< 本郷区台町1番地小山とめ方> 昭和5年3月、太宰治(この頃は津島修治)は弘前高等学校から東京帝国大学に入学するため上京してきます。その当時の事を大高勝次郎が「太宰治の思い出」で書いています。「昭和五年三月、私たちは東京帝大受験のため上京した。津島は本郷区森川町の下宿屋に宿を取ったが、わざわざ生家から、夜具類を送らせるという入念さであつた。」、本当に”お坊っちゃま”だったようです。又、「太宰治に出会った日」では、「フランス語を全然知らない太宰が、仏文科を志望するのははじめから無茶であった。私が太宰に、どうして仏文科などへ入るのかときいたときの彼の答は、東大仏文科という肩書が、今のことばで言えば、ひじょうに、かっこいいという単純なものであった。たとえ中退しても仏文科の方が、谷崎潤一郎の国文科中退よりもイキだというのである。それともう一つ大きな動機は、そのころ東大文学部の英文科や国文科などには入学試験があったが、仏文科は、志望者が定員不足で無試験であった。そういうことで弘前高校からは太宰のはかにもうひとり、あまり勉強家とはいえないスポーツマンが仏文科をねらった。ただどういう風のふきまわしか、昭和五年というその年には仏文科でもフランス語の試験があった。目算がはずれた太宰らふたりは試験場で手を挙げて、正直に試験官に事情をはなした。その試験官は仏文科の主任教授故辰野隆博士であった。この一風変ったイキな教授は、苦笑したものの、格別の配慮で、ふたりの入学を認めてくれたのである。」、昔は何もせずに大学に入学出来た様です。うらやましい限りですね!!
★左の写真が太宰が東京帝国大学に入学したときに宿泊していた本郷区台町一番地(現在の文京区本郷5丁目30番地付近)の小山とめ方です。東大正門前の白十字横町を入った先の左側にありました。現在は立体駐車場になっています。 |