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最終更新日:2018年06月07日


●村上龍の新宿を歩く
  初版2004年4月3日
  二版2010年8月13日
<V01L01> 「あいうえお」を修正・写真を入替

 今週は「小説家の新宿を歩く」の四週目で、すこしネタ切れになってきました。「村上龍を歩く」が中途半端になっていましたので、今週は「村上龍の新宿を歩く」を掲載します。違うお店を紹介するのが大変です。

<映画小説集>
 「中上健次VS.村上龍、俺たちの船は、動かぬ霧の中を、纜を解いて」の中に新宿の朝の風景が書かれています。「中上健次氏と二人で、夜明けの新宿を歩いたことがある。群像新人賞の受賞パーティーで一晩飲みあかし、迎えた朝だった。最後のバーで、「じゃあ僕、お先に一人で帰ります」と、別れ、本当に一人でトボトボと西武新宿の駅まで歩いていたのだった。その日は、絶対に、誰かからタクシーで送ってもらったりせずに一人で電車で帰ろうと心に決めていた。受賞パーティーの華やかさや、銀座のおねえさん達の微笑みで、これでは自分がダメになる、一人で歩いて考えてみようと、決心していたからだ。そうやって歩いていると、中上さんが後から、「こらー、村上!」と声をかけたのだった。中上さんにしてみれば、こんな時に一人で歩く僕を不憫に思ってくれたのかも知れない。とにかく、二人でしばらく歩いた。何を話したのかは憶えていない。ただ、その時の気分は忘れない。いい気分だった。……」。このころ、村上龍は西武新宿線の新井薬師前駅の近くに住んでいました。下井草、田無と西武新宿線沿線に住む事がおおかったようです。

【村上龍】
昭和27年(1952)長崎県佐世保生れ。学校教師の長男。佐世保北高校卒業後、45年上京、横田基地近くの福生に住む。47年:武蔵野美術大学入学、現在、造形学部基礎デザイン科在学中。「限りなく透明に近いブルー」で第19回群像新人文学賞を受賞した。本名村上龍之介 (講談社「限りなく透明に近いブルー」より)

左上の写真は村上龍の「映画小説集」の初版本です。村上龍の「69」が、高校時代の小説としたら、「映画小説集」は、東京に出てきてからの小説です。当然、新宿が数多く書かれています。

村上龍の東京 年表(一部推定)

和  暦

西暦

年    表

年齢

村上龍の足跡

作 品
昭和45年
1970
大阪万博
三島由紀夫割腹自決
17
4月3日 上京「美学校」に入学
西荻窪のアパートに転居
10月 東京都下の福生に転居
 
昭和47年
1972
日中共同声明
19
2月 西武新宿線下井草に転居
4月 武蔵野美術大学に入学
10月 東京都田無市に転居
 
昭和51年
1976
ロッキード事件
毛沢東死去
23
4月 中野区上高田に転居
4月 「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞を受賞
7月 同作品で第75回芥川賞も受賞
9月 高橋たづ子さんと結婚
限りなく透明に近いブルー

御苑の傍にある画材屋>
 村上龍はひとりの女性と画材屋で知り合います。「…私には定期的に会う女性がいた。ひどく痩せた女で名前はヨウコといった。知り合ったのは、御苑の傍にある画材屋だ。丸の内あたりのOLで、趣味で油絵を描いているそうでキャンバスを買いに来ていた。……何を描くんですか? と私は声をかけた。ヨウコは私を無視しようとした。何を描くの?と私はまた聞いた。ヨウコは私の爪先から髪までゆつくりと眺めた後に、何を描くか迷っているわけじやないのよ、と言った。……ヨウコは二十号のキャンバスを選び、私達は梅雨の晴間の蒸し暑い新宿御苑を散歩した。…」。新宿御苑のそばの画材屋といえば、もうここしかありません。世界堂です。また、この世界堂の裏のバーについて書いています。「…映画の後、新宿御苑の傍にある小さなバーに行って、キミコはウイスキーのオン・ザ・ロックをダブルで頼み、私にそう聞いた。そのバーは『ビザール』という名前で、ヨウコという女との出会いの場所である画材屋の裏手にあった。…」。ピザールというと、ひらがなの「ぴざーる」がビートたけしがアルバイトをしていたお店ですが、所在が違います(「ビートたけしの新宿を歩く」を参照)。世界堂の裏のお店といえば「あいうえお」だったのですが、何方の事をいいたかったかは本人しか分かりませんね。(「あいうえお」は現在も営業されています)

左上の写真が新宿御苑のそばの「世界堂」です。非常に大きなお店で、画材関係ならなんでも揃うお店です。

ラバーソウル(ソール・イート)>
 村上龍はジャズというよりはロックのほうに興味があったようです。「…新宿の、厚生年金ホールの向かい側にそのロック喫茶はあった。ビートルズのアルバムにもある『ラバーソウル』という名前だった。私は西九州の基地の街から上京してくるとすぐにその店に通うようになった。ヒッピーと呼ばれる髪の長い人間の溜まり場だったし、沖縄や横田や横須賀からドラッグのディーラーも集まって来ていた。上京してから二カ月程は、吉祥寺の井之頭公園のすぐ傍のアパートに高校時代の仲間と住んでいたが、もともと共同で生活できる性質ではなかったので、『ラバーソウル』で一晩を過ごすことも多かった。『ラバーソウル』ではビールやコーラ一杯で十時間以上店に居ることができたのである。……『ラバーソウル』は地下一階にあって、店内はかなり広くソファや椅子が不規則に置いてあり、テーブルの替わりに白く塗った正方形の木の箱があったが、深夜になって混んでくると、客は箱の上や床などどこにでも坐わることができた。…」。「映画小説集」ではお店の名前が「ラバーソウル」となっていますが、新宿の厚生年金会館の前のロック喫茶といえば当然「ソール・イート」ですね。このお店を知らないひとは昭和40年代を語れません。

右の写真の横断歩道の前のビルに「ソール・イート」がありました。当然、道路をはさんで反対側は厚生年金会館です。現在は一階が中華料理屋、二階は病院、地階はTHEATERになっていました。

小便横丁>
 五木寛之で「新宿西口七福小路」が出てきましたが、今回は「新宿西口小便横町」です。小便横町は俗称としておいて、正式には「思い出横町」です。「…新宿に着くと、西口のガード下にある一杯飲み屋に向かった。ゴミゴミして汚なくてでもワクワクするようなところで何か食ペて飲みましょう、とキミコが言ったからだ。そういう場所以外のバーもレストランも知らなかったので私はホッとした。俗に小便横丁と呼ばれていたその一角の、長いカウンターだけのゲイカツ屋に入った。夕方の六時過ぎだったがほとんど満席だった。ゲイカツとは鯨のカツレツのことだ。その他にもいろいろなメニューがあって、私達はヤキトリや冷奴やニラレバ妙めを食べ、焼酎のビール割りを飲んだ。……ゲイカツ屋の長いカウンターにはいろいろな種類の人間がいた。私と同じように髪の長い非常にラフな格好のグループ、演劇論を交わしている地味で小汚ないファッションの二人連れ、出勤前のキャバレーのホステス、作業服姿の肉体労働者、普通のサラリーマンやOLもいた。カウンターの向こう側には料理をする人が二人、サービスをする中年の女が二人、汗だくになって動き回っていた。入口の開き戸は少し傾いているため隙間ができていて冷たい風が吹き込んでくるが、店内に籠った熱気のために寒いと感じることはない。ゲイカツを揚げる油の入った大きな鍋は常に沸騰していて、日本酒を温める平たいトレイやおでんの鍋からも蒸気が上がり、客のほとんどが吸う煙草の煙も立ち込めて、換気扇が音をたてて激しく回っていたがあまり効果はないようだった。客達はお互いの肩が触れ合うように粗末な木製の丸椅子に坐わり、背中と後ろの壁は十センチも離れていなくて、常に喋べるか食べるか飲むか煙草を吸っていないと、騒々しさに負けてしまうような、そんな雰囲気だった。…」。ここに書かれている「ゲイカツ屋」、分かりやすく言うと「鯨カツ屋」です。くじらの肉を油であげるわけです。戦後のカロリー不足を鯨の肉で補ってきたのが日本人でした。残念ながら、ここに書かれている「ゲイカツ屋」さんはもうありません。

左の写真が、新宿西口思い出横町の南側入口です。「思い出横町」もだんだん綺麗になってきて、なにか物足りない感じです。

風月堂>
 ビートたけしのときも登場しましたが、村上龍も風月堂を訪ねていたようです。「…ヒッピーやフーテンと呼ばれる人々の溜まり場は他にもあって同じ新宿の東口には有名な『風月堂』があったが、好きになれなかった。閉鎖的な仲間意識のようなものと、マイナーな文化の匂いが漂よっていたからだ。…」。村上龍の書き方は言い訳じみていますね。私の感覚では、風月堂はそうとうレベルが高かったとおもいます。「ソール・イート」に行かれた方には悪いのですが、DIGや風月堂のほうが会話の質が高かった(閉鎖的かも!)とおもいます。地方から出てくると馴染めない雰囲気はありました。

右の写真の右側辺りに風月堂がありました。現在は大塚家具ショールームのビルになっています。当時は写真右の角にラーメン屋、次が鉄板焼き、角から三軒目に風月堂がありました。因みに左隣は吉野寿司だったとおもいます。

次回は「ビートたけしの亀有を歩く」を掲載する予定です。


村上龍の新宿地図 -1-


村上龍の新宿地図 -2-


【参考文献】
・限りなく透明に近いブルー:村上龍、講談社
・69:村上龍、集英社
・映画小説集:村上龍、講談社
・龍がのぼるとき:村上新一郎、講談社
・群像日本の作家「村上龍」:小学館
・ジャズと爆弾:中上健次、村上龍、角川文庫
・ユリイカ 村上龍:青土社
・村上龍自選小説集:村上龍、講談社
・村上龍全エッセイ:村上龍、講談社文庫
・琥珀色の記録〜新宿の喫茶店:新宿歴史博物館
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