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最終更新日:2006年2月26日


●江戸川乱歩を歩く 東京編 -3-
  初版2006年2月11日
 <V01L02>

 今週は「江戸川乱歩を歩く」掲載の八週目です。鳥羽の造船所を辞めて上京し、兄弟三人で古本屋を始めますが、この商売も長続きしません。支那ソバ屋からポマード製造まで経験しながら東京と大阪を行き来します。



本郷区駒込林町 三人書房>
 鳥羽を出奔した平井太郎(江戸川乱歩)は上京します。あの有名な団子坂上で兄弟三人と三人書房と名付けた古本屋を始めます。「…ソノ頃丁度私ノ二人ノ弟、通ト繁男トガ古本屋ヲ始メル話ガ熟シテイタ。二人ノ弟ハ前年ノ十一月頃デアッタカ、古本屋ヲ経営スル下心デ、朝鮮ノ父母ノモトヲ離レ、上京逢次、鳥羽ノ私ノ所ヲ訪レ暫ク滞在シテイタガ、ソノ間ニ三人ノ間ニ一緒ニ古本屋ヲヤラウトイウ相談ガ成立シテイタ。私ニ例ニヨツテ「勉強」ガ目的デ店ガウマク行ッタラ勉強ノタメノ僅カノ費用ヲ得ルニ足リル、利益ハ弟二人デ分配スベシトイフ契約デアッタ。二人ノ弟ハソノママ、上京、岩田ノ叔母ノ世話デ神田ノ古本屋ニ見習ニ行ッテ来タノダデアルガ、ソレガ丁度私ノ上京した頃、店ヲヤメテ古本屋ヲ開業スルコトニナッタノデアル。…」。森鴎外が団子坂上の観潮楼に住んだのは明治25年から亡くなる大正11年までですから、僅か200m駒込方面に離れたところに三人書房があったわけです。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」にも登場する坂ですが、森鴎外についてはなにも書かれていません。きっと江戸川乱歩は森鴎外が住んでいるのを知っていたのだとおもいます。この後、平井太郎(江戸川乱歩)は隆子さんと結婚し、一時、父親のいる大阪に戻ります。結婚後は一時団子坂に住んでいたようです。

左上の写真の右側、車が3台止まっている所が本郷区駒込林町六 三人書房跡です(現在の千駄木五丁目5−14です)。昔の面影はなにもありません。空襲で焼けてしまっています。団子坂については「江戸川乱歩と団子坂」を参考にしてください。

【江戸川乱歩】
探偵小説家。本名平井太郎。三重県生れ。早大政経科卒業後、十数種の職業を転々、大正二一年四月「二銭銅貨」を発表し、衝撃的デビューを果す。筆名は推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーからとっている。代表作「パノラマ島奇讃」、「陰獣」、少年探偵団ものなどで圧倒的な人気を博し、一時代を築く。(河出書房新社「乱歩 打明け話」より)


江戸川乱歩の東京年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

江戸川乱歩の足跡

大正8年
1919
松井須磨子自殺
25
1月 鳥羽造船所を退社し上京、下谷区坂町 潜龍館に下宿
2月本郷区駒込林町6 三人書房
11月26日 隆子さんと結婚
大正9年
1920
国際連盟成立
26
10月 大阪府北河内郡守口町801−1の父の家に転居し大阪時事新報に就職
大正10年
1921
日英米仏4国条約調印
27
2月 長男生まれる
4月 上京、滝野川中里80に住む、日本工人倶楽部に就職
5月 牛込区早稲田鶴巻町38に転居
大正11年
1922
ワシントン条約調印
森鴎外死去
28
2月 池袋866に転居
6月 神田区錦町3-3 東岳館に下宿、続いて神田区錦町3-5 向上館に下宿
7月 大阪府北河内郡守口町字守口689−3の父の家に転居


下谷区坂町 潜龍館>
 。鳥羽の造船所を出奔し上京して最初に下宿したのが下谷区坂町の潜龍館でした。「…前ニ記シタヨウナワケデ造船所ヲ退キ東京ニ出タ私ハ、一先ヅ上野坂町ノ潜龍館トイウ下宿屋ニ落チツイタガ…」。現在では下谷区も坂町もありません。下谷区は台東区に、坂町は上野三丁目と変わってしまっています。昔の町名が全く違う名前に変わってしまっているので、何処か全く場所がわかりませんね!

左の写真は上野松坂屋南館横から山手線方向を撮影したものです。坂町はこの写真の先の交差点を右に曲がった左側(上野三丁目11〜19)が坂町になります。詳細の地番が不明のため潜龍館の場所も分かりませんでした。

滝野川中里>
 平井太郎(江戸川乱歩)は一度大阪に戻った後、再度、東京で日本工人倶楽部に就職します。「…上京暫クハ右図ノ家ニ住ンダガ、月給ニ比シ家賃ガ高イノデ、二カ月不足デ次ノ家ニ移ッタ。…」。滝野川中里というと現在の北区中里一丁目〜二丁目付近になります(山手線駒込駅の東側)。貼雑年譜の地図に記された場所と貼り年譜に書かれている住所が一致しません。地図には山手線の外側に記号が記されているのですが、滝野川中里80という地番は山手線の内側となります。

右の写真の右側付近が滝野川中里80です(現在の北区中里一丁目3付近)。駒込駅東口から150m位です。

牛込区早稲田鶴巻町>
 家賃が高いので滝野川中里から早稲田鶴巻町に移ります。「…次ノ鶴巻町ノ家ハ岩田叔父ノ知合ノ日本画家ノ住ンデイタ跡ヲ譲ッテモラッタノデアル。…」。この住所は地番は違いますが町名はそのまま残っていました。

左の写真の正面のマンションの所が牛込区早稲田鶴巻町38(現在の新宿区早稲田鶴巻町524−15付近)です。この地区は一部区画整理されていますが、昔の道も残っていますので、比較的探しやすかったです。

池袋八六六>
 平井太郎が次にハジメタ仕事がポマード製造の手伝いでした。「…コノ頃庄司雅行氏ガ農商務省技師(工場監督官)ヲヤメテ池袋ニ郊北化学研究所トイウモノヲ建テ主トシテポマードノ製造販売ヲハジメタノデ、私ハソレヲ手伝ハナケレバナラナヌコトトナリ、工人倶楽部ノ方ハ書記長をやめて、「工人」誌ノ編集印刷ダケヲ請負フコトトナッタ。ソコデ庄司氏の辺リヘ越シタワケデアル。…」。何でもやりますね。

右の写真が池袋八六六付近です(現在の池袋区西池袋一丁目西口公園付近)。現在は跡形もありません。

来週も引き続いて江戸川乱歩を歩きます。

乱歩 東京地図 -1-


江戸川乱歩の参考図書(お問い合わせが多いのでAmazonにリンクしました)






【その他参考文献】
・私の履歴書:江戸川乱歩、日本経済新聞社
・まんだ:まんだ編集部
 


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