
昭和24年、青山二郎は伊東から東京に戻ります。五反田の高貴荘から新広尾町の自宅に戻り、昭和38年、霞町のマンションに移ります。このマンションは短期間滞在しただけで、渋谷区神宮前の高級マンションを購入します。今回も宇野千代の「青山二郎の話」から引用します。
「…みさちゃんと青山さんとが土地のことをめぐって係争中であるにも拘らず、同番地の二ノ橋の土地に住んでいるのは、おかしい、と言うことになって、青山さんは二ノ橋から赤坂の霞町マンションに移って行ったのであった。あれは昭和三十八年のことで…」。
宇野千代は”赤坂の霞町マンションに転居”と書いていますが、霞町は西麻布の交差点の近くですから、赤坂からはかなり遠く、実際は西麻布の霞町マンションとなります。この霞町マンションの名前は、向田邦子が住んでいたマンションで有名です。向田邦子がこのマンションに転居したのは、昭和39年10月で、青山二郎が転出したのは、昭和39年9月ですから、重なったときはありません。ひょっとすると、青山二郎が入っていた部屋に向田邦子が入居したのかも?
★写真の正面、白い四階建てのビルが霞町マンションです。かなり古くなっています。向田邦子はエッセイの中で、”東京オリンピックの最中に、自信で探して見つけた”と書いていますが、偶然にしては出来過ぎです(「向田邦子の東京を歩く (4)」を参照)。青山二郎の奥様、和子さんと何らかの関係があったのかもしれません。今となっては推測ですが!