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最終更新日:2007年2月21日

●織田作之助の夫婦善哉を歩く -2-
  初版2007年2月3日 
<V01L02> 
 「これぞ大阪シリーズ」の三テーマ目です。今週は織田作之助の「夫婦善哉(めおとぜんざい)を歩く」の二回目です。千日前から黒門市場をストーリーに沿って歩きます。

<「関西名作の風土」 大谷晃一>
 関西での文学散歩では大谷晃一の「関西名作の風土、(正)、(続)」が一番でしょう(現在は古本でした手に入りません)。近頃では橋本寛之の「都市大阪●文学の風景」がいいです。少しジャンルは違いますが加藤政洋の「大阪のスラムと盛り場」も参考になりました。大谷晃一の「関西の名作の風土、(正)」で「夫婦善哉」の所を読むと、「…日の丸路地には似つかない、粋な女が入ってくる。色は黒いが別嬪である。うしろに、どこか頼りない男。そそくさと、魚鶴の二階へ消える。これが『夫婦善哉』の柳吉・蝶子である。実名は山市虎次と織田千代。千代は作之助の二番目の姉になる。時は大正の末ごろ、場所は大阪市天王寺区上汐町四丁目。小説では、一銭天婦経の娘蝶子はお転婆で、しっかり者。曽根崎で芸者に出て、安化粧問屋の息子維康柳吉となじみ、あげくに駆け落ちして、女房子のある柳吉は勘当になる。私は昆布を煮る勾いをかいだ。日の丸路地の入口のあたりである。蝶子がヤトナの勤めを終えて、夜ふけて帰って来る。路地へ入るとプンプン良い勾いがする。柳吉が昆布を煮ている。いや、これは小説のはずだが。実はそのころ昆布の勾いなんかしなかった。織田作得意の虚構だった。…… 坂を下りると松屋町筋。北へ歩くと下寺町。その北東の角に千代の「サロン千代」 があった。小説の名は「サロン蝶柳」。千代の次のきくが手伝いに桃割れで出ていたのを、中村さんが通っている。小説では、柳吉の父の葬式にも出してもらえず、蝶子はここでガス自殺をはかる。本当は過失だったらしい。たまたま遊びにきた中学生の弟織田作に千代は救われる。通路拡張で、「サロン千代」の跡は道の真ん中になっている。…」、とかなり詳細に書いています。「夫婦善哉」は織田作之助の二番目の姉 千代とその旦那 虎次をモデルにして書いており、「夫婦善哉」の主人公 蝶子が開いた「サロン蝶柳」は千代の「サロン千代」がモデルになっています。日の丸路地は「織田作之助 生誕の地を歩く」を参照してください。詳細に記載しています。千代の「サロン千代」があった下寺町の交差点の写真を掲載しておきます(交差点の北側だとおもわれます)。

左上の写真が大谷晃一の「関西名作の風土、(正)」創元社版です。創元社はこのような本の出版が多いですね。続編も出版されており、此方も面白いです(絶版になったのが残念です)。

【織田作之助(おださくのすけ)】
 大正2年(1913)10月26日、大阪市の仕出し屋の家に生れる。三高時代から文学に傾倒し、昭和12年(1937)に青山光二らと同人誌『海風』を創刊。自伝的小説「雨」を発表して注目される。昭和14年(1939)「俗臭」が芥川賞候補、翌年「夫婦善哉」が『文芸』推薦作となるが、次作「青春の逆説」は奔放さゆえに発禁処分となった。戦後は「それでも私は行く」をいち早く夕刊に連載、昭和21年(1946)には当時の世俗を活写した短編「世相」で売れっ子となった。12月ヒロポンを打ちつつ「土曜夫人」を執筆中喀血し、翌年1月死去。(新潮文庫より)

<戦前の千日前>
 「夫婦善哉」では法善寺界隈だけではなく、千日前界隈も詳しく書いています。「…二日酔いで頭があばれとると、蒲団にくるまってうんうん唸っている柳吉の顔をピシャリと撲って、何となく外へ出た。千日前の愛進館で京山小円の浪花節を聴いたが、一人では面白いとも思えず、出ると、この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。…… 千日前「いろは牛肉店」の隣にある剃刀屋の通い店員で、朝十時から夜十一時までの勤務、弁当自弁の月給二十五円だが、それでも文句なかったらと友達が紹介してくれたのだ。柳吉はいやとは言えなかった。…」”千日前の愛進館”は法善寺横丁の東口の向い側にありました。”楽天地横の自由軒”はとても有名ですが、最初は楽天地が出来る前の場所にあったようです(下記の地図参照)。現在の場所に移ったのは楽天地が出来たときです。”千日前「いろは牛肉店」”は正式名で”いろは南店千日前”です(戦後は”いろは食堂”)。住所は南区坂町51ですので下記の地図の所になります。大谷晃一の「関西の名作の風土、(正)」では、「…いろは牛肉店は健在だが、その二軒隣りに刃物屋があったはず。剃刀の動く看板を覚えている。…」。と書いていますので「剃刀屋」も確かにあったようです。

左上の写真は現在のビックカメラから見た千日前で、左右が千日前通となります。左側に少し写っているのが竹林寺です。下記の地図にも書いていますが千日前通は二度にわたって道路拡張がされています。特に戦後の道路拡張で自安寺が無くなってしまいました(自安寺は二つ井戸に移転しています)。

<竹林寺、共同便所、鉄冷鉱泉他>
 千日前の”いろは牛肉店の隣の剃刀屋”から向い側を眺めています。「…門口の狭い割に馬鹿に奥行のある細長い店だから昼間なぞ日が充分射さず、昼電を節約した薄暗いところで火鉢の灰をつつきながら、戸外の人通りを眺めていると、そこの明るさが嘘のようだった。ちょうど向い側が共同便所でその臭気がたまらなかった。その隣りは竹林寺で、門の前の向って右側では鉄冷鉱泉を売っており、左側、つまり共同便所に近い方では餅を焼いて売っていた。醤油をたっぷりつけて狐色にこんがり焼けてふくれているところなぞ、いかにもうまそうだったが、買う気は起らなかった。餅屋の主婦が共同便所から出ても手洗水を使わぬと覚しかったからや、と柳吉は帰って言うた。…」。”いろは牛肉店”の場所は分かっていますので、共同便所、鉄冷鉱泉、焼餅の場所がポイントになるのですが、下記の地図のように推定しました。ただ正確な場所は分かりませんでした。

右上の写真はスバル座跡(竹林寺が土地の半分を身売りした。現 南OSプラザ)を撮影したものです。右側辺りが”テツレイ鉱泉”が在ったところです。現在の千日前通になっているところに焼き餅とWCが在ったとおもわれます。

戦前の千日前付近地図




黒門市場>
 蝶子と柳吉は法善寺や千日前に近い黒門市場内にある路地の奥の借家に住み始めます。「…黒門市場の中の路地裏に二階借りして、遠慮気兼ねのない世帯を張った。階下は弁当や寿司につかう折箱の職人で、二階の六畳はもっぱら折箱の置場にしてあったのを、月七円の前払いで借りたのだ。たちまち、暮しに困った。…… ヤトナというのはいわば臨時雇で宴会や婚礼に出張する有芸仲居のことで、芸者の花代よりは随分安上りだから、けちくさい宴会からの需要が多く、おきんは芸者上りのヤトナ数人と連絡をとり、派出させて仲介の分をはねると相当な儲けになり、今では電話の一本も引いていた。一宴会、夕方から夜更けまでで六円、うち分をひいてヤトナの儲けは三円五十銭だが、婚礼の時は式役代も取るから儲けは六円、祝儀もまぜると悪い収入りではないとおきんから聴いて、早速仲間にはいった。…… 黒門市場の中を通り、路地へはいるとプンプン良い香いがした。山椒昆布を煮る香いで、思い切り上等の昆布を五分四角ぐらいの大きさに細切りして山椒の実と一緒に鍋にいれ、亀甲万の濃口醤油をふんだんに使って、松炭のとろ火でとろとろ二昼夜煮つめると、戎橋の「おぐらや」で売っている山椒昆布と同じ位のうまさになると柳吉は言い、退屈しのぎに昨日からそれに掛り出していたのだ。…」。”ヤトナ”とは「雇女」で”臨時にやとう仲居”という意味です。現在のコンパニオンですね。現在でも芸者を呼ぶと高いので、コンパニオンを呼ぶのと同じです。亀甲万はキッコーマンの事ですね。こんな漢字を書くとはおもいませんでした。”戎橋の「おぐらや」”は戎橋筋にある「をぐら屋」のことです。写真を掲載しておきます。

左上の写真は黒門市場です。昔からあるかなり大きい市場ですが少し寂れてきています。残念です。黒門市場内の路地の写真を掲載しておきます。

高津神社>
 「夫婦善哉」に書かれている高津神社です。「…一軒借りて焼芋屋でも何でも良いから商売しようとさっそく柳吉に持ちかけると、「そうやな」気の無い返事だったが、しかし、あくる日から彼は黙々として立ちまわり、高津神社坂下に間口一間、奥行三間半の小さな商売家を借り受け、大工を二日雇い、自分も手伝ってしかるべく改造し、もと勤めていた時の経験と顔とで剃刀問屋から品物の委託をしてもらうと瞬く間に剃刀屋の新店が出来上った。安全剃刀の替刃、耳かき、頭かき、鼻毛抜き、爪切りなどの小物からレザー、ジャッキ、西洋剃刀など商売柄、銭湯帰りの客を当て込むのが第一と店も銭湯の真向いに借りるだけの心くばりも柳吉はしたので、蝶子はしきりに感心し、開店の前日朋輩のヤトナ達が祝いの柱時計をもってやって来ると、「おいでやす」声の張りも違った。そして「主人がこまめにやってくれまっさかいな」と言い、これは柳吉のことを褒めたつもりだった。。…」。”高津神社坂下”と”銭湯の真向い”で”間口一間、奥行三間半の小さな商売家”の場所を探したのですが、風呂屋の場所が分からず、探し出せませんでした。「世相」で再度「高津神社」が出てきますのでそちらで少し紹介したいとおもいます。

右上の写真が高津神社(高津宮)です。小高い丘の上に有り、昔は眺めが良かったのではないかとおもいます。

次回も「夫婦善哉を歩く -3-」を掲載します。

織田作之助の大阪地図


【参考文献】
・道頓堀 川/橋/芝居:三田純市、白川書院
・大阪の歴史62(道頓堀特集):大阪市史編纂所
・大阪春秋 33、112:大阪春秋社
・都市大阪 文学の風景:橋本寛之、双文社出版
・モダン道頓堀探検:橋爪節也、創元社
・モダン心斎橋コレクション:橋爪節也、国書刊行会
・大阪365日事典:和多田勝、東方出版
・夫婦善哉:織田作之助、創元社、大地書房、新潮文庫
・関西名作の風景 正、続:大谷晃一、創元社
・百年の大阪 1〜4:大阪読売新聞社、浪速社

参考図書























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