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最終更新日:2006年4月2日

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●藤田宜永のモダン東京「蒼ざめた街」を歩く 
初版2001年12月8日 V02L03
fujita-modern1-10w.jpg 今週は今年の第125回直木賞(日本文学振興会主催)を受賞された 藤田宜永 さん(「愛の領分」で受賞)作品のモダン東京1「蒼ざめた街」を歩いてみたいと思います。この作品は大正から昭和初期のモダニズムを舞台にしたアメリカ帰りの私立探偵 的矢健太郎の活躍を描くハードボイルド作品です。書き出しは「冬の匂いの立ち込める帝都の空気を震わせているのは、正午のサイレンである。子供の頃には、こんなモダンな装置があろうはずもなく、時を知らせるのは日比谷公園で撃たれる空砲だった。」とあります。当時の雰囲気をよく表わしています。

<主人公 的矢健太郎>
 東京・深川生まれの三十歳。麻布区霞町の友人所有の文化住宅に住む。昭和3年〜5年米国での商社勤務を経て、アル中の私立探偵フランクの助手を務め、帰国後銀座に探偵事務所を開く。父の形見のシトロエンに乗り現場に駆けつける。(登場人物紹介より)

<藤田宜永(ふじたよしなが)>
 小説家;エッセイスト、昭和25年4月生まれの福井県福井市出身、早大文学部中退(さすが!)
 昭和48年フランスに渡り仏日の翻訳を手掛けます。昭和61年に「野望のラビリンス」で文壇にデビュー。平成7年「鋼鉄の騎士」で日本推理作家協会賞を、平成13年「愛の領分」で直木賞を受賞します。藤田さんの妻、小池真理子さんは、96年2月(第114回)に直木賞を「恋」で受賞しており、夫婦での直木賞作家が誕生しました。

fujita-modern1-11w.jpg<銀座六丁目の探偵事務所>
 今は昭和5年12月、モダン東京1「蒼ざめた街」の主人公、的矢健太郎の探偵事務所が有るのが銀座六丁目です。ビルの二階にあり事務員は秋本洋子ただ一人です。まず銀座の探偵事務所の場所を小説の中から探ってみました。下記のからは、探偵事務所は銀座通りから一筋、数寄屋橋側の「すずらん通り」にある事が分かります。では、銀座六丁目のすずらん通りにあることが分かります。あとはすずらん通りの何方側かですが、から銀座6丁目8番側だとわかります。この付近で現在残っているビルは交詢社ビル黒沢商店(建て直されています)、尾張町ビルです。交詢社ビルは工事の為閉鎖されており、松本楼跡は現在は小松ストアになっています。
 
小説文中 場所の特定
数寄屋橋を渡り、銀座四丁目の手前を右折し、シトロエンを事務所の前に停めた… 数寄屋橋から銀座通り一つ手前は「すずらん通り」
私は事務所の前で自動車を乗り捨てた。ナッシュは松本楼の前で停まった。 松本楼は銀座6丁目すずらん通りにありました。
交詢社ビルの角を左に折れた。そして、銀座通りに出た。…『菊水』でチェリーを買い、黒沢商会の角を左に折れて、事務所に戻った。 交詢社ビルは現在の銀座6丁目8番
黒沢商会(正しくは黒沢商店)は銀座6丁目9番

左の写真が「黒沢商店」と「尾張町ビル」の間の道を写したものです。左が黒沢商店で右が尾張町ビルです。下の地図を参照しながら見てもらうと、写真の左側に松本楼が有る訳です。その松本楼の向かいのビルの二階辺りが事務所になります。

「昭和初期 銀座尾張町付近」地図


fujita-modern1-16w.jpg<新宿 三越裏界隈>
  主人公、的矢健太郎は調査相手の男性を尾行する内に夜遅く新興の歓楽街 新宿にたどり着きます。昭和5年に開店した新宿三越の裏通りに愛車のシトロエン タイプC3を停め、角筈の歓楽街に入っていきます。「今年の十月に、開店した新宿三越の真にシトロエンを停めた。……新宿では古株で、新開にまで広告を打っている『カフェ・ミハト』の前を通りすぎ、左手に折れた。このあたりでは一番大きなカフェ『麗人座会館』のネオンが目に飛び込んできた。女給募集の看板など必要ないくらいに道には女給が溢れている。白粉の匂いにも惑わされず、易者がじっと客を待っていた。バー『赤玉』をすぎ、さらに奥に進んだところに窪寺が昨夜も立ち寄ったカフェ『名花倶楽部』がある。……彼女が助手席に乗り込むと、私は黙ってシトロエンを出した。武蔵野館の前に出る。」と昭和5年末の新宿角筈の歓楽街を描写しています。上記の『カフェ・ミハト』、『麗人座会館』、バー『赤玉』『武蔵野館』等のお店は当時も実在するお店です。

右の写真が新宿三越の裏通りです。写真の正面が新宿駅ですので、今は向こうからこちらへの一方通行になっています。主人公の的矢健太郎は新宿駅に向かって車を停め、少し戻って右に曲がると『カフェ・ミハト』があり、次に左に曲がると右側に『赤玉』、左に『麗人座会館』が有る訳です。

「昭和10年 新宿角筈付近」地図
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fujita-modern1-23w.jpg<安藤坂>
 私立探偵、的矢健太郎は調査相手の自宅を見張ります。『その男は窪寺幸三という人物で、小石川区の安藤坂って坂に面した一軒家に住んでいます」女はそう言って、メモを私に渡した。……石段を下りる。ちょうど市電が坂を上っていくところだった。市電をやりすごしシトロエンに向かった。伝通院前の方に一台の自動車が停まっていた。ヘッドライトが消されている。例のナッシュだ。……「妙な奴がこの家を見張っている」「裏庭から路地に出られるわ」』とあります。安藤坂の途中で、石段があって裏に露地が有る家は坂の左側だけです。ですから上記の窪寺の家は左側にあったと思われます。

左の写真が現在の安藤坂です。現在は坂の両側にマンションが多くなっています。坂を登っていくと伝通院前の交差点で、交差点を越えるとその先が伝通院です。

fujita-modern1-21w.jpg<下落合>
 私立探偵、的矢健太郎は調査範囲を広げ、下落合の人気画家を調べに車を走らせます。「目白駅を越え、シトロエンは所沢に通じる幹線道路を走っていた。右は椎名町、左は落合町である。霧が視界を遮り、弱々しい雨が車窓を濡らしている。沿道には醤油醸造所や材木店が並んでいた。下落合の派出所をすぎて、すぐにまた派出所が現れた。どうしてこんなに警官を配置しているのかさっぱり分からない。私は郵便局に立ち寄り、鮎貝華人の住まいを確かめた。実直そうな若い郵便局員は、口頭試問を受けているように、てきばきと画家の住まいを口にした。鮎貝華人が名士であることを改めて痛感する。郵便局員に教えられた寺の角を曲がる。なだらかな上り坂を上ると、大根畑が見えてきた。藁葺き屋根の農家から立ちのぼる煙が、海に注ぐ川の流れのように白濁色の空に霧散してゆく。……鮎貝華人のアトリエは近衛公の敷地跡からすぐのところの、小高い丘の上にあった。」下落合付近は上記にもあるように戦前までは「近衛町」と呼ば れていた都内でも有数の高級住宅街です。この地は明治以降は東西に二分され、東側を近衛家、西側を相馬家が所有していましたが、戦後になると両家とも大蔵省管轄地となり、昭和44年に新宿区立公園として整備されています。的矢健太郎は目白通りを走って目白駅 を過ぎて目白三丁目の交差点を左に曲がり、 下落合の交番の所まで来ます。この辺がが近衛公の敷地辺りです。この近くの岡の上付近が鮎貝華人のアトリエのある処だと思えます。

右の写真の道路の真ん中には近衛家の庭に植えられ、近衛公の馬車を旋回させたと伝えられる欅の大木があります。庭が道路に変わってしまっても道の真中に立ったまま残っています。

  《その他の登場場所》
的矢健太郎自宅 麻布霞町の一軒家(六本木から霞町交差点付近か、詳細は分からず)
賭場(二カ所) 深川の冬木弁財天付近、南千住付近
柳生三郎自宅 東急目黒線武蔵小山駅前の 小山商店街をさらに進んだ酒屋の先の電信柱のところを左に曲がったところ(商店街には適当な酒屋がありませんでした)
京浜大森ホテル 旧大森ホテルのことと思われる(大森駅から暗闇坂を上がった左側付近)
斉藤誠之助の屋敷 渋谷近くの農科大学と兵隊の駐屯地にはさまれた閑静な住宅街(現在の駒場)
長山ハツ自宅 東急目黒線洗足駅の踏切を 超えた酒屋の先を左に行った4〜5軒目

順次、写真を撮り揃えていきます。

「安藤坂、下落合付近」地図
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【参考文献】
・モダン東京1「蒼ざめた街」:藤田宜永、小学館文庫
・新宿区の民俗:新宿区歴史博物館

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