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最終更新日:2006年2月22日


●江戸川乱歩と団子坂(文京区千駄木)
  (D坂の殺人事件)
 初版2000年2月26日

dangozaka3-w.jpg 『それは9月初旬のある蒸し暑い晩のことでした。私は、D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という喫茶店で・・・ 一杯の冷しコーヒー・・。さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形の名所だった所で、狭かった通りが市区改正で取り広げられ・・・ 。名前は明智小五郎というのだが、話をしているといかにも変わり者で、それが頭が良さそうで・・・ 』、これは江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』(「新青年」大正14年1月号)の書き出しの1ページ目です。D坂とは文京区千駄木二・三丁目の境、森鴎外の観潮楼跡(現区立鴎外記念本郷図書館)前から不忍通りに下る坂が団子坂です。( ←写真は団子坂上の鴎外記念本郷図書館前から坂下方面を撮影したものです)

この坂は昔からかなり有名な坂(菊人形で)みたいで江戸川乱歩以外にも
  • 森鴎外:小説「青年」では『四つ辻を右へ坂を降りると右も左も菊細工の小屋である・・・』
  • 正岡子規:『自雷也もがまも枯れたり団子坂』
  • 夏目漱石:小説「三四郎」では『坂の上から見ると、坂は曲がっている幅は無論狭い・・・。一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。』
  • 室生犀星の詩「坂」
  • 二葉亭四迷の「浮雲」

に書かれています。

<薮蕎麦>
その上、現在は日本中にある「薮そば」の元祖は団子坂に江戸時代開業したそうです。幕末の名舗、団子坂の蔦屋の連雀町店を明治13年に譲りうけた堀田七兵衛が屋号を「薮蕎麦」として営業を始めました。以来百余年、蔦屋廃業により「薮蕎麦本店」としての看板をうけつぎ、江戸っ子気質が育てた独特の味の伝統を守り、風雅な店構えとともに広く内外各界の方々に親しまれて今日に至っております(やぶそばのHomePageより)。あまりに有名な団子坂です。

話を戻して「D坂の殺人事件」ですが、D坂の古本屋の細君(明智小五郎の幼なじみ)が殺され、私と明智小五郎は丁度その時に古本屋の前の白梅軒でコーヒーを飲んでいて、古本屋の人の出入りを見ていたわけです。現在、そのような喫茶店や古本屋、蕎麦屋があるかと探したのですが、「乱歩」という喫茶店が坂の近くにあるのみでした。殺人事件の犯人は本を読んで頂くとして、本を読むとD坂の人々が深くこの殺人事件に関与しているのが分かると思います。時代と小説がピッタリ合っています。冷しコーヒーがまたいいですね(今はアイスコーヒーですね!、関西ではレイコーですが)。

dangozaka1-w.jpg<団子坂由来>
「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ぶ、此坂の傍に昔より団子を鬻(ひさ)ぎて茶店ある故の名なり、今は団子のみならず、種々の食物をも商ぶ繁昌の地となれりと。」(『御府内備考』)、「又坂上より佃が海見えし故。古くは潮見坂とも呼べり。今も坂上民家の庭前より樹間に海上見えて風景よし。」(『新編武蔵風土記稿』)、また、『御府内備考』 には、七面堂が団子坂下に往来から九尺程(約三米)引きこんであるとの記事があります。この七面堂から七面坂の名が生れています。いろいろの名前を持った坂道です。幕末から明治末にかけは、菊人形で有名でした。菊人形は文化年間(1804〜18)に巣鴨の染井の植木屋が始めたのがおこりで、安政3年(1856)から団子坂に始まっています。木戸銭を取ったのは、明治8年からで、15年頃には東京ではここだけになっています。そして、明治40年頃が最も盛えました。しかし、両国国技館で電気仕掛十三段がえしなどが出来て、電気の入らなかった団子坂の菊人形は衰えて、大震災以後には全く廃業してしまいました。

<旧江戸川乱歩邸>
江戸川乱歩が約30年にわたって住んだ豊島区西池袋5丁目の自宅が保存公開のために豊島区が調査をすることになっています。(朝日新聞2000年2月10日35面)旧乱歩邸は、立教大学に近い約1200?uの敷地に木造家屋と土蔵があります。乱歩は1935年から死去する65年までの31年間ここに住んでいます。家屋の一部を除いて戦災を免れ多数の蔵書や資料が残されているそうです。

【江戸川乱歩年表】
■1894年(明治27年):三重県名賀郡名張町生まれる。本名:平井太郎
■1916年(大正5年):早稲田大学卒
■1919年(大正8年):上京、団子坂で古本屋「三人書房」を始める、村上隆子と結婚
■1923年(大正12年):「新青年」で「二銭銅貨」を発表。探偵小説作家としての地位を確立
■1925年(大正14年):「D坂の殺人事件」を「新青年」に発表。初めて名探偵・明智小五郎が登場
■1925年(大正14年):「屋根裏の散歩者」を「新青年」に発表
■1928年(昭和3年):牛込区戸塚町に下宿緑館を開業、「陰獣」を「新青年」に発表
■1934年(昭和9年):「黒蜥蜴」を「日の出」に発表、池袋3丁目に転居(現在の西池袋5丁目)
■1936年(昭和11年):「怪人二十面相」を「少年倶楽部」に発表、「少年探偵団」などを次々と発表
■1965年(昭和40年):死去。享年70歳。


江戸川乱歩の参考図書(お問い合わせが多いのでAmazonにリンクしました)






【その他参考文献】
・私の履歴書:江戸川乱歩、日本経済新聞社
・まんだ:まんだ編集部
・ぶんきょうの歴史物語:文京区教育委員会
・ぶんきょうの坂道:文京区教育委員会
 


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