<森鴎外の「雁」>
森鴎外の小説「雁」は明治44年から大正3年にかけて「スバル」にて発表されています。その中でも特に気になるのは「鯖の味噌煮」です(本文では”青魚(さば)の未醤煮”と書かれている)。「雁」と「鯖の味噌煮」は全く関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、この小説のキーポイントとなる関係があります。ちょっとだけ中身を紹介しますと、作者の僕と医学部生の岡田という二人の東大生がいます。この無縁坂の近くに下宿していて、いつも散歩にこの坂道を歩いています。この坂道の途中に金貸し屋の親父の妾(お玉、20歳)が住んでいて、岡田と親しくなっています。ある時彼女は自分の思いを岡田に伝える決心をして、岡田が散歩するのを待っていました。そのときに作者の僕の下宿屋の夕食に「鯖の味噌煮」が出てくるわけです。この僕は「鯖の味噌煮」が大嫌いで、食事をする気になれず、岡田と二人で散歩に出てしまう訳です。岡田一人ではなかったので彼女は声をかける事ができずに、又岡田も僕がいたため通り過ぎてしまうわけです、そして岡田は次の日に留学してしまいます。森鴎外はじつに面白くこの坂道の風景や人々を表現しています。是非とも「鯖の味噌煮」を頭に浮かべながらこの無縁坂を歩いて下さい!、岡田青年になりきれるかもしれませんよ!!
森鴎外の「雁 弐拾弐(にじゅうに)」からです。
「 西洋の子供の読む本に、釘一本と云う話がある。僕は好くは記憶していぬが、なんでも車の輪の釘が一本抜けていたために、それに乗って出た百姓の息子が種々の難儀に出会うと云う筋であった。僕のし掛けたこの話では、青魚(さば)の未醤煮が丁度釘一本と同じ効果をなすのである。
僕は下宿屋や学校の寄宿舎の「まかない」に饑を凌いでいるうちに、身の毛の弥立(よだ)つ程厭な菜が出来た。どんな風通しの好い座敷で、どんな清潔な膳の上に載せて出されようとも、僕の目が一たびその菜を見ると、僕の鼻は名状すべからざる寄宿舎の食堂の臭気を嗅ぐ。煮肴(にざかな)に羊栖菜(ひじき)や相良麩(さがらぶ)が附けてあると、もうそろそろこの嗅覚(きゅうかく)の
hallucination(アリュシナション) が起り掛かる。そしてそれが青魚の未醤煮に至って窮極の程度に達する。
然るにその青魚の未醤煮が或日上条の晩飯の膳に上った。いつも膳が出ると直ぐに箸を取る僕が躊躇しているので、女中が僕の顔を見て云った。
「あなた青魚がお嫌」
「さあ青魚は嫌じゃない。焼いたのなら随分食うが、未醤煮は閉口だ」…」。
”青魚(さば)の未醤煮”が「鯖の味噌煮」なのですね。現在使われている”味噌煮”の漢字と違います。羊栖菜(ひじき)や相良麩(さがらぶ)にいたっては全く読めません。”相良麩(さがらぶ)”は”すだれ麩に似て、それよりもやや厚めの麩”のことだそうです。それにしても「鯖の味噌煮」から話が切り替わるのはなんともいえませんね。
★写真は新潮文庫の森鴎外「雁」です。30ページに渡って言葉の解説も掲載されており、324円で十分に楽しませてくれます。