今週から「太宰治を巡って」の追加・改版を行います。青森時代から三鷹時代までを追加し、三鷹以降を一部追加と大幅な改版を行います。「太宰治を巡って」を掲載してからかなり時間が経っており、不十分な所も多いためです。今回は初回として太宰治が心中事件を起こした鎌倉・小動崎を歩いてみます。
<小動崎(こゆるぎがさき)> 太宰治が鎌倉郡腰越町小動崎で田辺あつみ(本名:田部シメ子)と心中未遂(田部シメ子は死亡)をおこしたのは 昭和5年11月28日夜半のことでした。『“帝大生と女給情死を図る”青森県北郡金木町素封家同郡県会議員津島文治氏弟東京市外戸塚町二五〇常盤館止宿帝大生修治(二二)及び銀座十字屋楽器店裏ハリウッド・バー内田邉あつみ(一九)の両名は二十八日朝家出同日午後五時頃相州腰越小動神社裏海岸でカルモチンをのみ情死を計り二十九日朝八時頃苦悩中を付近の漁師が発見女は間もなく絶命男は腰越恵風園に収容したが一命は取止めるらしい』、と昭和5年11月30日(日)の東京朝日新聞朝刊に報道されています。
★左上の写真が現在の小動崎です。左端に微かに見えているのが江ノ島です。写真の岬の真ん中辺りに小動神社があり、太宰が心中した所は、この岬の左突端の所だとおもいます。私も手前側から岬の先まで歩いていこうとしたのですが、不可能でした。当時はどうだったのでしょうか!
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