
東海道線三島駅は昭和9年12月の丹那トンネル開通により御殿場線の下土狩駅(当時は三島駅)から現在の地に新らしく三島駅が開設されます。
「…八年まえの事でありました。当時、私は極めて懶惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過したことがあります。五十円を故郷の姉から、これが最後だと言って、やっと送って戴き、私は学生鞄に着更の浴衣やらシャツやらを詰め込み、…自信あり気に友人達を汽車に乗せたものの、さてこんなに大勢で佐吉さんの小さい酒店に御厄介になっていいものかどうか、汽車の進むにつれて私の不安は増大し、そのうちに日も暮れて、三島駅近くなる頃には、あまりの心細さに全身こまかにふるえ始め、幾度となく涙ぐみました。…三島駅に降りて改札口を出ると、構内はがらんとして誰も居りませぬ。ああ、やはり駄目だ。私は泣きべそかきました。駅は田畑の真中に在って、三島の町の灯さえ見えず、どちらを見廻しても真暗闇、稲田を撫でる風の音がさやさや聞え、蛙の声も胸にしみて、私は全く途方にくれました。…やがてバスは駅前の広場に止り、ぞろぞろ人が降りて、と見ると佐吉さんが白浴衣着てすまして降りました。私は、唸るほどほっとしました。…」。
は太宰の「老ハイデルベルヒ」(アルトハイデルベルヒ)の書き出しです。この小説の主人公は太宰治本人で、”三島の酒屋の息子の佐吉さん”とは、友人の坂部武郎のようで、三島を題材にしています。書かれたのは昭和16年に清水に滞在したときです。
★左上の写真は開業当時の三島駅です。左の写真が現在のJR三島駅南口です。三島駅はJRの新幹線、東海道線と伊豆箱根鉄道の三本の鉄道が乗り入れています。東海道線が新橋から静岡まで開通したのが明治22年です。当時の東海道線は国府津駅から御殿場経由の沼津駅、静岡駅の路線でした。三島駅も御殿場線の下土狩駅が当時の三島駅でした。昭和9年(1934)12月1日、丹那トンネルが開通し熱海駅〜沼津駅間が電化複線で開業します。国府津─御殿場─沼津間は御殿場線として分離しています。この小説が昭和7年の頃の三島駅をえがいたとすると、現在の三島駅ではなくて、下土狩駅(丹那トンネル開通前の三島駅)だとおもわれます。