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杉並村高円寺二四九番地> 2008年12月29日 永井龍男の高円寺に関する記述を追加
中原中也が長谷川泰子と一緒に上京してきたのは大正14年3月です。その年の5月には高円寺二四九番地に転居しています。中原中也の借家は小林秀雄が住んでいた馬橋の借家から500m位の距離でした。
「…夜、家にいる時は、大抵三、四人の文学青年と酒を飲んで、大きな声で議論をやっていた。その仲間に、いつの問にか、小柄な、前髪を眉までたらしたおかっぱの、青白い顔をした少年がくるようになった。
……酒っ気のない時は、別人のようにおとなしくて、神妙に私に挨拶した。その少年が、その頃十七か十八だった詩人の中原中也であった。
中原中也は、二、三度、自分よりずっと年上らしい、背もずっと高い美人の女性と一緒に来た。…」
★左上の写真の正面付近が中原中也と長谷川泰子が住んだ高円寺二四九番地です。高円寺ルック商店街の桃園川を過ぎた右側になります。
永井龍男の「わが切抜帖より」の中に、中原中也が高円寺で長谷川泰子と住んでいた下宿について書かれていました。
「…中原は高円寺駅に続く、表通りの商家の二階に下宿し、二つ年上の女と同棲していた。私はそこへ二泊したことがある。その年の五月二十九日の日記に、「意外に思ったことは、下宿での同棲生活が少しもエロティックでなかったこと。女は頭痛がすると云って、部屋には床が敷いてあった」と記しているのが、おそらくその晩に当ると思われる。
例のごとく小林、中原の後について当てなく歩き、高円寺の下宿にたどりついたものであろうが、四人まくらを並べてねた翌早朝、雨戸の節穴から朝日が射し、だれとなく無言で吸い出したバットの煙りが、やみに浮き出されたのをよく覚えている。後で雨戸を開けると、商家の一側裏はひろびろした一面の田んぼであった。…」。
下宿が高円寺ルック商店街にあったことがわかります。
同じ年の11月には小林秀雄は長谷川泰子と同棲を始めます。妹の高見澤潤子さんが書いた「兄 小林秀雄」には同棲先は、
「…兄の新居は、高円寺駅の、家とは反対側の線路際にある、三間ぐらいの小さな貸家であった。…」、と書かれています。一般的には荻窪の天沼となっていますので、この辺りは調査不足でよく分かりませんでした。