区新川、豊島区西巣鴨と三カ所に分かれていますので、皆様の近い神社に行かれたらいいと思います。

四谷左門町地区付近地図


新川地区付近地図


西巣鴨地区付近地図

oiwainari5-w.jpg【参考文献】
・新宿区の文化財史跡(東部篇):新宿区立新宿歴史博物館
・東京のお寺神社謎とき散歩:岸乃青柳 廣済堂出版
・豊島の散歩道:財団法人豊島区街づくり公社
・歴史と旅 江戸東京歴史ウォーク(3/10 増刊):秋田書店

【交通のご案内】
・於岩稲荷田宮神社/於岩稲荷陽運寺:営団丸ノ内線「四谷三丁目駅」下車 徒歩10分位
・新川、於岩稲荷田宮神社:営団日比谷線「八丁堀駅」下車 徒歩10分位 
・妙行寺:都営三田線「西巣鴨」下車  徒歩10分位

【見学について】
・於岩稲荷田宮神社/於岩稲荷陽運寺:東京都新宿区左門町17
・新川、於岩稲荷田宮神社:東京都中央区新川2-25-13
・妙行寺:東京都豊島区西巣鴨4-8-28

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