●「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を歩く -2- (YouTube)
    (廿七版以前は”「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を歩く -1-”を参照)
    廿七版2018年3月31日  <V01L01> 其の廿三 嵐山 法輪寺を訪ねる 暫定版
    廿七版2018年4月7日  <V01L01> 其の廿三(桜の季節編) 嵐山 法輪寺を訪ねる 暫定版
    廿八版2018年4月8日  <V01L01> 其の廿四 桜散る編 つかみ部分で登場する本満寺のしだれ桜を訪ねる 暫定版
    廿九版2018年4月11日  <V01L01> 其の廿五 桜散る編 本法寺の桜を訪ねる 暫定版
    卅版2018年4月13日  <V01L01> 其の廿六 小川通のロケ地を探す 暫定版
    卅一版2018年4月17日  <V01L01> 其の廿七 千枚漬けの「大藤」を訪ねる 暫定版
    卅二版2018年4月20日  <V01L01> 其の廿八 銀粉蝶演じる沢藤鶴子が良縁を祈願した祠を探します 暫定版
    卅三版2018年4月23日  <V01L01> 其の廿九 大原千鶴さんとその友人が石山寺の芭蕉庵で花見 暫定版
    卅四版2018年4月26日  <V01L01> 其の卅 西洞院通三条下ルの千利休が愛した柳の水を訪ねました 暫定版
    卅五版2018年5月8日  <V01L01> 其の卅一 団時朗さん演じるエドワード・ヒースローの下宿を探します 暫定版
    卅六版2018年5月12日  <V01L01> 其の卅二 一柳美里と川崎亜沙美さん?が話をした甘味処を探します 暫定版
    卅七版2018年5月17日  <V01L01> 其の卅三 桜の季節の千本釈迦堂を訪ねる 暫定版
    卅八版2018年5月20日  <V01L01> 其の卅四 桜の季節の上賀茂神社を訪ねる 暫定版
    卅九版2018年5月25日  <V01L01> 其の卅五 出町 桝形商店街とふたばの豆餅を食す 暫定版
    卅九版2018年6月1日  <V01L01> 其の卅六 大原千鶴さんのアトリエと宮川町傍のゑびす神社を訪ねます 暫定版
    四十版2018年6月8日  <V01L01> 其の卅七 桜の季節の聖護院門跡を訪ねます 暫定版
    四一版2018年6月15日  <V01L01> 其の卅八 鴨川沿の半木の道と植物園前のロケ地を歩きます 暫定版
    四二版2018年6月29日  <V01L01> 其の卅九 二人が出会った荒神橋下の鴨川縁のベンチを探す 暫定版
    四三版2018年7月6日  <V01L01> 其の四十 吉田神社と大橋弌峰さんのお店を訪ねます 暫定版
    四三版2018年7月13日  <V01L01> 其の四十一 ご本尊が閻魔さまという千本ゑんま堂を訪ねる 暫定版
    四四版2018年8月10日  <V01L01> 其の四十二 菊に縁のあるお寺 池坊、六角堂を訪ねる 暫定版
    四五版2018年8月17日  <V01L01> 其の四十三 伏見稲荷とおいなりさん(上) 暫定版
    四六版2018年8月24日  <V01L01> 其の四十三 伏見稲荷とおいなりさん(下) 暫定版
    四七版2018年8月31日  <V01L01> 其の四十四 永松仁美さんの祇園のアンティークショップを探す 暫定版
    四八版2018年8月28日  <V01L01> 其の四十五 松原通の六道の辻付近を歩く 暫定版
    四九版2018年10月19日  <V01L01> 其の四十六 鴨川から引き込まれた高瀬川の「一之舟入」を訪ねる 暫定版
    五十版2018年11月23日  <V01L01> 其の四十七 渡月橋から千光寺(大悲閣)を訪ねる 暫定版
    五一版2018年11月30日  <V01L01> 其の四十八 嵐山 大河内山荘の月見台「月下亭」を訪ねる 暫定版

 「京都人の密かな愉しみ」はNHK BSプレミアムで2015年から不定期で数回に分けて放送されたドラマです。このドラマは常盤貴子主演で、観光旅行では見えにくい京都人の生活や文化を、観光地ではない隠れた風景をロケ地に使ってコミカルに描いています。常盤貴子の着物姿が京都とマッチして素晴らしいです。今回は動画(YouTube)で紹介します。


「法輪寺 山門と階段」
<其の廿三 嵐山 法輪寺を訪ねる>
 今回は「京都人の密かな愉しみ」の秋編 月と菊とごちそう編で登場しています嵐山 法輪寺を訪ねました。京福電気鉄道嵐山本線の終点 嵐山駅で下車、渡月橋を渡って嵐山に向かいます。駅を降りてビックリしたのは観光客の多さです。二月の平日の寒い日だったのでほとんど人はいないんじゃないかとおもっていましたが、物凄い人数の観光客でした。なんでこの寒いときに来るのかなとおもいます。暖かくなったときの人出はどうなるのかなとおもってしまいました。ただ、渡月橋を過ぎて少し歩くと観光客はほとんどいなくなりました。嵐山駅近くの狭い範囲に観光客はいるようです。

<法輪寺(ほうりんじ)>
京都市西京区にある仏教寺院。山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属する。虚空蔵法輪寺や嵯峨虚空蔵と通称される。名勝嵐山の中腹に位置する。本尊の虚空蔵菩薩は「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれ、奥州会津柳津の円蔵寺、伊勢の朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称される。古くは『今昔物語集』・『枕草子』・『平家物語』などにその名が見え、知恵、芸事の上達、また丑年・寅年生まれの守り本尊として信仰を集める。十三詣りや針供養、うるし祖神の寺としても著名である。寺伝によれば、和銅6年(713年)、行基が元明天皇の勅願により、国家安穏、五穀豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺(かづのいでら)として建立したとされる。その後、天長6年(829年)、空海の弟子にあたる道昌が、虚空蔵菩薩像を安置し、貞観10年(868年)、寺号を法輪寺と称したという。室町時代、応仁の乱により罹災し、江戸時代、後陽成天皇により再建されるが、幕末、元治元年(1864年)の禁門の変により、再度罹災している。(ウイキペディア参照)

写真は法輪寺の山門と108段の階段です。「京都人の密かな愉しみ」で法輪寺が放映されたのは重陽のお祭りです。重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のことで、旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれています。陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれています。陽の重なりを吉祥とする考えになってから祝い事となったものです。菊酒を飲み、厄を祓い長寿を願って、「菊の被綿(きせわた)」という、前夜に菊に被せた綿に降りた露で身体を拭くと、長寿になると伝えられています。また、重陽の日に摘んだ菊の花を乾燥させ枕に詰めた「菊枕」は、菊の香りで長寿になると伝えられています。(ウイキペディア他参照)

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「法輪寺 舞台からの展望」
<其の廿三(桜の季節編) 嵐山 桜の季節に法輪寺を訪ねる>
 今回は上記の”嵐山 法輪寺を訪ねる”で、桜の季節に再度訪ねました。前回、法輪寺の舞台が工事中で入れなかったので、その撮影も兼ねました。撮影日は3月29日(木)で、平日でしたが、ものすごい人出でした。ただ、渡月橋を渡って法輪寺に近づくと、人はほとんどいなくなります。観光客は中之島までのようです。

 <今回から撮影機材を変更しました>
・ジンバル:Zhiyun Crane Plus
・カメラ:SONY α6500

<法輪寺(ほうりんじ) 前回と同じ>
京都市西京区にある仏教寺院。山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属する。虚空蔵法輪寺や嵯峨虚空蔵と通称される。名勝嵐山の中腹に位置する。本尊の虚空蔵菩薩は「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれ、奥州会津柳津の円蔵寺、伊勢の朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称される。古くは『今昔物語集』・『枕草子』・『平家物語』などにその名が見え、知恵、芸事の上達、また丑年・寅年生まれの守り本尊として信仰を集める。十三詣りや針供養、うるし祖神の寺としても著名である。寺伝によれば、和銅6年(713年)、行基が元明天皇の勅願により、国家安穏、五穀豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺(かづのいでら)として建立したとされる。その後、天長6年(829年)、空海の弟子にあたる道昌が、虚空蔵菩薩像を安置し、貞観10年(868年)、寺号を法輪寺と称したという。室町時代、応仁の乱により罹災し、江戸時代、後陽成天皇により再建されるが、幕末、元治元年(1864年)の禁門の変により、再度罹災している。(ウイキペディア参照)

写真は法輪寺の舞台から眺めた渡月橋方面です。桜とマッチして綺麗な風景です。「十三詣り」が始まっていました。「十三詣り」は虚空蔵が”智恵授けのみほとけ”なので、数えで十三歳になった子供が4月13日にお参りする慣わしです。「帰り道に渡月橋でうしろ見たらダメ」という言い伝えがあり、ほんとは賢かったのにあの時振り返ったからという笑い話もあるようです。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「本満寺のしだれ桜」
<其の廿四 桜散る編のつかみ部分で登場する本満寺のしだれ桜>
 やっと桜の季節になって”桜散る編”のロケ地を回れるようになりました。今回は「京都人の密かな愉しみ 桜散る編」のつかみ部分で登場しています本満寺のしだれ桜を訪ねました。京阪出町柳駅から歩いて約700m程の距離です。途中に「枡形商店街」や豆餅の「出町ふたば」もあります。こちらは別途掲載予定です。

<本満寺(ほんまんじ)>
日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は広布山(広宣流布山)。塔頭が四院ある(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)。応永17年(1410)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白・近衛道嗣の子)が開基。当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。天文5年(1536)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない天文8年(1539)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、天文14年(1545)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、天正18年(1590)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。万治4年(1751)徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府祈願所となった。近世にはたびたび火災に遭っており、寛文元年(1661)の火災、宝永5年(1708)の宝永の大火、天明8年(1788)の天明の大火により焼失するが、その都度再建されている。本堂は明治44年(1911)2月8日にも焼失し、昭和2年(1927)に再建された。現住は62世伊丹日章貫首(大阪市雲雷寺より晋山)。莚師法縁(隆源会)縁頭本山。(ウイキペディア参照)

写真は本満寺のしだれ桜です。”素晴らしい”の一言です。観光客も少なく、拝観料も取られません。円山公園等に比べて桜の本数は比較になりませんが美しさはピカイチではないかとおもいます。来年は是非とも見て頂きたい桜の一本です。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「本法寺の桜」
<其の廿五 本法寺の桜を訪ねます>
 桜の季節のロケ地巡りの第二弾です。今回は「京都人の密かな愉しみ 桜散る編」で、常盤貴子演じる沢藤三八子と石丸幹二演じる三上の恋の別れと再会の場面に使われていた本法寺の満開の桜を訪ねます。「京都人の密かな愉しみ」で最も盛り上がる場面ですね。常盤貴子演じる沢藤三八子が菓子職人だった三上と再会して無事パリに旅立つハッピイエンドのストーリーが良かったです。

<本法寺(ほんぽうじ)>
日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は叡昌山。塔頭が三院ある。本法寺は寺伝によれば、永享8年(1436)日親が本阿弥清信の帰依を得て創建。当初は東洞院綾小路(現・京都市下京区)にあった。日親は永享12年(1440)足利義教の怒りを買い投獄されたが、翌年赦免された。日親は寛正3年(1463)にも投獄され、寺は破却されたが、翌年赦免され、寺は三条万里小路(さんじょうまでのこうじ、現在の中京区三条柳馬場)に再建された。天文5年(1536)本法寺は洛中の他の法華系寺院とともに天文法華の乱で焼失し、堺に避難した。天文11年(1542)後奈良天皇は、法華宗帰洛の綸旨を下し、本法寺は一条堀川に再建された。天正15年(1587)豊臣秀吉の命により、現在の地に移転している。天明8年(1788)天明の大火により焼失したが、その後再建された。(ウイキペディア参照)

写真は本法寺の満開の桜です。ここも”素晴らしい”の一言です。観光客もほとんどおらず、拝観料もありません。来年は是非とも見て頂きたい桜の一本です。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「小川通の撮影に使われた京町家」
<其の廿六 小川通の撮影に使われた京町家を探します>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 冬編」で、銀粉蝶演じる沢藤鶴子(母親役)とシャーロット ケイト フォックス演じる洛志社大教授エミリー・コッツフィールドが出会う場面に使われたロケ地を探しました。この場所がなかなか分からず苦労しました。見つけたポイントは「中村三之助」と「鴨井歯科医院」という看板が映り込んでいたからです。現在は「中村三之助」という看板のみで、「鴨井歯科医院」という看板は無くなっていました。

写真は上京区挽木町附近の小川通にある京町家です。この前で撮影が行なわれています。この附近はバックに大きな建物がなく、本当に綺麗な京町家の並びで撮影が出来ます。こんなところがまだ良く残っていたとおもいます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「千枚漬けの大藤」
<其の廿七 千枚漬けの「大藤(だいとう)」を訪ねます>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 冬編」で、NHK 京都生活一年目 井上あさひアナウンサーが大藤を訪ねて、千枚漬の作り方を学ぶ場面がありますが、その「大藤」を錦市場の東端 寺町通から訪ねてみました。千枚漬けも買ってみましたが、ここの千枚漬けは絶品です。今まで食べた千枚漬けは何だったんだろうとおもいました、美味いの一言です! ただ、「大藤」の千枚漬けは季節物で、10月頃から3月頃までで、残念ながら今の時期は販売しておりません。秋までお待ちください。東京では新宿伊勢丹 地下1階 粋の座 「料亭・名店の味」に「大藤」のコーナーがあります。コーナーが小さいのでよく見て探してください。

写真は京都市中京区麸屋町通錦下ルの千枚漬けの「大藤」です。建物は昔の京町家です。残念だったのはホームページの住所表記が”麸屋町通り”と、通の名前に”り”を入れていることです。京都では通の名前には”り”を入れないのが正しい表記です(”下る”も”下ル”が正解)。多分、ホームページの作成は外注していて、作成者が京都の人ではなくて、そのことを知らないのだとおもいます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「上七軒の祠」
<其の廿八 銀粉蝶演じる沢藤鶴子が良縁を祈願した祠を探します>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 縁結び編」で、銀粉蝶演じる沢藤鶴子が常盤貴子演じる沢藤三八子の良縁を祈願した祠を探します。その場面の映像を見ると、細い路地の三叉路の正面に祠があり、路面は石畳(ここがポイント)です。京都で路面が石畳なのは花街と下河原付近等のごく一部です(回りの風景も花街風)。仕方が無いのでGoogleのストリートビューで”細い路地の三叉路”を探すことにしました(東京在住のため)。最初、宮川町だろうとおもって探したのですが見当たらず、祇園、先斗町、上七軒と探していったところ、上七軒で見つけることができました。かなりの時間 Google のストリートビューを見続けました。訪ねた時は3月末で”北野をどり”の時期だったので上七軒歌舞練場を訪ねています。五千円弱だったのですが懐具合が寂しく一寸入れませんでした。

写真は京都市上京区真盛町742付近の撮影に使われた祠です。上七軒芸妓組合の南側と言った方が分かりやすいです。この祠は最初お稲荷さんかと思ったのですが、達磨大明神と書いた提灯があり、禅宗関連の祠とおもわれます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「大津 石山寺の芭蕉庵」
<其の廿九 大原千鶴さんとその友人が石山寺の芭蕉庵で花見>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 桜散る編、甘くて苦い春の味覚編」で放映されたのは大原千鶴さんの作られた花見弁当(事前に大原千鶴さんと松尾剛アナウンサーが作った)を持って大津 石山寺の芭蕉庵でお花見を愉しんいる場面です。出演者は大原千鶴さんとその友人 桑村祐子さん、永松仁美さん、MC:松尾剛アナウンサーです(桑村祐子さん、永松仁美さんのお店は別途外観を掲載予定)。芭蕉庵は一般には公開されていませんので特別だったとおもいます。

<石山寺(いしやまでら)>
 滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗の寺院。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。当寺は京都府の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。また当寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は、石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。(ウイキペディア参照)

写真は真言宗 石光山 石山寺内の芭蕉庵です。京阪石山坂線石山寺駅で下車して瀬田川右岸を南に徒歩15分程です。京都市内から少し離れているので、人出もそれほどではありません。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「千利休が愛した柳の水」
<其の卅 西洞院通三条下ルの千利休が愛した柳の水を訪ねました>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 夏の味覚編」で井上アナウンサーが訪問した西洞院通三条下ルの千利休が愛した柳の水を訪ねてみました。六角通烏丸の交差点から出発して西洞院通の馬場染工業さんにある「柳の水」まで約400m(6分位)歩いてみました。

<京都市ホームページによると>
”この地は,平安時代末期には崇徳院(1119〜64)の御所があった所で,清泉があり柳水として有名で千利休(1522〜91)も茶の湯に用い,側に柳樹を植え直接陽が射すのを避けたと伝える。近世初期には,織田信長の息信雄(1558〜1630)がこの地に住し,寛永初年に北野五辻に移った後,肥後加藤家京邸となった。貞享年間(1684〜7)以降明治3年(1870)までこの地に徳川御三家の一つ,紀州和歌山藩の京邸があった。この石標は,名水柳の水を示すものである。なお,この地を柳水町というのは,この柳の水に因むものである”とあります。

<柳の水がある「馬場染工業」さんのホームページによると>
”洛中名水の一。 「山城名勝志」によれば上下二ヶ所あり、「上柳水在三条南西洞院東側北隅、下柳水在五条坊門南西洞院下柳水町東側、今絶」と位置が示される。 このうち上柳水は現在の柳水(りゅうすい)町北側と釜座(かまんざ)町西側辺りに比定される。この地は、平安時代末期には崇徳院の御所があったところで、「今鏡」に「新院(崇徳)永治元年十二月九日ぞ三条西ノ洞院へ渡らせ給う、太上天皇の尊号をたてまつらせ給」とある。
また、近世初期には、織田信長の子信雄の屋敷になっていたようで、「雍州府志」は「在西洞院三条南元内府織田信雄公之宅井也、斯水至清冷也、植柳於井上避日色、因号柳水、千利休専賞批水点茶、故茶人無人無不汲之」と記す。「京羽二重織留」も同様の趣旨を掲する。”とあります。

写真は馬場染工業さんの前にある「柳の水」の看板です。「柳の水」自体はこのビルの中にあるようです。残念ながらはいっていません。交通の便が若干悪いところにあります。

 5月の連休明けまでお休みします!

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「エドワード・ヒースローの下宿」
<其の卅一 団時朗さん演じるエドワード・ヒースローの下宿を探す>
 今回は「京都人の密かな愉しみ ごきんとはんな関係編」で団時朗さん演じる洛志社大学文化人類学者エドワード・ヒースローと、後にシャーロット ケイト フォックス演じる洛志社大教授エミリー・コッツフィールドが下宿していた場所を探してみました。この下宿探しは難しくはありませんでした。シャーロット ケイト フォックス演じる洛志社大教授エミリー・コッツフィールドが下宿の二階に居る場面で京町家の前に置かれた水車が見えていたので、Googleで”京都、京町家、水車”で検索したところ一発で分かりました。上京区下立売通智恵光院西入の山中油店の水車でした。この水車の前に下宿があるわけで、その建物は「京まちや平安宮」という文化サロンでした。このサロンは平成20年(2008)に昔のたたずまいに改修していますので、京都ロケには最適な建物になっていたようです。

写真は左に山中油店の水車があり、右側に「京まちや平安宮」があります。この二階から水車が見えていたわけです。

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「甘味処」
<其の卅二 甘味処を探します(大失敗の巻)>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 縁結び編、京都人物語 わたしの大黒さん」で福士誠治さん演じる立岩電機 営業部 村上晃は中村ゆりさん演じる泉涌寺 塔頭 雲龍院のお嬢さん 一柳美里(立岩電機総務部に勤める)と交際を始めようとしています。その時に中村ゆりさん演じる一柳美里と友人(川崎亜沙美さん?)が恋愛話を甘味処でしている場面があります。その甘味処を探してみました。ただ今回は間違いないだろうとおもって六角通の大極殿本舗六角店 栖園を訪ねたのですが、放映された場面と雰囲気は似ていたのですが、一寸違っていました。大失敗でした。

写真は六角通の大極殿本舗六角店 栖園(だいごくでん ろっかくてん せいえん)の琥珀流し(5月は抹茶)です。美味しかったです!

REMOVU K1で撮影しました。テスト撮影でしたがまあまあのできだとおもいます。撮影環境は、RES 1080P/30FPS で基本的に全てAUTOです。ただ Gimbal Settings>Speed>Slow にしています。非常に広角なので、車などがすぐ横を走ると異常に長い車になります。

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「千本釈迦堂のしだれ桜」
<其の卅三 桜の季節の千本釈迦堂を訪ねる>
 「京都人の密かな愉しみ 秋から冬の味覚編」で、千本釈迦堂(大報恩寺)が登場するのは、お釈迦様が悟りを開いたと言われる旧暦の12月8日に開催されていた千本釈迦堂の大根焚きです(現在は12月7日〜8日に開催されているようです)。大根焚き(だいこだき)は御祈祷された厄落としの大根(醤油味)とおあげを食べて諸病封じ、健康増進を祈願するものです。今回は春なので本堂前の阿亀桜というしだれ桜を見ます。この「阿亀桜」の名は、千本釈迦堂建立時に棟梁 長井飛騨守高次の妻「阿亀」(おかめ)が建立に貢献したため名付けられたそうです。

<千本釈迦堂(大報恩寺(だいほうおんじ))>
 京都市上京区にある真言宗智山派の寺院。山号は瑞応山(ずいおうざん)。千本釈迦堂と通称される。おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる。また、智積院能化の隠居所として、護持された。
 鎌倉時代初期の承久3年(1221)、求法上人義空によって創建された。義空は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後、当寺を建立した。室町時代の勧進状によれば、猫間中納言と呼ばれた藤原光隆の従者であった岸高なる人物が境内地を寄進したという。当初は草堂であったが、摂津国尼崎の材木商の寄進を受けて現存する本堂が完成した。昭和26年(1951)、本堂解体修理時に発見された義空の願文により、本堂は安貞元年(1227年)の上棟であることが判明している。『徒然草』228段には「千本の釈迦念仏は文永の比(ころ)如輪上人これを始められけり」と、当寺に言及されている(文永は1264年 - 1275年)。(ウイキペディア参照)

写真は千本釈迦堂(大報恩寺(だいほうおんじ))本堂前の「阿亀桜」という”しだれ桜”です。阿亀桜があまりに綺麗なしだれ桜なのでビックリしました。参拝者が少ないので隠れた桜の名所といったところです。

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「上賀茂神社のしだれ桜」
<其の卅四 桜の季節の上賀茂神社を訪ねる>
 「京都人の密かな愉しみ 月と菊とごちそう編」で、上賀茂神社(賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ))が登場するのは、9月9日の重陽の節句を祝う伝統行事の一つとして、上賀茂神社内で子供相撲を行なっていた場面です。今回は春なので、桜を見たいとおもいます。

<上賀茂神社>
 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族「賀茂氏」の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称されます。賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきました。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名です。(ウイキペディア参照)

写真は上賀茂神社の斎王桜という”しだれ桜”です。左側にもう一本しだれ桜があるのですが、早咲きの御所桜はすでに葉桜となっていました。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「ふたばの豆餅」
<其の卅五 出町 桝形商店街とふたばの豆餅を食す>
 「京都人の密かな愉しみ 秋から冬の味覚編」で、団時朗が演じるエドワード・ヒースローが出町の桝形商店街で買物をします。河原町通側から入って、フードショップゑびす屋と漢方いちじょうじの前を通り、出町なかにし(京つけもの)、おたiョ(お菓子屋)、かね安青果店を見て、いずもや(豆腐屋)で豆腐を一丁買います。そして鮮魚さが喜で秋鯖を生鮨(きずし)にしてもらいます。その後、河原町通側にある「ふたば」で常盤貴子演じる沢藤三八子が栗餅を買う場面に出会うわけです(実際に出会う場面は無い)。この道筋を歩きます。

<出町桝形商店街(でまちますがたしょうてんがい)>
 出町商店街の一角の桝形通にある全長164mのアーケード街で、食料品店や衣料品店を中心に44店舗が軒を連ねる。桝形通は以前は出町通と呼ばれ、周辺には公家や学者が多く暮らしていた。江戸時代から明治にかけては醸造業者や砂糖問屋などが存在したが、小売を行う店舗はほとんど見られなかった。大正13年(1924)頃にこの地に東北市場(のちの出町市場)が開設されると、周辺に食料品店の集積が始まった。第二次世界大戦後の1948年頃、法整備により出町繁栄会発足。昭和36年(1961)には衣料品スーパー「セルフ岸本屋」が開店するなど出町地区の商業の中心となり、八瀬や大原、遠くは滋賀県からも買い物客が訪れるようになった。昭和49年(1974)にはアーケードの建設が決まり、建設および維持管理を目的として、昭和52年(1977)に桝形事業協同組合が設立された。(ウイキペディア参照)

 出町桝形商店街の”桝”の字は、最初変換すると”枡”になります。”桝”と”枡”の違いがよく分からなかったのですが、”桝”は”枡”の俗字のようです。京都らしい地名です。

写真は「ふたば」の豆餅です。3月末に「ふたば」を訪ねて購入したものです。買って直ぐに鴨川の河原で食べてしまいました。観光客か回りで食べている人が結構いました。餅と豆と餡の兼ね合いが素晴らしく、大変美味しくいただきました。近くに住んでいたら毎日買っているとおもいました。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「大原千鶴さんのアトリエ」
<其の卅六 大原千鶴さんのアトリエと宮川町傍のゑびす神社>
 「京都人の密かな愉しみ 月と菊とごちそう編」では、料理研究家 大原千鶴さんと京都と縁の無い男 松尾剛アナウンサーが大原さんのアトリエで料理をつくります。最初、10月20日のえびす講に因んで、はんぺんと九条葱を使ったおつゆをつくります。そこでえびす講からゑびす神社が登場します。ゑびす神社は宮川町の直ぐ傍にあり、西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすの一つだそうです。お参りの仕方が独特ですので、YouTubeを見て頂ければとおもいます。

<大原千鶴さんのアトリエ>
 “BSプレミアム あてなよる「肝で呑む」”で大原千鶴さんの“ラボラトリー“(“月と菊とごちそう編”ではアトリエと表現)が撮影されています。玄関付近の撮影でしたがこれで場所が分かりました。ただ、今回のYouTubeも“BSプレミアム あてなよる「肝で呑む」”と同じレベルの撮影としています。“BSプレミアム あてなよる「肝で呑む」”では大原千鶴さんの“ラボラトリー”を“京都御所の南 閑静な町屋の一角にある意味深な行燈(遇酒且呵呵)を掲げた格子の門、酒好きを擽るこの路地の奥に大原のラボラトリーがある”と表現しています。残念ながら行燈(遇酒且呵呵)は掲げてありませんでした。

<遇酒且呵呵について>
 料理研究家の大原千鶴さんがご自身のラボラトリー(“月と菊とごちそう編”ではアトリエと表現)に付けた名前で、中国五代十国時代の漢詩の『花間集』韋荘の『菩薩蛮』其四の一節です。
勸君今夜須沈醉、樽前莫話明朝事。
珍重主人心、酒深情亦深。
須愁春漏短、莫訴金杯滿。
遇酒且呵呵、人生能幾何?
 “遇酒且呵呵”は、”酒をのむなら、しばし大笑いし、陽気に飲みましょう”位の意味だとおもいます。

<京都ゑびす神社>
 西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。
その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。今日多くの方はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものです。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。(ウイキペディア参照)

写真は大原千鶴さんのアトリエ(ラボラトリー?)とおもわれるところです。“BSプレミアム あてなよる「肝で呑む」”では大原千鶴さんのアトリエを“京都御所の南 閑静な町屋の一角にある意味深な行燈(遇酒且呵呵)を掲げた格子の門、酒好きを擽るこの路地の奥に大原のラボラトリーがある”と表現しています。残念ながら行燈(遇酒且呵呵)は掲げてありませんでした。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「桜の季節の聖護院門跡」
<其の卅七 桜の季節の聖護院門跡を訪ねます>
 「京都人の密かな愉しみ 冬編」では、聖護院門跡の節分行事を撮しています。修験道の本山の節分らしく山伏たちが鬼を払いに集まり、東西南北の邪気を破魔矢で払います。赤黄緑の三匹の鬼が登場するも、福豆と法力に負けた鬼たちは改心し、善鬼に変った鬼たちは一緒に福豆をまきます。

<聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)>
 聖護院は京都府京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山(本庁)の寺院。聖護院門跡とも称する。山号はなし。開基(創立者)は増誉、本尊は不動明王である。日本の修験道における本山派の中心寺院であると共に全国の霞を統括する総本山である。明治5年(1872)の修験道廃止令発布後、一時天台寺門宗に属したが、昭和21年(1946)修験宗(のち本山修験宗)として再び独立して現在に至る。天台宗に属した後も聖護院の格は大本山であった。静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、 代々法親王が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った。明治まで37代を数える門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となった。江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。宮門跡でもあり寺社勢力でもあった。(ウイキペディア参照)

写真は聖護院門跡の門から、しだれ桜を見たものです。節分の行事は入って右側にある宸殿、本殿の前で行なわれるようです。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「桜の季節の半木の道」
<其の卅八 鴨川沿の半木の道と植物園前のロケ地を歩きます>
 「京都人の密かな愉しみ 作法編、鴨川 冬の岸辺編」では、鴨川の飛び石、半木の道(なからぎのみち)と植物園前の並木道を撮しています。残念ながら季節は秋と冬で、半木の道の紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)が咲いた場面は撮影されていませんでした(綾瀬の桜編で義理の母が亡くなったとの電話を受ける場面が半木の道かと思ったのですが、これは違ったようです)。、冬の岸辺編では、戸田菜穂さん演じる小久保(篠田)早苗が東京で離婚して京都の実家に戻ってくるところから始まります。父親と子供と三人で鴨川を散歩して飛び石を渡る場面がこの左側の飛び石です。 又、戸田菜穂さん演じる小久保(篠田)早苗と小沢真珠演じるえっちゃんが二人で半木の道を歩いているシーンがこのあります。植物園前の並木道は作法編で、洛志社大学学生の泉澤祐希さん演じる山崎太一と松永渚さん演じる立花里佳が二人で植物園に向かう場面に使われています。時期が紅葉の季節で、木々が紅葉に染まっているけやき並木を植物園正門に向かって歩いています。紅葉の季節とは違いますが雰囲気を味わって頂ければとおもいます。半木の道の由来は植物園内に半木神社があり、そこから名付けられたようです。

写真は鴨川沿の半木の道から、北を撮影したものです。紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)が満開です。この紅枝垂桜は昭和47年頃から植樹を始めていますので、比較的新しいです。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「荒神橋下の鴨川縁のベンチ」
<其の卅九 二人が出会った荒神橋下の鴨川縁のベンチを探します>
 「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白 月待ち編」では、本上まなみさん演じる鵠沼待子が荒神橋の上で、安藤政信さん演じる二宮聖が鴨川縁のベンチで能管(のうかん)を吹いているところを見かけます。鴨川縁のベンチで二人は出会い、その後ここで度々会います。お弁当を作って持って行ったりしますが最後は何も起らず分かれてしまいます。本上まなみさんの美しさで一寸した恋のときめきがあるお話しでした。。残念ながら季節は秋で、桜は映っていませんでしたが、今回は桜の季節に撮影しました。少し華やかになったとおもいます。恋が成就しない季節は秋なのかもしれません。荒神橋が暫く工事中だったのですが、工事が終って欄干を見てみたら、以前の欄干と変ってしまっていました。アルミかステンレスの細い欄干に変っています。趣が変ってしまって残念です。下流側の欄干はそのままのようです。

写真は荒神橋下の鴨川縁の撮影に使われたベンチです。真ん中の木の手前にベンチが二つありますが、木の傍のベンチが撮影につかわれています。三回くらい撮影に来たのですが、いつ来ても何方かが座っています。有名なのかもしれません。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「吉田神社」
<其の四十 吉田神社と有職人形司 大橋弌峰さんのお店>
 「京都人の密かな愉しみ 冬編」で放映された吉田神社を立て看板で有名な東山東一条の交差点から京都大学を通って訪ねます(撮影は2018年3月末で立て看板はまだ撤去されていませんでした)。有職人形司 大橋弌峰さんが毎年節分には吉田神社に参拝するところ、家でまく福豆を頂いて帰るところ、人形を作っているところ、家で豆をまいているところが放映されています。家では人形ににおいが移らないよう魔除けの鰯は焼かないそうです(Blue編 料亭「萩坂」で鰯の頭が登場しています)。吉田神社の節分祭は約800店の露店がでて約50万人が訪れる一大行事です。

吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。二十二社(下八社)の一社。貞観元年(859)藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まります。鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになります。室町時代末期の文明年間には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484)境内に末社・斎場所大元宮を建立します。寛永5年(1665)江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていました。(ウイキペディア参照)

写真は吉田神社です。東山東一条の交差点から京都大学を通って東に歩きます。小高い吉田山の中腹にあります。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「千本ゑんま堂(引接寺)」
<其の四十一 ご本尊が閻魔さまという千本ゑんま堂(引接寺)を訪ねる>
 「京都人の密かな愉しみ 冬編」では千本ゑんま堂の節分祭の様子が放映されています。千本ゑんま堂では節分祭で「福は内 鬼も内」と唱えながら福豆をまきます。嘘をついた人間の舌を抜くという閻魔さま、舌に見立てたこんにゃく炊きが参拝客にふるまわれます。

 引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区閻魔前町にある、高野山真言宗に属する寺院です。一般には千本ゑんま堂(せんぼん えんまどう)の通称で知られています。春の念仏狂言が有名です。引接とは、仏が衆生を浄土に往生させること。その名の通りこの寺は、かつての京都の3大墓地であった化野、鳥辺野、蓮台野(れんだいの)の一つである蓮台野(今宮神社の西側)の入り口に立っています。現在でも地獄の裁判官である閻魔の像を祀り、「悪いことをするな」「嘘をついてはいけない」という子供らへの教戒の場となっています。寺務所では「えんま様のお目こぼし」というかき餅も売られています。

 引接寺(いんじょうじ)の歴史は寛仁年間(1017 – 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝えられています。現世と冥土を行き来して、閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(おののたかむら)を開基に仮託する説もあります。安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、1565年当時の本寺の境内の様子が記されている。又、天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられている国宝《洛中洛外図屏風》の左隻右上に「千本ゑんま堂」が描かれている。(ウイキペディア参照)

写真は千本ゑんま堂(引接寺(いんじょうじ))です。見ると普通のお寺ですが、なかなか奥の深いお寺です。小野篁卿(おののたかむら)が関係するとなると、何やらきな臭い匂いがしてきます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「頂法寺(六角堂)」
<其の四十二 菊に縁のあるお寺 池坊、六角堂を訪ねる>
 「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白 月と菊とごちそう編」では京都生活一年半 井上あさひアナウンサーが紫雲山 頂法寺(六角堂)を訪ね、縁起物の菊酒を頂いたり、生け花をしたりしています。

 頂法寺(ちょうほうじ)は、京都市中京区堂之前町にある天台宗系単立の仏教寺院。山号は紫雲山。本尊は如意輪観音(秘仏)。西国三十三所第十八番札所。正式の寺号は頂法寺(山号を冠して紫雲山頂法寺)であるが、本堂が平面六角形であることから、一般には「六角堂」の通称で知られる。華道、池坊の発祥の地としても知られる。
 この寺の本堂である六角堂は寺内塔頭で、頂法寺の本坊にあたる池坊が執行として代々経営・管理に当たってきた。聖徳太子の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えたことが華道の由来とされ、その寺坊が池のほとりにあったことから「池坊」と呼ばれている。ただし、前述の縁起類には、聖徳太子が沐浴した池にちなんで寺坊を「池坊」と号したことと、小野妹子を寺主としたことは述べられているが、妹子と華道の関係については述べていない。小野妹子を華道の道祖とするのは、史料で知られる限りでは近世以降のことである。(ウイキペディア参照)

写真は紫雲山 頂法寺(六角堂)です(今回からYouTubeのサムネイルと同じ画像を使用しています)。池坊の僧は、頂法寺の住持として本尊の如意輪観音に花を供えることとなっており、花の生け方に別格の妙技を見せることで評判となっていたことが15世紀の記録に残されている。文明年間(1469年-1486年)に池坊12世専慶が立花(たてばな)の名手として知られ、ここから池坊としての立花が生じ、天文年間(1532年-1555年)には、池坊13世専応が度々宮中に招かれて花を立て、また「池坊専応口伝」を表して立花の理論と技術を初めて総合的に体系化した。(ウイキペディア参照)

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「祢ざめ家のおいなりさん」
<其の四十三 伏見稲荷とおいなりさん(上)>
 「京都人の密かな愉しみ 冬編」では、伏見稲荷参道近くの「祢ざめ家(ねざめや)」の店頭で“おいなりさんとさば寿し”を食べている場面が放映されています。

 <祢ざめ家(ねざめや) 創業1540年>
 豊臣秀吉に名付けられた和食店。昭和初期に建てられた懐かしい雰囲気の2階建てレストラン。うなぎ丼、いなり寿司、うずら焼きなどが名物 祢ざめ家の名をつけたのは、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。秀吉が、母の健康を祈願するため、朝早く伏見稲荷大社を訪れたときに、さかのぼります。参拝を終えた秀吉が休憩しようとしましたが、早朝のため、どのお店もあいていません。ただ当店だけが店をあけており、ここでお茶を飲んだ秀吉は、たいそう喜んだそうです。そこで秀吉は、店に「ねざめや」という屋号をつけ、しかも「ね」の文字には妻の“祢々(ねね)”の「袮」を与えました。500年経った今でも、袮ざめ家は変わらず、この地で伏見稲荷大社の参拝客をお迎えしています。(ホームページより)

写真は伏見稲荷参道近くの「祢ざめ家(ねざめや)」のおいなりさんと巻き寿司のセットです。少々お高くて千円です。お客様はほとんどフォリナーです。

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「千本鳥居」
<其の四十三 伏見稲荷とおいなりさん(下)>
 「京都人の密かな愉しみ 冬編」では、伏見稲荷参道近くの「祢ざめ家(ねざめや)」や伏見稲荷大社の宝珠をくわえたきつね、稲穂をくわえたきつね、初午大祭の様子などが放映されていました。この場所を探してみました。

 <伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)>
 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都府京都市伏見区深草にある神社。旧称は稲荷神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。
 又、伏見稲荷大社は近年外国人観光客からも観光地として人気があり、トリップアドバイザーによる「外国人に人気の日本の観光スポット」調査では2014年から2017年まで4年連続で1位となっている。これは、駅のごく近くに赤い鳥居が続く風景が非常に日本的な上、拝観料不要で閉門時間が無いことも理由であり、稲荷山のお山巡りで欧米人が好むウォーキングができることも高評価の理由とされる。平日のほとんどの日で外国人観光客の方が日本人よりも多くなっており、夕暮れのあとも稲荷山に登る外国人が多くなっている。なお、本殿付近はライトアップされており、稲荷山への参道も脇道以外は全区間で街灯が1晩中点灯されているため、夜間の参拝は容易である。

写真は伏見稲荷の千本鳥居です。撮影はしましたが、平日でしたが人(フォリナー)が多くて絵になりませんでした。よっぽど朝早く行かないと良い写真は撮れないようです。

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「昂 -KYOTO-」
<其の四十四 永松仁美さんの祇園のお店を探す>
 「京都人の密かな愉しみ 桜散る編、甘くて苦い春の味覚編」では、大津 石光山の芭蕉庵で大原千鶴さんの作られた花見弁当を持ってお花見を愉しんいる場面に、大原千鶴さんとその友人 桑村祐子さん、永松仁美さんが出演されていました。桑村祐子さんは高台寺和久傳で紹介しましたので、今回は永松仁美さんのお店を探してみます。

 <永松仁美さんのお店>
 永松仁美さん(実家はてっさい堂)は平成20年(2008)に古門前通の「てっさい堂」の斜め前に「tessaido annex 昂」のお店を出しています。平成24年(2012)には新しい名前の「昂 -KYOTO-」で祇園の中にお店を移転しています。

写真は東山区祇園町南側 ZENビルです。このビルの2Fに永松仁美さんの「昂 -KYOTO-」があります。IFは鍵善良房のカフェがあります。昔、一度来たことがあります。

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「松原通 六道の辻付近」
<其の四十五 松原通の六道の辻付近を歩く>
 「京都人の密かな愉しみ 冬編、月夜の告白編」では、松原通の“観光客の少ない小さな町の寺”と、“三方(さんぽう)を作る神具店”が紹介されていました。このお寺とお店を探します。出発は松原橋(高瀬川)からで、松原通を東に進みます。直ぐに松原橋(鴨川)を渡ります。松原通は平安時代の五條大路であり、清水寺の参道でもあったことから、人の往来が多く、大変賑わった都の目抜き通りであったようです。豊臣秀吉が方広寺の大仏を造営するにあたり、この地に架かっていた橋を六条坊門小路(現在の五條通)に付け替え、五条大橋と称したため、以降、この橋は松原橋と呼ばれるようになったようです。安土・桃山時代以前はこの松原橋(旧五条橋)が架かる鴨川の中島(当時は今より川幅も広く、中島があったそうです)に法城寺があり、安倍晴明の塚があったのですが豊臣秀吉によって廃寺にされたそうです。この辺りのお話は別途掲載したいとおもっています。松原橋(鴨川)を渡った後は、宮川町、大和大路を横切って少し歩くと左側に愛宕念仏寺元地の碑があります。もう少し歩くと右側に“観光客の少ない小さな町の寺”として紹介されいた「西福寺」があります。西福寺の角に「六道之辻」があります。西福寺の門前には「菱六 もやし」、右側に「みなとや 幽霊子育飴本舗」があります。どちらも有名なお店です。更にもう少し東に進むと、右側に三方(さんぽう)を作るところを紹介された「榊原神具店」があります。旧暦8月15日の中秋の名月、旧暦9月13日の後の名月等でおそない物を乗せるのが三方(さんぼう)です。このお店は四代120年、神具を作る続けているそうです。すごい!!、あとは六道珍皇寺の門前まで歩きます。この門前にも「六道の辻」の碑があります。

写真は西福寺の門前です。左に「六道之辻」の碑があります。松原通を右に行くと鴨川、左に行くと六道珍皇寺です。

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「高瀬川の「一之舟入」付近」
<其の四十六 高瀬川の「一之舟入」を訪ねます>
 「京都人の密かな愉しみ 夏編、水の美学編」では、団時朗さんが演じる文化人類学者 エドワード ヒースローが「一之舟入(いちのふないり)」の橋の上に立って高瀬川を眺めているカットがあります、このカットの場面を訪ねてみます。現在の高瀬川はみそそぎ川から取水していますが、戦前の高瀬川は二条大橋の鴨川から直接取水していました。昭和22年に完成した鴨川の改修工事で、西側に残る水路(みそそぎ川)の高さから鴨川は2m近く河道が掘り下げられてしまい、直接取水できなくなります。そこでみそそぎ川を作り、上流で取水して高瀬川の取水口まで水が流れるようにしたものです。みそそぎ川は加茂大橋下流で鴨川から取水され二条大橋で高瀬川に分流されています。

<高瀬川(たかせがわ)>
 江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。 現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。 高瀬川は、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流)から取水する。二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で鴨川に合流する。 かつて、京都と伏見を結ぶ運河であった頃は、現在の鴨川合流点のやや上流側で鴨川を東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行、濠川と合流し伏見港を経て宇治川に合流していた。(ウイキペディア参照)

写真は高瀬川の「一之舟入(いちのふないり)」です。高瀬川の始まりです。この付近には角倉了以(すみのくら りょうい)の邸宅、別邸、島津製作所創業の地もあり、木屋町も二条辺りに来るとぐっと落ち着いた雰囲気になります。

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「嵐山 千光寺(大悲閣)」
<其の四十七 渡月橋から大堰川(桂川のこの付近の名称)を溯って千光寺(大悲閣)を訪ねる>
 「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白」で紹介された渡月橋から大堰川(桂川のこの付近の名称)を溯って千光寺(大悲閣)を訪ねます。「京都人の密かな愉しみ」では、“京都を代表する景勝地 嵐山、しかし皆さんは大井川(大堰川)の上流 この奥の方の山の上にお寺があることご存知でしょうか、千光寺という小さな山寺です。大悲閣の通称で呼ばれています。渡月橋から川沿いを溯ること20分、少し不安になし始める頃に現れる急な石段を登ること10分、ようやく小さなお堂にたどり着きます。そこに広がるのは静けさと絶景” と紹介されています。なかなかの紹介文です。嵐山を訪ねる人は多いですが、この千光寺(大悲閣)を訪ねる人はほとんどいません。

<戸無瀬の滝>
 戸無瀬の滝は渡月橋の上流にあり、嵐山から大井川(大堰川)に流れ落ちる滝で、天龍寺蔵王権現堂の背後に位置していた。藤原定家の息子の為家が「雲かかる山の高根の夕立に戸無瀬の瀧の音まさるなり」と歌に詠んでいる。この滝は、江戸時代の初めに角倉了以によって行なわれた保津川の開削工事によりその多くが削り去られたと言われている。…(京都市)

<大堰川(おおいがわ)>
 『山城国風土記』(逸文)や『日本後紀』によると、京都盆地流入以南の桂川は、古くは「葛野川(かどのがわ、葛野河)」と称されていた。その後、嵐山周辺および上流域では「大堰川」または「大井川」(大堰と大井は同義)、嵐山下流域以南では「桂川」または「葛河(かつらがわ)」と称されるようになった。『土佐日記』では「桂川」、『日本紀略』では「大堰川」、『徒然草』では「大井川」の記載が見える。うち『徒然草』の第51段では、嵯峨野の亀山殿に大井川から水を引く様子を伝えている。『雍州府志』では、川の西に「桂の里」が有ることから嵯峨より南の下流域を「桂川」と呼ぶようになったとあり、それより上流にあたる嵐山流域を「大井川」としている。 平安京造営の時、現在の右京区京北町の木材を京都に運搬するなど、桂川の流れは丹波と山城、摂津の木材輸送によく用いられた。17世紀に入ると嵐山の豪商であり政商の角倉了以が桂川を開削し、現在の丹波町与木村から下流の淀や大坂まで通じることになったため、船運が発達した。園部・保津・山本・嵐山・梅津・桂津などは湊町として栄えた。(ウイキペディア参照)

写真は嵐山 千光寺(大悲閣)から京都市内を見たものです。渡月橋から川の右岸を1.2Km、20分位上がります。途中に「戸無瀬の滝」がありますが、現在は小さな滝になっています。旅館「星のや京都」まで行くと、ここから10分の上りです。これがかなりキツかったです。

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「大河内山荘の月見台「月下亭」」
<其の四十八 京都市内を一望できる大河内山荘の月見台「月下亭」を訪ねる>
 「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白」で紹介された京都市内を一望できる大河内山荘の月見台「月下亭(げっかてい)」を訪ねます。
 「京都人の密かな愉しみ 月夜の告白」では「月下亭」を
 比叡山を含む三十六峰が見渡せる絶景
 このフレームの中に月が出る
 “丹下左膳”の観た名月
 と紹介されています。
 残念ながら、夜は閉まっていて入れません。

<大河内山荘(おおこうちさんそう)>
 京都市右京区嵯峨にある日本庭園。時代劇などで知られる俳優大河内傳次郎が別荘として造営した回遊式庭園である。 入場者には抹茶と茶菓子のサービスがある。茶菓子は「大河内山荘」と刻印されたモナカで、これは土産として販売もされている。 昭和9年(1931)、傳次郎34歳のとき、当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追究するため自身で設計しこの庭の造営を始めた。映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと作り上げたものである。 場所は小倉百人一首でも知られる小倉山の南東面、嵐山公園(亀山公園)に挟まれた約2万平方メートルの荒地であったところに位置している。東の嵐山、遠くは比叡山、西の保津峡を借景にした回遊式であり庭師広瀬利兵衛とともに造営を行った。 (ウイキペディア参照)

写真は大河内山荘の月見台「月下亭(げっかてい)」から京都市内を見たものです。「月下亭」の枠(フレーム)から京都市内を見たものです。この枠に月が入ったら素晴らしい景色になるとおもいます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。