<目黒不動 (泰叡山瀧泉寺 目黒区下目黒3-20-26)>
東急目蒲線不動前から歩くのですが、かなり距離があります。お寺の開基は、天台座主第三祖・慈覚大師円仁で、大同三年(808)大師がまだ十五歳の時、師の広智阿閣梨に伴われて比叡山へ登る途中、目黒の地に立寄り、その夜に不動明王の霊夢を感じ、自らその専像を彫刻して安置したのに始まります。その後再び目黒の地に下り、堂宇の建設に着手したとされています。天安二年(八五八)大師は伽藍の造営に当たり自ら筆を執り、「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」と堂宇の棟札にしたためました。この「瀧泉」を以って寺号を「瀧泉寺」と名づけ、不動専像を奉安しています。家光公の帰依を受け、寛永七年(1630)上野護国院の開祖・生順大僧正が当寺を兼董するに当たり、堂宇の再建に着手され、五〇余棟の大伽藍の復興が成りました。家光の不動尊に対する信仰は儀く、その伽藍は「目黒御穀」と杯されるほど華麗を極めました。歴代将軍も家光の志を准ぎ、また江戸の庶民もその風に倣い多く訪れた。不動信仰は益々江戸時代を通じて隆盛を極め、参詣客は常に絶えず、門前は市をなし、文人なども多く、江戸随一の名所となりました。
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