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最終更新日:2018年06月07日


●デレク・ハートフィールドを歩く
  初版2006年5月27日
  二版2006年8月3日 
宝島(1983/11)の村上春樹インタビュー記事を追加
  三版2006年11月27日 週刊朝日(1979/5/4)の村上春樹インタビュー記事を追加
  四版2007年5月9日 幻想文学(1983/4/1)の村上春樹インタビュー記事を追加
  五版2013年4月6日 <V03L01> 同時代の文学(1979/11/20)、図書館司書という仕事(1986/8/31)を追加、週刊朝日の写真を追加

 暫く村上春樹関連を更新していませんでしたので、今回は「風の歌を聴け」のデレク・ハートフィールドを歩いてみました。「風の歌を聴け」が書かれたのが昭和54年(1979)ですから、今年で27年目になりますが、何時になってもこの話題は消えませんね。


<週刊朝日 1979/5/4>
  2006年11月27日 村上春樹インタビュー記事を追加
  2013年5月27日 週刊朝日の表紙写真を追加
 「風の歌を聴け」が「群像」で「群像新人文学賞」を獲得したのは昭和54年(1979)6月号(発表は4月)です。講談社から単行本が出版されたのが昭和54年(1979)7月でした。この頃の昭和54年(1979)5月4日号で週刊朝日が村上春樹氏にインタビューしています。

「…この小説にも、デレク・ハートフィールドという聞きなれないアメリカの作家のことが盛んに出てくる。「僕」が、非常に影響を受けたということになっている。さすがアメリカ文学にはくわしい、と思ったら、「あれは、でっちあげですよ」 茶目っ気も相当なものだが、もちろん、ただのいたずらではない。この架空作家ハートフィールドの存在は、この作品に、見事な効果を与えている。…」

と書かれていました。最初から実在しないことが分かって書いていたみたいです。

左上の写真は昭和54年(1979)5月4日発行の「週間朝日」です。

<カイエ 1979/6> 2013年4月6日 「同時代の文学」を追加
 週刊朝日の次にデレク・ハートフィールドについて書いたのが川本三郎さんです(推定で、定かではありません)。昭和54年(1979)6月発行の「カイエ」の中にデレク・ハートフィールドについて書かれていました。”架空の作家”として、さらっと書いていました。
「  二つの「青春小説」
       ── 村上春樹と立松和平
… 夏のまっさかり、いつもビールばがり飲んでいる主人公「僕」と「鼠」のように、こちらもスタン・ゲッツやゲイリー・バートンでも聞きながらビールのびんをシュッと一本抜きたい気分だ。そう、この小説に出てくる架空の作家デレク・ハートフィールドにならっていえば「気分が良くて何が悪い?」だ。
 だが、そういった当のデレク・ハートフィールドが「1938年6月のある晴れた日曜日の朝、右手にヒットラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び下りた」という不幸な事実≠ノあきらがなように、「気分が良くて何が悪い?」というモノローグには、昼のビールのさわやかさとは裏腹の憂鬱なイロニーが込められている。…」

 ”この小説に出てくる架空の作家デレク・ハートフィールド”と、ごく簡単に書かれています。週刊朝日から一ヶ月後で、架空との説明だけですから、もう当たり前の感じです。

左上の写真は昭和54年(1979)6月発行の「カイエ」です。”二つの「青春小説」  村上春樹と立松和平”に書かれています。昭和54年(1979)11月発行の「同時代の文学」にも纏められて掲載されています。


<翻訳の世界 1981/2>
 昭和56年(1981)2月にデレク・ハートフィールドについて書いた人がいました。この世で二人目になるわけです。「風の歌を聴け」から2年目です。書いた人は青山南さんです。当初、私はこの青山南さんは、村上春樹がペンネームで書いているのではとおもったくらいでした。当時、青山南さんは余り有名ではありませんでした。
「…そういえば、最近、デレク・ハートフィールドの本を見つけた。春樹氏があの小説で引用している、あれ、である。郊外の、目白通りが目白通りでなくなるどんづまりの汚ない古本屋に、その本"I Feel Fine"は、アン・ビーティの"Secrets and Surprises"とテリー・サザンの"Blue Movie"にはさまれて、あった。記憶ちがいでなければ、春樹氏は「気分がよくて何が悪い」と訳していたはずだ。けだし名訳だ、とおもった Wow,it's greatもなんとかそんなふうにうまく訳せないものか。…」
 ここまで読むと、デレク・ハートフィールドが本当に実在するかのようにおもえます。見事な村上春樹フォローアップです。

左上の写真は昭和56年2月発行の「翻訳の世界」です。この雑誌の中に青山南さんが「みんな失語症だった」というタイトルで、村上春樹とデレク・ハートフィールドについて数行書いています(翻訳のことが中心に書かれています。当然か!)。この青山南さんは翻訳本をかなり出されていたので、村上春樹のペンネームではないかともおもったわけです。


<本の雑誌 1983/2>
 青山南さんが次にデレク・ハートフィールドについて書いたのが昭和58年(1983/2)2月に発行された「本の雑誌」でした。
「「前にも日本人からハートフィールドについて手紙をもらった。だから、ハートフィールドのことでぼくを訪ねてきたのはきみで二人目ってことになるね。ハルキ・ムラカミって名前だったけど、知ってるかね」 と、トマス・マックルーアに言われたときは、村上春樹なる人物の存在は知らなかった。かれが『風の歌を聴け』でハートフィールドを紹介したのは、ぼくがマックルーアを訪ねてから数年後のことだったから、知るわけがない。ぼくは当時オハイオ州の小さな町のデニスン大学に留学中で、マックルーアのハートフィールド伝をたまたま読んで感激し、かれを訪ねて、ハートフィールドのことをいろいろ訊いた。…。」
 今回は面白いことに、村上春樹が「トマス・マックリュア」と書いているのに、青山南さんは「トマス・マックルーア」と書いており、細かいところにわざとらしく真実味が出るように気をつかって書いています(ワザとではないかもしれない!)。村上春樹は昭和24年(1949)1月12日生まれで早稲田大学卒業です。青山南さんは昭和24年(1949)2月2日で早稲田大学院卒業です。年は同じなので接点が遇っても不思議ではありません。

右上の写真は昭和58年(1983)2月に発行された「本の雑誌」です。この雑誌の中に青山南さんが「翻訳うらばなし2」として、デレク・ハートフィールドについて書いています。この青山南さんは翻訳本をかなり出されていたので、村上春樹のペンネームではないかともおもったわけです。

左の写真がちくま文庫版の「ピーターとペーターの狭間で」です。青山南さんは「翻訳の世界」や「本の雑誌」他に書かれたエッセイをまとめて「ピーターとぺーターの狭間で」として昭和62年(1987)出版したものです。なかなか面白い本で、村上春樹についてはあちこちに登場しています。本自体は再販されていないようで、古本でしか手に入らないのではないでしょうか。

【青山南(あおやま みなみ)】
1949年、福島県に生まれる。早稲田大学卒業。翻訳家・エッセイスト。著書に『外人のTOKYO暮らし』『赤んぼとしてのあたしらの人生』、訳書に『世界は何回も消滅する』 『愛している』『そしてみんな軽くなった』などがある。(ちくま文庫参照)


<幻想文学 1983/4> 07年5月8日 幻想文学1983/4の村上春樹インタビュー記事を追加
 昭和58年(1983)4月の「幻想文学」で「羊をめぐる冒険」についてインタビューを受けていました。デレク・ハートフィールドについてもコメントをしています。
「 ……、処女作の『風の歌を聴け』で、ハートフィールドという・パルプ作家のことをお書きになった……。
村上  でっちあげなんですよね、あれは。つまり架空の作家。ぼくはヴォネガット好きだし、R・E・ハワードも、ラヴクラフトも好きだし、そういう好きな作家を混ぜあわせてひとつにしたものですね。彼の本の註文がいって、某洋書店が迷惑したっていう話があるんです(笑)。出版社でも問題になりましてね。「あとがき」に書いたでしょ。「あとがき」で嘘書いちゃいけないって(笑)すごく問題になりまして、難しいですよね。 ラヴクラフトやハワードの”ウィアード・テイルズ”一派というのは大好きで、だいたい漏らさず読んでますね。ラヴクラフトの場合はまず文体ね。あのメチャクチャな文体(笑)あれ好きですねえ。めったにお目にかかれない文体でしょう。それと世界ね。ラヴクラフト自身の、ひとつの系統だった世界を作っちゃってますよね。完結した世界性というもの、そのふたつだと思うんですよ。”クトゥルー神話大系”とかね。ああいうの面白いし、なんとなく書いてみたくなりますよ。…」

 まあ、あちこちでハートフィールドが架空の作家と言っています。ここに書かれている通り「あとがき」で架空の作家の名前を書いたのが問題になっていたようなので、仕方がなく取材を受けるたびに言ったようです。

左上の写真が「幻想文学」1983年4月号です。「羊をめぐる冒険」についてのインタビューで、本が本だけになかなか面白かったです。


<宝島 1983/11> 2006年8月3日 宝島(1983/11)の村上春樹インタビュー記事を追加
 昭和58年(1983)11月の「宝島」で「風の歌を聴け」についてインタビューを受けていました。デレク・ハートフィールドについてもコメントをしていました。
「 ……でも『風』でね、ホントのこというと、ここまで、Chapter I まで、この文章がホントに書きたかったの。あとはどうでもよかった。(ちなみにそれは(「完壁な文章などといったものは存在しない。完壁な絶望が存在しないようにね。」)という文章で始まっている。) この文章は、今でも暗記するくらいよく憶えてるし、それはホントに正直に書けたと思ってる。それはホントに正直です。ハートフィールドの実在ウンヌンを除いてはね。この部分はこの小説の中でいちばん好きだ。でもこれだけでは小説にならないからあとを書いたんです。だから僕がいちばん小説で書きたかったことは、そこに全部入ってると思う。あとは展開させているだけです。 今でもね、小説書いてて、これは正しくないんじゃないか、嘘なんじゃないか、小説を書く意味なんかないんじゃないか、って思うときね、ここを読み返すと、ああ嘘じゃないなってね、勇気づけられる。書くだけのことはあったのかなって思うんです。…」
 これで、ハートフィールドが実在しているかどうかについて分かりますね。

左上の写真が「宝島」1983年11月号です。この頃のインタビューは真面目に応えています。1985年以降は、上手にというか、抽象的なコメントが多くなっています。


<国文学 中山健次と村上春樹 都市と反都市 1985/3>
 もう一人、これで三人目になりますが、デレク・ハートフィールドについて書いた人がいました。畑中佳樹氏で昭和60年(1985)3月「国文学」の「中山健次と村上春樹」の特集で書いています。
「…アメリカ文学と村上春樹との関係は単純である。アメリカ文学、というかアメリカ小説を読むのが大好きな男が、ある日たまたま小説を書き始めた。それだけだ。…… ぼくが繰り返し否定したいのは、アメリカ文学から影響を受けて純文学を書き始めた村上春樹、という像である。そしてぼくが繰り返し強調したいのは、アメリカの通俗小説の大ファンである村上春樹がたまたま純文学を書き始めた、というちぐはぐな顛末である。じつさいこのちぐはぐさのために、春樹の小説とぼくら読者との間では、これまでいくどとなく不様な擦れ違いが演じられてきた。純文学のルーツを純文学に求めようとするぼくら読者と、その種の純文学カルトから見るとどこか異教的な、通俗小説的肉体を持った春樹の小説との擦れ違いである。…」
 ハートフィールドを書く前に文学論になります。「村上春樹と芥川賞」のところで書いたことですね。選考委員の方々が書いていたことがいかに意味の無いことだと…‥!!

左上の写真が昭和60年(1985)3月に出版された、「国文学 中山健次と村上春樹 都市と反都市」です。この年代の前に出版された村上春樹論が一番面白いですね。


<図書館司書という仕事 1986/8> 2013年4月6日 「図書館司書という仕事」を追加
 久保輝巳さんという方が”ハートフィールド”について書いていました。関東学院大学の図書館長をされていた時のお話しで、図書館で”ハートフィールド”の本を読みたいと言われて困っています。
「八−トフィールド『気分が良くて何か悪い?』
 某月某日、昼食を終えて帰ってみると、レファレンス=調査依頼が一件あったとのこと。依頼者は経営学科の学生。内容はデレク・パートフィールドというアメリカの作家。彼の伝記あるいは評伝、著作があったら読みたい。彼はヘミングウェイと同時代の人で自殺している。以上である。…
… マックリュア、こいつは調べなければいけない。それに……とフッと思う。川本三郎を読もう。彼の評論の中に村上春樹を扱ったものがあったはずた。読んだことがある。が、自宅には『同時代を生きる。気分』しかない。それには村上はない。とすれば図書館から借りて読んたはずだ。
 翌日、出勤。文学好きの同僚が、図書館にある群像をチョイ読みしていて(ちなみに単行本は所蔵されていない)、ウサンクサイナと言う。確かに。しがし、雑誌になくて、単行本にあるのがアトガキなのだ。このアトガキがクセモノだ。イロイロ調べてみましたが、そんな人物は見つかりませんでしたデハ、このアトガキがある限り、依頼者は納得できないだろう。だがLCカタログにも、Books in Printにも、マックリュアという人はいたが、別の畑の人だ。ハートフィールドの翻訳も再度調査したが見つからなかった。僕はそっと開架書架に向かった。……みんな、いいからほんのちょっとだけでいいんだ。ほんの少しだけ静がにしてくれないか……川本三郎の本を探す。『同時代の文学』、立ったまま僕は読みだす。…」

 いつ頃の話なのでしょうか?、図書館の皆さんが”ハートフィールド”について調べたようです。架空の作家と分かるまでに少し時間が掛っています。

左上の写真が昭和61年(1986)8月に出版された、「図書館司書という仕事」です。なかなか面白い本です。


<誰もヒロインの名を知らない 1987/5>
 畑中佳樹氏は自らのエッセイをまとめて昭和62年(1987)「誰もヒロインの名前を知らない」を出版しています。この中に上記の国文学に書かれたハートフィールドについても記載されていました。
「…デレク・ハートフィールドという作家のモデルについて、いまだにこれといった定説がないという事態の異常きのことを言っているのだ。というのも、デレク・ハートフィールドとは、あの冒険児コナンを生み出した筋金入りのパルプ作家、ロバート・E・ハワードにまざれもないからである。……この架空の作家の経歴は、一九〇六年にテキサス州で生まれ、一九三六年に母親の死を悲しんで自殺したパルプ小説作家、ロバート・E・ハワードの経歴をただちに思い出させる ── どころではない、ほとんど同じである! 冒険小説と怪奇ものをミックスした 「冒険児ウォルド」 のシリーズとは、まさしく「英雄コナン」 のシリーズのことだろうし(ハワードはこのシリーズによってヒロイック・ファンタジーの創始者となった)、莫大な生産量も、母親を異常なほど愛していたことも同じである。ハワードが実際にニーチェに傾倒していたかどうか、ぼくは知らないが、先ごろ「コナン」 シリーズ中の一編がハリウッドで映画化された時、監督のジョン・ミリアス (これまた、どことなくハワードを思わせるメイル・ショーヴィニストである) は巻頭にニーチェの文句を引用してみせた ── というような脈がある。なるほど、ハヮードには確かに、パルプ版ニーチェといった趣があった。証拠がためはもう充分だろう。デレク・ハートフィールドのモデルはほぼ間違いなくロバート・E・ハワードである。…」
 どうやらここで結論がでたようです。日本でロバート・E・ハワードのコナンシリーズを読もうとおもうと、河出文庫の「不死鳥の剣」があります。

右上の写真が筑摩書房版の「誰もヒロインの名前を知らない」です。もう一つのお話です。
「…春樹の比較的新しい短編「納屋を焼く」 の中に、主人公が空港でウィリアム・フォークナーを読んでいる所がある。── これだけで、アメリカ文学研究生には充分なキーだ。フォークナーに「燃える納屋」という短編があることが、すぐ思い出される。そこでぼくは、フォークナーの「納屋」と春樹の「納屋」との間に、ただならぬ関係のあることをただちに確信する。ところが、その後の著者インタビューで驚くべきことが明らかになる。春樹はフォークナーの「燃える納屋」なんて、聞いたこともなかったというのだ!偶然の一致というにはあまりにも皮肉な、まるで読者を深読みに誘うためにわざと仕組まれたかのような、人を食った符合ぶりではないか。春樹の「小説」と、ぼくらが期待してしまう「文学」とは、いつもみごとに擦れ違う。…」
 村上春樹が著者インタビューで知らなかったといったのは本当でしょうか。私個人的には?です。新潮文庫の「フォークナー短編集」では「納屋は燃える(Barn Burning)」になっていました。村上春樹の「納屋を焼く」を読むと、「…飛行機は悪天候のために実に四時間も遅れて、そのあいだ僕はコーヒー・ルームでフォークナーの短篇集を読んでいた…」。と書いています。村上春樹は当然原書で読んでいたと想像がつきます。「納屋を焼く」と読むと私は川端康成の「雪国」をおもいだしてしまいます。歳なのでしょうか!!

【畑中佳樹(はたなか よしき)】
1958年、茨城県で生まれる。千葉大学人文学部卒業、東京大学大学院修士課程修了(英語英文学専攻)。現在、東京学芸大学講師。アメリカ文学研究者。映画評論家。著書に 『2000年のフィルムランナー』 (フィルムアート杜)、訳 書に 『モーテル・クロニクルズ』 (サム・シェパード、筑摩書房)がある。(筑摩書房参照)


【参考文献】
・風の歌を聴け:村上春樹、講談社文庫
・1973年のピンボール:村上春樹、講談社文庫
・羊をめぐる冒険(上、下):村上春樹、講談社文庫
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上、下):村上春樹、新潮文庫
・ダンス・ダンス・ダンス:村上春樹、講談社文庫
・ノルウェイの森(上、下):村上春樹、講談社文庫
・さらば国分寺書店のオババ:椎名誠、新潮文庫
・村上朝日堂:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂の逆襲:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた:村上春樹、新潮文庫
・村上朝日堂 はいほー!:村上春樹、新潮文庫
・辺境・近境:村上春樹、新潮文庫
・夢のサーフシティー(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・スメルジャコフ対織田信長家臣団(CD−ROM版):村上春樹、朝日新聞
・村上春樹スタディーズ(01−05):栗坪良樹、拓植光彦、若草書房
・イエローページ 村上春樹:加藤典洋、荒地出版
・イアン・ブマルの日本探訪:イアン・ブルマ(石井信平訳)、TBSブリタニカ
・村上春樹の世界(東京偏1968−1997):ゼスト
・村上春樹を歩く:浦澄彬、彩流社
・村上春樹と日本の「記憶」:井上義夫、新潮社
・象が平原に還った日:久居つばき、新潮社
・ねじまき鳥の探し方:久居つばき、太田出版
・ノンフィクションと華麗な虚偽:久居つばき、マガジンハウス
・アフターダーク:村上春樹、講談社
・本の雑誌(昭和58年2月号):本の雑誌社
・ピーターとペーターの狭間で:青山南、ちくま文庫
・国文学 中山健次と村上春樹 都市と反都市:学燈社
・誰もヒロインの名前を知らない:畑中佳樹、筑摩書房
・フォークナー短編集:新潮文庫
・不死鳥の剣:河出文庫
・同時代の文学:川本三郎、冬樹社
・図書館司書という仕事:久保輝巳、ぺりかん社

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