●「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を歩く -2- (YouTube)
    (廿七版以前は”「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を歩く -1-”を参照)
    廿七版2018年3月31日  <V01L01> 其の廿三 嵐山 法輪寺を訪ねる 暫定版
    廿七版2018年4月7日  <V01L01> 其の廿三(桜の季節編) 嵐山 法輪寺を訪ねる 暫定版
    廿八版2018年4月8日  <V01L01> 其の廿四 桜散る編 つかみ部分で登場する本満寺のしだれ桜を訪ねる 暫定版
    廿九版2018年4月11日  <V01L01> 其の廿五 桜散る編 本法寺の桜を訪ねる 暫定版
    卅版2018年4月13日  <V01L01> 其の廿六 小川通のロケ地を探す 暫定版
    卅版2018年4月17日  <V01L01> 其の廿七 千枚漬けの「大藤」を訪ねる 暫定版
    卅版2018年4月20日  <V01L01> 其の廿八 銀粉蝶演じる沢藤鶴子が良縁を祈願した祠を探します 暫定版

 「京都人の密かな愉しみ」はNHK BSプレミアムで2015年から不定期で数回に分けて放送されたドラマです。このドラマは常盤貴子主演で、観光旅行では見えにくい京都人の生活や文化を、観光地ではない隠れた風景をロケ地に使ってコミカルに描いています。常盤貴子の着物姿が京都とマッチして素晴らしいです。今回は動画(YouTube)で紹介します。


「法輪寺 山門と階段」
<其の廿三 嵐山 法輪寺を訪ねる>
 今回は「京都人の密かな愉しみ」の秋編 月と菊とごちそう編で登場しています嵐山 法輪寺を訪ねました。京福電気鉄道嵐山本線の終点 嵐山駅で下車、渡月橋を渡って嵐山に向かいます。駅を降りてビックリしたのは観光客の多さです。二月の平日の寒い日だったのでほとんど人はいないんじゃないかとおもっていましたが、物凄い人数の観光客でした。なんでこの寒いときに来るのかなとおもいます。暖かくなったときの人出はどうなるのかなとおもってしまいました。ただ、渡月橋を過ぎて少し歩くと観光客はほとんどいなくなりました。嵐山駅近くの狭い範囲に観光客はいるようです。

<法輪寺(ほうりんじ)>
京都市西京区にある仏教寺院。山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属する。虚空蔵法輪寺や嵯峨虚空蔵と通称される。名勝嵐山の中腹に位置する。本尊の虚空蔵菩薩は「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれ、奥州会津柳津の円蔵寺、伊勢の朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称される。古くは『今昔物語集』・『枕草子』・『平家物語』などにその名が見え、知恵、芸事の上達、また丑年・寅年生まれの守り本尊として信仰を集める。十三詣りや針供養、うるし祖神の寺としても著名である。寺伝によれば、和銅6年(713年)、行基が元明天皇の勅願により、国家安穏、五穀豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺(かづのいでら)として建立したとされる。その後、天長6年(829年)、空海の弟子にあたる道昌が、虚空蔵菩薩像を安置し、貞観10年(868年)、寺号を法輪寺と称したという。室町時代、応仁の乱により罹災し、江戸時代、後陽成天皇により再建されるが、幕末、元治元年(1864年)の禁門の変により、再度罹災している。(ウイキペディア参照)


写真は法輪寺の山門と108段の階段です。「京都人の密かな愉しみ」で法輪寺が放映されたのは重陽のお祭りです。重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のことで、旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれています。陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれています。陽の重なりを吉祥とする考えになってから祝い事となったものです。菊酒を飲み、厄を祓い長寿を願って、「菊の被綿(きせわた)」という、前夜に菊に被せた綿に降りた露で身体を拭くと、長寿になると伝えられています。また、重陽の日に摘んだ菊の花を乾燥させ枕に詰めた「菊枕」は、菊の香りで長寿になると伝えられています。(ウイキペディア他参照)

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「法輪寺 舞台からの展望」
<其の廿三(桜の季節編) 嵐山 桜の季節に法輪寺を訪ねる>
 今回は上記の”嵐山 法輪寺を訪ねる”で、桜の季節に再度訪ねました。前回、法輪寺の舞台が工事中で入れなかったので、その撮影も兼ねました。撮影日は3月29日(木)で、平日でしたが、ものすごい人出でした。ただ、渡月橋を渡って法輪寺に近づくと、人はほとんどいなくなります。観光客は中之島までのようです。

 <今回から撮影機材を変更しました>
・ジンバル:Zhiyun Crane Plus
・カメラ:SONY α6500

<法輪寺(ほうりんじ) 前回と同じ>
京都市西京区にある仏教寺院。山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属する。虚空蔵法輪寺や嵯峨虚空蔵と通称される。名勝嵐山の中腹に位置する。本尊の虚空蔵菩薩は「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれ、奥州会津柳津の円蔵寺、伊勢の朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称される。古くは『今昔物語集』・『枕草子』・『平家物語』などにその名が見え、知恵、芸事の上達、また丑年・寅年生まれの守り本尊として信仰を集める。十三詣りや針供養、うるし祖神の寺としても著名である。寺伝によれば、和銅6年(713年)、行基が元明天皇の勅願により、国家安穏、五穀豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺(かづのいでら)として建立したとされる。その後、天長6年(829年)、空海の弟子にあたる道昌が、虚空蔵菩薩像を安置し、貞観10年(868年)、寺号を法輪寺と称したという。室町時代、応仁の乱により罹災し、江戸時代、後陽成天皇により再建されるが、幕末、元治元年(1864年)の禁門の変により、再度罹災している。(ウイキペディア参照)


写真は法輪寺の舞台から眺めた渡月橋方面です。桜とマッチして綺麗な風景です。「十三詣り」が始まっていました。「十三詣り」は虚空蔵が”智恵授けのみほとけ”なので、数えで十三歳になった子供が4月13日にお参りする慣わしです。「帰り道に渡月橋でうしろ見たらダメ」という言い伝えがあり、ほんとは賢かったのにあの時振り返ったからという笑い話もあるようです。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「本満寺のしだれ桜」
<其の廿四 桜散る編のつかみ部分で登場する本満寺のしだれ桜>
 やっと桜の季節になって”桜散る編”のロケ地を回れるようになりました。今回は「京都人の密かな愉しみ 桜散る編」のつかみ部分で登場しています本満寺のしだれ桜を訪ねました。京阪出町柳駅から歩いて約700m程の距離です。途中に「枡形商店街」や豆餅の「出町ふたば」もあります。こちらは別途掲載予定です。

<本満寺(ほんまんじ)>
日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は広布山(広宣流布山)。塔頭が四院ある(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)。応永17年(1410)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白・近衛道嗣の子)が開基。当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。天文5年(1536)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない天文8年(1539)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、天文14年(1545)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、天正18年(1590)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。万治4年(1751)徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府祈願所となった。近世にはたびたび火災に遭っており、寛文元年(1661)の火災、宝永5年(1708)の宝永の大火、天明8年(1788)の天明の大火により焼失するが、その都度再建されている。本堂は明治44年(1911)2月8日にも焼失し、昭和2年(1927)に再建された。現住は62世伊丹日章貫首(大阪市雲雷寺より晋山)。莚師法縁(隆源会)縁頭本山。(ウイキペディア参照)


写真は本満寺のしだれ桜です。”素晴らしい”の一言です。観光客も少なく、拝観料も取られません。円山公園等に比べて桜の本数は比較になりませんが美しさはピカイチではないかとおもいます。来年は是非とも見て頂きたい桜の一本です。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「本法寺の桜」
<其の廿五 本法寺の桜を訪ねます>
 桜の季節のロケ地巡りの第二弾です。今回は「京都人の密かな愉しみ 桜散る編」で、常盤貴子演じる沢藤三八子と石丸幹二演じる三上の恋の別れと再会の場面に使われていた本法寺の満開の桜を訪ねます。「京都人の密かな愉しみ」で最も盛り上がる場面ですね。常盤貴子演じる沢藤三八子が菓子職人だった三上と再会して無事パリに旅立つハッピイエンドのストーリーが良かったです。

<本法寺(ほんぽうじ)>
日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は叡昌山。塔頭が三院ある。本法寺は寺伝によれば、永享8年(1436)日親が本阿弥清信の帰依を得て創建。当初は東洞院綾小路(現・京都市下京区)にあった。日親は永享12年(1440)足利義教の怒りを買い投獄されたが、翌年赦免された。日親は寛正3年(1463)にも投獄され、寺は破却されたが、翌年赦免され、寺は三条万里小路(さんじょうまでのこうじ、現在の中京区三条柳馬場)に再建された。天文5年(1536)本法寺は洛中の他の法華系寺院とともに天文法華の乱で焼失し、堺に避難した。天文11年(1542)後奈良天皇は、法華宗帰洛の綸旨を下し、本法寺は一条堀川に再建された。天正15年(1587)豊臣秀吉の命により、現在の地に移転している。天明8年(1788)天明の大火により焼失したが、その後再建された。(ウイキペディア参照)


写真は本法寺の満開の桜です。ここも”素晴らしい”の一言です。観光客もほとんどおらず、拝観料もありません。来年は是非とも見て頂きたい桜の一本です。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「小川通の撮影に使われた京町家」
<其の廿六 小川通の撮影に使われた京町家を探します>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 冬編」で、銀粉蝶演じる沢藤鶴子(母親役)とシャーロット ケイト フォックス演じる洛志社大教授エミリー・コッツフィールドが出会う場面に使われたロケ地を探しました。この場所がなかなか分からず苦労しました。見つけたポイントは「中村三之助」と「鴨井歯科医院」という看板が映り込んでいたからです。現在は「中村三之助」という看板のみで、「鴨井歯科医院」という看板は無くなっていました。

写真は上京区挽木町附近の小川通にある京町家です。この前で撮影が行なわれています。この附近はバックに大きな建物がなく、本当に綺麗な京町家の並びで撮影が出来ます。こんなところがまだ良く残っていたとおもいます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「千枚漬けの大藤」
<其の廿七 千枚漬けの「大藤(だいとう)」を訪ねます>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 冬編」で、NHK 京都生活一年目 井上あさひアナウンサーが大藤を訪ねて、千枚漬の作り方を学ぶ場面がありますが、その「大藤」を錦市場の東端 寺町通から訪ねてみました。千枚漬けも買ってみましたが、ここの千枚漬けは絶品です。今まで食べた千枚漬けは何だったんだろうとおもいました、美味いの一言です! ただ、「大藤」の千枚漬けは季節物で、10月頃から3月頃までで、残念ながら今の時期は販売しておりません。秋までお待ちください。東京では新宿伊勢丹 地下1階 粋の座 「料亭・名店の味」に「大藤」のコーナーがあります。コーナーが小さいのでよく見て探してください。

写真は京都市中京区麸屋町通錦下ルの千枚漬けの「大藤」です。建物は昔の京町家です。残念だったのはホームページの住所表記が”麸屋町通り”と、通の名前に”り”を入れていることです。京都では通の名前には”り”を入れないのが正しい表記です(”下る”も”下ル”が正解)。多分、ホームページの作成は外注していて、作成者が京都の人ではなくて、そのことを知らないのだとおもいます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。

「上七軒の祠」
<其の廿八 銀粉蝶演じる沢藤鶴子が良縁を祈願した祠を探します>
 今回は「京都人の密かな愉しみ 縁結び編」で、銀粉蝶演じる沢藤鶴子が常盤貴子演じる沢藤三八子の良縁を祈願した祠を探します。その場面の映像を見ると、細い路地の三叉路の正面に祠があり、路面は石畳(ここがポイント)です。京都で路面が石畳なのは花街と下河原付近等のごく一部です(回りの風景も花街風)。仕方が無いのでGoogleのストリートビューで”細い路地の三叉路”を探すことにしました(東京在住のため)。最初、宮川町だろうとおもって探したのですが見当たらず、祇園、先斗町、上七軒と探していったところ、上七軒で見つけることができました。かなりの時間 Google のストリートビューを見続けました。訪ねた時は3月末で”北野をどり”の時期だったので上七軒歌舞練場を訪ねています。五千円弱だったのですが懐具合が寂しく一寸入れませんでした。

写真は京都市上京区真盛町742付近の撮影に使われた祠です。上七軒芸妓組合の南側と言った方が分かりやすいです。この祠は最初お稲荷さんかと思ったのですが、達磨大明神と書いた提灯があり、禅宗関連の祠とおもわれます。

 今回はテスト的に動画にしました。写真をクリックすると、YouTubeにリンクしてありますので、動画をお楽しみください。