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最終更新日:2018年06月07日


●村上春樹の「風の歌を聴け」を歩く
  初版2005年8月8日 

  第一話 8月8日 第二話 8月10日、第三話 8月15日、第四話 8月20日、第五話 8月26日、おまけ話 8月28日 掲載
二版2005年10月4日 「風の歌を聴け」DVDの写真を掲載
三版2006年6月7日 
<V01L02> 「ハイウェイバス」について修正

 8月8日から26日までの間、村上春樹の「風の歌を聴け」を掲載します。1981年に大森一樹監督で映画化された「風の歌を聴け」が9月にDVD化されるのを記念して歩いてみました。



<風の歌を聴け>
「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。」、と同じように2005年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わりたいとおもいます。「「完壁な文章などといったものは存在しない。完壁な絶望が存在しないようにね。」 僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向ってそう言った。僕がその木当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完壁な文章なんて存在しない、と。しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。…」、「風の歌を聴け」の書き出しです。神宮球場で「僕は小説を書けると悟った」のが昭和53年で、翌年には「風の歌を聴け」で第23回群像新人文学賞を受賞しています。この頃の文章には迫力がありますね。若さが何もかもを押し倒して行ったという感じです。

左上の写真は村上春樹の[風の歌を聴け」講談社版です。表紙に「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」、と書かれていますが、なんでしょうね…‥??

序にもう一つ、デレク・ハートフィールドの本、読んだことあります?…英語版も‥??
デレク・ハートフィールドについて特集しました(2006/05/28)。

小説としては、最高ですね、いまでもこの本はどのように読んだらいいのか、分かりません。

<DVD>
 今回は1981年に大森一樹監督で映画化された「風の歌を聴け」が9月にDVD化されるのを記念して、映画のロケ地を歩いてみました。原作とは少し違いますが、8月の神戸を思い切り歩きました。暑かった!!

右の写真は2005年9月に発売された[風の歌を聴け」のDVDです。

「風の歌を聴け」の神戸地図


【第一話】
初版2005年8月8日 三版2006年6月7日 <V01L01> 「ハイウェイバス」について修正

<ハイウェイバスについて> 2006年6月7日 「ハイウェイバス」について修正
 この物語は1970年8月8日に始まり26日に終わります。主人公の僕はハイウェイバスに乗って東京と神戸を往復するわけです。しかし、本の最後に夜行バスのキップを買ったとしか書かれていません。何処から帰ってきて何処に戻るとも書かれていません。!「…僕は夜行バスの切符を買い、待合所のベンチに座ってずっと街の灯を眺めていた。…」。でも、僕がいる所が神戸であることは読者の皆さんが知っていることです。では1970年8月のハイウェイバス時刻表(時刻表の右端は名古屋行です)を見ることにします。残念ながら1970年には東京から神戸までのハイウエイバスはありませんでした。当初は東京から名古屋、京都、大阪便しかなかったのです。東京から神戸までのドリーム号が新設されたのは翌年の昭和46年4月でした(大阪までハイウェイバスで来て三ノ宮まで国電なら可能ですが!!)。

左の写真が1970年8月の国鉄監修「交通公社の時刻表」です。

<東京駅ハイウェイバス乗り場>
 原作では書かれていませんが、大森一樹監督で映画化された「風の歌を聴け」では最初に出てくる場面です。小林薫演じる”僕”が、神戸に帰るため東京駅のハイウェイバス乗り場に行く場面です。階段を上がり、ハイウェイバスのキップ売場に向かいます。1975年7月の時刻表では東京駅-神戸間のドリーム号は21時40分発の一本のみで、三宮着が7時5分となっていました(上記に書かれている通り1970年8月には神戸行きのハイウエイバスは無かった)。

左上の写真が映画に登場する階段です。この階段を登り、左手に向かい、すぐに右に曲がるとハイウェイバスのキップ売場です。現在のハイウェイバス乗り場の写真も掲載しておきます。

神戸、三宮駅ハイウェイバス降り場>
この場面も原作には書かれていません(東京に帰る場面は書かれている)。東京からのハイウェイバスが明け方到着します(7時過ぎに)。到着する場所が当時のハイウェイバスの停留所でした。銀行の前なんですね。写真は映画と全く同じ構図で撮影しました。地震のため、周りの建物が変わってしまっています。

右の写真が当時のハイウェイバスの停留所、三宮駅前のそごうの隣の中央三井信託銀行前です。当時は三井信託銀行だったとおもいます。

ジェイズ・バー>
映画では神戸に着くとすぐに「ジェイズ・バー」に向かいます。映画での「ジェイズ・バー」は三宮駅の山側にある{HALF TIME」というお店を使っています。お店にはピンボールも置かれており、イメージ的にはピッタリです(私も何回か…)。「…「ジェイズ・バー」のカウンターには煙草の脂で変色した一枚の版画がかかっていて、どうしようもなく退屈した時など僕は何時間も飽きもせずにその絵を眺めつづけた。まるでロールシャハ・テストにでも使われそうなその図柄は、僕には向いあって座った二匹の線色の猿が空気の抜けかけた二つのテニス・ボールを投げあっているように見えた。 僕がバーテンのジェイにそう言うと、彼はしばらくじっとそれを眺めてから、そう言えばそうだね、と気のなさそうに言った。「何を象徴してるのかな?」僕はそう訊ねてみた。「左の猿があんたで、右のがあたしだね。あたしがビール瓶を投げると、あんたが代金を投げてよこす。僕は感心してビールを飲んだ。…」。しかしながら村上春樹の書いた「ジェイズ・バー」はここではないようです。芦屋川の業平橋に近いビルのなかにあったお店ではないかと言われています。そのお店は現在は場所も経営者も変わってしまっています。

左の写真が映画で撮影に使われた「ジェイズ・バー」の「HALF TIME」です。中は映画で使われたそのままです。


【第二話】 2005年8月10日 <V01L04>
<フィアット 500L>
 「風の歌を聴け」では、僕と鼠が乗る車が登場します。原作では、「…僕が鼠と初めて出会ったのは3年前の春のことだった。それは僕たちが大学に入った年で、2人ともずいぶん酔払っていた。だからいったいどんな事情で僕たちが朝の4時過ぎに鼠の黒塗りのフィアット600に乗り合わせるような羽目になったのか、まるで記憶がない。共通の友人でもいたのだろう。…」、と、”黒塗りのフィアット600”が書かれています。この車は原作では猿の檻の公園に飛び込んで壊れてしまいます。映画で登場するのもフィアットでしたが、赤いフィアット500Lでした(映画の画面で確認しました)。映画で撮影された車は赤いフィアット500Lとなっています。

左上の写真はフィアット500Fのミニカーを撮影したものです。映画に登場した赤いフィアット500Lは1968年に登場したフィアット500Fの豪華版です。FとLの大きな違いはボンネット前のエンブレムとバンパーです(Lは小さいエンブレムです。赤いフィアット500Lが無かったためFで撮影しました)。

西宮球場>
映画でフィアット500Lがひっくり返ってしまう場面は、西宮球場前で撮影されています。「…僕は車の屋根によじのぼり、天窓から運転席をのぞきこんだ。…… 鼠はエンジンを切り、ダッシュボードの上の煙草の箱をポケットにつっこんでから、おもむろに僕の手をつかんで革の屋根によじのぼった。僕たちはフィアットの屋根に並んで腰を下ろしたまま、白み始めた空を見上げ、黙って何本か煙草を吸った。…」。原作とはひっくり返ってしまう場所が違いますが、イメージは同じように描かれていました。西宮球場のネオンサインが映画では綺麗に撮影されており、印象的でした。


左上の写真が旧西宮球場です。阪急西宮北口駅のすぐ横で、交通の便がよかったのですが、なにせ阪急ブレーブスの本拠地で、阪神タイガースに比べて人気がイマイチでした。(写真はタイガース歴史研究室ホームページよりお借りしました) VGAへは拡大しません。

右の写真が現在の西宮球場前です。西宮球場は既に取り壊されています。映画では、フィアット500が手前から走ってきてひっくり返る所です。この写真の先辺りで撮影されています。

猿の檻のある公園(「春樹の芦屋を歩く」で掲載ずみ)>
 原作では黒いフィアット600がひっくり返ってしまう場所は”猿の檻の公園”でした。「…とにかく供たちは泥酔して、おまけに速度計の針は80キロを指していた。そんなわけで、僕たちが景気よく公園の垣根を突き破り、つつじの植込みを踏み倒し、石柱に思い切り車をぶっつけた上に怪我ひとつ無かったというのは、まさに僥倖というより他なかった。僕がショックから醒め、壊れたドアを蹴とばして外に出ると、フィアットのボンネット・カバーは10メートルばかり先の猿の檻の前にまで吹き飛び、車の鼻先はちょうど石柱の形にへこんで、突然眠りから叩き起こされた猿たちはひどく腹を立てていた。…」。なんで”猿の檻の公園”なんだろうとおもわれるでしょうが、少し前まで実在した公園なのです(春樹ファンは良くご存じですね!!)。

左上の写真が”猿の檻の公園”です。この公園は村上春樹が高校時代を過ごした芦屋の打出図書館のすぐ傍にあります。残念ながらお猿さんはもうおりません。


【第三話】 2005年8月15日 <V01L04>
彼女の家(1)>
 僕は「ジェイズ・バー」の洗面所の床に転がっていた彼女を見つけます。そして彼女の家まで送っていきます。「…喉の乾きのためだろう、僕が目覚めたのは朝の6時前だった。他人の家で目覚めると、いつも別の体に別の魂をむりやり詰めこまれてしまったような感じがする。やっとの思いで狭いベッドから立ちあがり、ドアの横にある簡単な流し台で馬のように水を何杯か続けざまに飲んでからベッドに戻った。開け放した窓からはほんのわずかに海が見える。…」。原作では、彼女の家は港の見えるアパートというかんじなのですが!

左上の写真が映画のロケに使われた彼女の家(アパート?)です。写真のビル2F右側が彼女の部屋として使われています。映画では部屋の中からビルの前にある異人館を映しています(正面の異人館はシュウエケ邸、左側は門邸)。場所は神戸、北野の異人館通りの西の端です。何か、神戸の観光案内映画みたいです。

彼女の家(2)>
彼女は急いで家を出てバイト先に向かいます。「…彼女は力なく肯いてから起き上がり、そのまま壁にもたれかかって一息に水を飲み干した。「ずいぶん飲んだ?」 「かなりね。僕なら死んでる。」 「死にそうよ。」 彼女は、枕もとの煙草を手に取って火を点けると、溜息と一緒に煙を吐き出し、突然マッチ棒を開いた窓から港にむかって放り投げた。…… 「もう行かなくっちゃ。」 「何処に?」 「仕事よ。」 彼女は吐き捨てるようにそう言うと、よろめきながらベッドから立ち上がった。僕はベッドの端に腰を下ろしたまま、彼女が顔を洗い、髪にブラシをかけるのを意味もなくずっと眺めていた。…」。この場面では原作と映画のストーリーがかなり一致しています。

右の写真が上記ビルの裏手になります。彼女と僕は写真の階段を降りて外に出ていきます。そして、坂道を下って、ビルの前に停めてある赤いフィアットに向かいます。

彼女の家(3)>
彼女の家の前に僕は赤いフィアットを停めていました。「…僕がフロント・グラスのほこりをティッシュ・ペーパーで拭き取っている間、彼女は疑わしそうに車のまわりをゆっくり歩いて一周してから、ボンネットに白ペンキで大きく措かれた牛の顔をしばらくじっと眺めた。牛は大きな鼻輪をつけ、口に白いバラを一輪くあえて笑っていた。ひどく下卑な笑い方だった。「あなたが措いたの?」 「いゃ、前の持ち主さ。」 「何故牛の絵なんて措いたのかしら?」 「さあね。」と僕は言った。彼女は二歩後ろに下り、もう一度牛の絵を眺め、それからしゃべり過ぎたことを後悔するかのように口をつぐんで車に乗った。…」。映画では彼女の家の前にフィアットを停めていたのですが、原作では少し離れた川沿いの道にフィアットを停めたことになっています。やっぱり村上春樹は芦屋川付近をイメージしていたとおもいます。

左上の写真がビルの上から撮影したものです。映画では右側に赤いフィアットが停まっていました(映画の構図と同じです)。この後、映像は上に振られて、ビルの前の異人館、を映しながら港の風景となります。

神戸 大丸前>
 僕は彼女をバイト先の近くまで送っていきます。「…車の中はひどく暑く、港に着くまで彼女は一言もロをきかずにタオルで流れ落ちる汗を拭き続けながら、ひっきりなしに煙草を吸った。火を点けて三口ばかり吸うと、フィルターについた口紅を点検するようにじっと眺めてからそれを車の灰皿に押し込み、そして次の煙草に火を点けた。…… 車を下りる時、彼女は何も言わずに千円札を一枚バックミラーの後ろにねじこんでいった。…」。神戸の夏は本当に暑い!!

右の写真が映画で彼女を降ろした神戸大丸前です。彼女の家からトアロードに入って真っ直ぐ港に向かえば神戸大丸前です。丁度このあたりに赤いフィアットを停めて彼女を降ろします。正面は元町商店街の入り口です。彼女のバイト先があります。朝早く写真を撮ったので、誰もいませんね。


【第四話】 2005年8月20日 <V01L02>
ホットケーキにコーラ>
 僕の友達の鼠が好きな”ホットケーキにコーラ”を実際に食べられるのかと おもい、試してみました 。「…鼠の好物は焼きたてのホット・ケーキである。彼はそれを深い皿に何枚か重ね、ナイフできちんと4つに切り、その上にコカ・コーラを1瓶注ぎかける。僕が初めて鼠の家を訪れた時、彼は5月のゃわらかな日ざしの下にテーブルを持ち出して、その不気味な食物を胃の中に流しこんでいる最中だった。「この食い物の優れた点は、」と鼠は僕に言った。「食事と飲み物が一体化していることだ。」…」。ホットケーキはホットケーキで、コーラはコーラでした。二つの味が融合するのかとおもい、楽しみにして食べたのですが…‥!!

左上の写真がjホットケーキにコーラをかけてみた写真です。ホットケーキは日清ホットケーキミックス、卵は地養卵(一個40円)、牛乳は小岩井低脂肪牛乳を使っています(材料は最高ですね!)。コカコーラよりもペプシだったのかもしれませんね!!

芦屋の高級マンション>
今日は神戸を離れて芦屋の街を歩きます。神戸よりも山と海の間が狭い街ですが、山の手は高級住宅街です。「…街について話す。僕が生まれ、育ち、そして初めて女の子と寝た街である。前は海、後ろは山、隣りには巨大な港街がある。ほんの小さな街だ。港からの帰り、国道を車で飛ばす時には煙草は吸わないことにしている。マッチをすり終るころには車はもう街を通りすぎているからだ。人口は7万と少し。この数字は5年後にも殆んど変わることはあるまい。その大抵は庭のついた二階建ての家に住み、自動車を所有し、少なからざる家は自動車を2台所有している。この数字は僕の好い加減な想像ではなく、市役所の統計課が年度末にきちんと発表したものである。二階建ての家というところが良い。鼠は三階建ての家に住んでおり、屋上には温室までついている。斜面をくりぬいた地下はガレージになっていて、父親のベンツと鼠のトライアンフTRIIIが仲良く並んでいる。…」。この街は芦屋ですね。村上春樹が中学、高校時代を過ごした街です(詳しくは「村上春樹の芦屋を歩く」を参照)。芦屋はベンツの所有率が日本一だと聞いたことがあります。人口は平成17年で91千人です。

右上の写真が映画で登場する芦屋の高級マンションです。地震のため建て直されていますので、映画のマンションとは少しちがいますが。場所は全く同じです。映画ではこの路に赤いフィアットを停めたり、芦屋川の傍の路をフィアットがユーターンする場面があります。ユーターンする場面は傍のマンションの上部階から撮影したようです。

プール>
僕は鼠と二人でプールにいきます。「…翌日、僕は鼠を誘って山の手にあるホテルのプールにでかけた。夏も終りかけていたし、交通の不便なせいもあって、プールには10人ほどの客しかいなかった。そしてその半分は泳ぎよりは日光浴に夢中になっているアメリカ人の泊り客だった。旧華族の別邸を改築したホテルには芝生を敷きつめた立派な庭があり、プールと母屋を隔てているバラの垣根つたいに小高くなった丘に上ると、眼下に海と港と街がくっきりと見下ろせた。僕と鼠は25メートル・プールを競争して何度か往復してからデッキ・チェアに並んで座り、冷たいコーラを飲んだ。僕が呼吸を撃見てから煙草を一服する間、鼠はたった一人で気持ち良さそうに泳ぎ続けているアメリカ人の少女をぽんやりと眺めていた。…」。映画では芦屋市の中腹にある芦屋市営プールで撮影しています。原作では高級ホテルとなっていますが、芦屋には適当なホテルはなさそうです。

左上の写真が芦屋市営プールです。駐車場は台数が限られているため何時も満車ですが、プール自体は空いています。写真のプールの上部付近に撮影に使われたマンションが映っています。映画とアングルは少し違いますが、情景は同じです。

芦屋のテニスコート>
 鼠が「ジェイズ・バー」に彼女を連れてくるというので、僕は2時まで時間を潰します。「…僕は山の手特有の曲りくねった道をしばらく回ってから、川に沿って海に下り、川口近くで車を下りて川で足を冷やした。テニス・コートではよく日焼けした女の子が二人、白い帽子をかぶりサングラスをかけたままボールを打ち合っていた。日差しは午後になって急激に強まり、ラケットを振るたびに彼女たちの汗はコートに飛び散った。僕は5分ばかりそれを眺めてから車に戻り、シートを倒して目を閉じ、しばらく波の音に混じったそのポールを打ち合う音をぼんやりと聞き続けた。徽かな南風の運んでくる海の香りと焼けたアスファルトの匂いが、僕に昔の夏を想い出させた。女の子の肌のぬくもり、古いロックン・ロール、洗濯したばかりのボタン・ダウン・シャツ、プールの更衣室で契った煙草の匂い、徴かな予感、みんないつ果てるともない甘い夏の夢だった。そしてある年の夏(いつだったろう?)、夢は二度と戻っては来なかった。…」。原作と映画では全く同じ場所を使っています。このテニスコートは昔からあり、現在もあります。

右上の写真が芦屋川脇のテニスコートです。映画ではこのテニスコートの向こう側に赤いフィアットを停めています。原作ではこの後「ジェイズ・バー」にいきますので、「ジェイズ・バー」はテニスコートの近くだとわかります。当時、村上春樹が通っていたとおもわれるバーがあったビルの写真を掲載しておきます。

26日に話は終わります。第五話は2〜3日後に掲載します。


「風の歌を聴け」の芦屋、西宮地図


【第五話】 2005年8月26日 <V01L01>
<ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」
 村上春樹の小説には必ず音楽の曲名が登場します。クラッシックからポピュラー、ジャズまで様々です。でも、登場するのは、かっこいい曲名ばかりです。「…7時15分に電話のベルが鳴った。僕は居間の藤椅子に横になって、権ビールを飲みながらひっきりなしにチーズ・クラッカーをつまんでいる最中だった。「やあ、こんばんは。こちらラジオN・E・Bのポップス・テレフォン・リクエスト。ラジオ聴いててくれたかい?」 …… 「実はね、君にリクエスト曲をプレゼントした女の子が……ムッ……いるわけなんだ。誰だかわかるかい?」 「いいえ。」 「リクエスト曲はビーチ・ボーイズの(カリフォルニア・ガールズ)、なつかしい曲だね。どうだい、これで見当はついた?」 僕はしばらく考えてから、全然わからないと言った。「ん……、困ったね。もし当たれば君に特製のTシャツが送られることになってるんだ。思い出してくれよ。」 僕はもう一度考えてみた。今度はほんの少しではあるけれど記憶の片隅に何かがひっかかっているのが感じられた。「カリフォルニア・ガールズ……ビーチ・ボーイズ……、どう思い出した?」 「そういえば5年ばかり前にクラスの女の子にそんなレコードを借りたことがあるな。」 「どんな女の子?」 「修学旅行の時に落としたコンタクト・レンズを捜してあげて、そのお礼にレコードを貸してくれたんだ。」 「コンタクト・レンズねえ……、ところでレコードはちゃんと返した?」 「いや、失くしちゃったんです。」 「そりゃまずいよ。買ってでも返した方がいい。女の子に貸しは作っても……ムッ……借りは作るなってね、わかるだろ?」 …」。「風の歌を聴け」の中でしばしば登場する曲名がビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」です。古い曲ですが、何時聞いてもいい曲です。ここで登場する「ラジオN・E・Bのポップス・テレフォン・リクエスト」はラジオ関西で昔人気があった電話リクエストのことではないかとおもいます。N・E・Bは何の略なのでしょうか?

左上の写真がビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」が入っている「SUMMER DAYS」です。当然、CDのジャケットです(当時はLP)。

神戸の港>
映画ではしばしば僕が神戸の港を歩きます 。「…翌日の朝、僕はその真新しいチクチクするTシャツを着てしばらく港の辺りをあてもなく散歩してから、目についた小さなレコード店のドアを開けた。…」。原作ではこれきりなのですが、映画ではかなり長い時間、撮影されています。

右上の写真の所が僕が歩いた所です。場所的には大丸から港に向かって歩いた所にあるメリケン波止場です。地震で周りの風景は変わってしまっていますが、バイパスの鉄の柱だけは変わっていません。

レコード店>
僕は港から繁華街のレコード屋に向かいます。「…目についた小さなレコード店のドアを開けた。店には客の姿はなく、店の女の子が一人でカウンターに座り、うんざりした顔で伝票をチェックしながら罐コーラを飲んでいるだけだった。僕はしばらくレコード棚を眺めてから、突然彼女に見覚えがあることに気づいた。一週間前に洗面所に寝転がっていた小指のない女の子だ。やあ、と僕は言った。彼女は少し驚いて僕の顔を眺め、Tシャツを眺め、それから残りのコーラを飲み干した。「何故ここで働いてるってわかったの?」彼女はあきらめたようにそう言った。「偶然さ。レコードを買いにきたんだ。」 「どんな?」 「(カリフォルニア・ガールズ)の入ったビーチ・ボーイズのLP。」 彼女は疑り深そう鱒肯いてから立ち上がってレコード棚まで大股で歩き、よく訓練された犬のようにレコードを抱えて帰ってきた。「これでいいのね。」 僕は肯いて、ポケットに手をつっこんだまま店の中をぐるりと見回した。「それからベートーベンのピアノ・コンチェルトの3番。」 彼女は黙って、今度は2枚のLPを持って戻ってきた。「グレン・グールドとバックハウス、どちらがいいの?」 「グレン・グールド。」  彼女は1枚をカウンターに置き、1枚をもとに戻した。「他には?」 「(ギャル・イン・キャリコ)の入ったマイルス・デイビス。」 今度は少し余分に時間がかかりたが、彼女はやはりレコードを抱えて戻ってきた。…」。当時、神戸で大きなレコード屋といえばここです。元町商店街のYAMAHA神戸店です。ここしかありませんでした。映画でもこのお店を使っています。

左上の写真が元町商店街のYAMAHA神戸店です。ここでレコードを買うわけですが、原作ではビーチ・ボーイズの「SUMMER DAYS」、ベートーベンの「ピアノ・コンチェルトの3番」、マイルス・デイビスの「ザ・ミュージングス・オブ・マイルス」の三枚なのですが、映画ではもう一枚増えています。

交通事故現場>
 僕と鼠が喫茶店で話していると、店の前で人身事故がおこります。原作ではありませんので映画のみの場面です。

右の写真のところで人身事故が起こります。この場所は関西学院大学の正門前の道です。向うからきたフォルクスワーゲンと人がぶつかります。その他の場面でも学校構内の場面があるのですが、一部は神戸高校をつかっています。その他も関西学院大学かとおもったのですが、そうでもないようです。

六甲教会(YWCA?) >
僕は彼女と待ち合わせします。原作ではYWCA、映画では六甲教会となります。「…電話のベルが鳴った。「帰ったわ。」と彼女が言った。「会いたいな。」 「今出られる?」 「もちろん。」 「5時にYWCAの門の前で。」 「YWCAで何してる?」 「フランス語会話。」 「フランス語会話?」 「OUI。」 …… 彼女が門から出てきたのは5時を少し過ぎる頃だった。彼女はラコステのピンクのポロシャツと白い綿のミニ・スカートをはき、髪を後で束ねて眼鏡をかけていた。一週間ばかりの間に彼女は三歳くらいは老けこんでいた。髪型と眼鏡のせいかもしれない。「ひどい雨だったわ。」助手席に乗り込むなり彼女はそう言って、神経質そうにスカートの裾を直した。「濡れた?」 「少しね。」 僕は後の座席から、プール以来置きっ放しになっていたビーチ・タオルを取って彼女に手渡した。彼女はそれで顔の汗を拭き、髪を何度か拭ってから僕に返した。「降り出した時は近くでコーヒー飲んでたの。まるで洪水だったわ。」 「でもおかげで涼しくはなったよ。」 「そうね。」 …」。ここでも僕は赤いフィアットで向かいにいきます。

左上の写真が六甲教会です。阪急神戸線六甲駅から少し山側に歩いた所です。原作では神戸の三宮駅近くのYWCAに彼女を迎えにいったことになっていました。

ハイウェイバス乗り場>
 映画の最後の場面です。「…僕は夜行バスの切符を買い、待合所のベンチに座ってずっと街の灯を眺めていた。夜が更けるにつれて灯は消え始め、最後には街灯とネオンの灯だけが残った。遠い汽笛が徴かな海風を運んでくる。バスの入口には二人の乗務員が両脇に立って切符と座席番号をチェックしていた。僕が切符を渡すと、彼は「21番のチャイナ」と言った。「チャイナ?」 「そう、21番のC席、頭文字ですよ。Aはアメリカ、Bはブラジル、Cはチャイナ、Dはデンマーク。こいつが聞き違えると困るんでね。」 彼はそう言って座席表をチェックしている相棒を指さした。僕は肯いてバスに乗り込み、21番のC席に座ってまだ暖かいフライド・ポテトを食べた。あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。…」。原作と映画で、ほぼ同じでした。

右上の写真のバスの停留所の所が当時ハイウェイバスが出発していた所です(到着した場所の反対側です)。22時20分、東京行ドリーム号が出発します(上記に書かれている通り1970年8月には神戸から東京行きのハイウエイバスは無かった)。

26日に話は終わりました。終わったはずなのですが!


【おまけのお話です】 2005年8月28日 <V01L02>
山陽新幹線 「新神戸駅」
 村上春樹の原作には登場しませんが、大森一樹監督の映画では鼠が彼女を送っていく場面で新神戸駅が映されています。鼠が彼女とふたりで座っていたベンチが写真のところです。正しくいうと、当時のベンチは無くなって右側のベンチに変わっています。写真の中央のところにあったのですが、場所もベンチの種類も変わっています。しかし、まあ、余り変わりませんので、写真右側のベンチに彼女と二人で座ってみたらどうでしょうか!!
気分はもう神戸の風の歌を聴いています。

左の写真が鼠が彼女とふたりで座っていたベンチがあったところです。新神戸駅の下り博多方面ホームの前寄り、4号車付近です。

南京街>
この場面も村上春樹の原作には登場しませんが、僕が神戸の街を歩く場面で映されています。神戸の南京街は横浜に比べると小さいのですが、雰囲気はなかなか良いです。

右の写真の向こう側からこちら側に歩く姿が映されています。画面では田中商店の文字が見えましたので、間違いないとおもいます。田中商店は左側から二軒目です。

横断歩道橋>
メリケン波止場へ向かう国道43号線上の横断歩道です。僕がこの歩道橋を歩いている姿が映されています。

左の写真が国道43号線上の横断歩道です。神戸大丸から海側に向かうと直ぐです。映っているタワーはホテルオークラです。メリケン波止場は撮影当時とはかなり変わってしまっています。中突堤とメリケン波止場が一体となって(埋め立てられた)メリケンパークとなっています。デイトには良いかもしれません。

クリスボン跡>
 僕と鼠が国道2号線夙川近くのクリスボンという潰れたレストランで合う場面があります。阪神間ではかなり有名だったレストランだったのですが潰れてしまいました。

右の写真のヘルスクラブのところに円形のクリスボンがありました。

その他で映画に登場した場面を紹介しておきます。僕と彼女が食事したキングズアームズ(全国的に有名なレストランだったのですが廃業しています)、僕と鼠が遊んだ動物園は神戸の王子動物園でした。

「風の歌を聴け」神戸地図に記載されている「デリカテッセン」と「ピノッキオ」については「村上春樹の神戸を歩く」を参照してください。


【参考文献】
・風の歌を聴け:村上春樹、講談社文庫
・1973年のピンボール:村上春樹、講談社文庫
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春樹、講談社文庫
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春樹、新潮文庫
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春樹、講談社文庫
・ノルウェイの森(上、下):村上春樹、講談社文庫
・さらば国分寺書店のオババ:椎名誠、新潮文庫
・村上朝日堂:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂の逆襲:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂 はいほー!:村上春樹、新潮文庫
・辺境・近境:村上春樹、新潮文庫
・夢のサーフシティー(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・スメルジャコフ対織田信長家臣団(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・村上春樹スタディーズ(01−05):栗坪良樹、拓植光彦、若草書房
・イエローページ 村上春樹:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探訪:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春樹の世界(東京偏1968−1997):ゼスト
・村上春樹を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春樹と日本の「記憶」:井上義夫、新潮社
・象が平原に還った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鳥の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと華麗な虚偽:久居つばき、マガジンハウス
・アフターダーク:村上春樹、講談社


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