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最終更新日:2006年8月11日



●小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」を歩く (下)
  初版2006年7月29日 <V02L01>

 今回は小松左京の『「本邦東西朝縁起覚書」の後南朝を歩く』の三回目です。前回は柏木の少し先の大迫で国道169号線を左折して入之波から「かくし平登山道入口」までを歩きました。今回は「かくし平登山道入口」から「金蔵王(尊義王)の墓所」と「かくし平行宮跡」を目指します。ちょっとした登山です。



かくし平を訪ねて
 本日は吉野郡川上村の秘境、「金蔵王(尊義王)の墓所」と「かくし平行宮跡」を訪ねました。訪ねましたといいましたが、殆ど登山でした(トレッキング程度ですが)。久しぶりだったので、かなり疲れました。。「…話にきけば、明神滝の下流で合流しているもう一方の谷を、東へとれば、千メートルの高みで台高山脈をこえ、三重県側大杉谷の支流に出る間道があるという。 ─ 大杉谷は、宮川となって、伊勢へ流れこむから、いざという時は、伊勢の北畠氏のもとへおちのびる便もあったのだろう。…」。後南朝の頃になると、室町幕府(北朝)の力が強くなり、吉野よりも後退して南朝方北畠氏の伊勢(三重県)に近い川上村の山中に行宮を建てています。吉野からは後退しましたが、禁闕の変で御所から神璽を奪取しており、神璽は皇位の証としての三種の神器の中では最も重要ものであり、北朝に対しては南朝方が正統性を示せたわけです。

左上の写真がかくし平にある「金蔵王(尊義王)の墓所」です。「かくし平行宮跡」から200m程先の河原から少し登った所にあります。

【小松 左京(こまつ さきょう)】
 昭和6年(1931)1月28日大阪市西区の生まれで神戸市育ちの小説家。旧制兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中、現兵庫県立神戸高等学校)、第三高等学校を経て京都大学文学部イタリア文学科に進学。中学時代には同級生の高島忠夫とバンドを組んでいたこともある。大学在学中に同人誌「京大作家集団」の活動に参加。高橋和巳や大島渚と交流を持つ。筆名の左京は大学時代住んでいた京都市左京区からとったものである。本名は小松 実。星新一・筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれる日本SF界を代表するSF作家。宇宙開発に関心を持ちその振興を目的とした啓蒙活動にも力を入れており、宇宙作家クラブの提唱者で顧問でもある。


南北朝、後南朝系統(推定)



奈良県川上村地図




かくし平登山道入口(前回と同じです)
 ”八幡平行宮跡”と書かれた標識を過ぎて少し走ると”かくし平登山道入口”です。車はここで終わりです。写真の通り行き止まりですが、かなり広いため車の駐車には困りません。私が訪ねたときも5〜6台駐車していました。写真の階段を登って「かくし平」に向います。ここから登りでかくし平まで約4Km、私の足で1.5時間かかりました。最初が階段だったので、ハイキンク程度の雰囲気で歩けばいいのかとおもっていたら大変でした。

右の写真がかくし平登山道入口です。2006年5月末の朝早くの撮影です。出発時間は8時29分でした。

最初のお知らせ看板>
 それでも最初のうちは登りもたいしたことはなくて、道も宜しく快適でした。そして最初に見た看板が「お知らせ」でした。ただ歩いているだけなので退屈だったのですが、この看板で明神滝までの残り時間が分かりました。

右の写真がかくし平、明神滝までの時間が書いてある看板です。道も写っている写真も掲載しておきますので参考にしてください。道がいいのはこの付近までです。これからが大変でした。

明神滝分岐(かくし平1.5Km)
 出発してから約30分、8時57分に明神滝分岐にたどり着きました。先程の看板から30分と書いてあったのですが、かなり早くたどり着きました。この辺までは元気一杯でした。「…明神谷出合という支流をあやうく見すごしかけて、やっと右にまがると、半時間ちょっとで、とうとうと水の落ちる音がきこえ、岩鼻を一つまがると、正面に見あげるほどの美しい滝があらわれた。…」。ここから明神滝までは下りの約100m(直線で)です。凄い下りだったので登りが大変だなとおもったのですが、その通りになりました。小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」には”明神谷出会から30分”と書いていましたので、この明神滝分岐とは違う場所だとおもわれます。この分岐を谷の方に降りていくと大きな滝がありました。明神滝です。ただ、昨年の洪水のせいか、大きな木が滝壺に横たわっていました。あまり綺麗に撮れませんでしたが、明神滝の写真を掲載しておきます。

左の写真が”明神滝分岐”です。左に上がっていく道が”かくし平”への道です。正面を下っていくと明神滝となります。写真には写っていませんが標識の反対側に”かくし平 1.5Km”と書かれていました。

かくし平1.0Km
 明神滝から”明神滝分岐”までは僅か100m程の登りなのですが、急峻で私はヘバってしまいました。それでも”明神滝分岐”から”かくし平”まで1.5Kmと標識には書かれていたので、もう少しだとおもい”かくし平”に向って歩きだしました。出発は9時11分です。「…「かえろうよ」とさすがに月野がネをあげた。「このあたりに、獄門平といって、室町幕府のスパイを、処刑した所があるんだろ。こわいよ」 「ミイラ研究家が、なにをいっとるか!」意気軒昂たる平田がいった。「この滝をのぼるんだ ── 上に自天王のアジト、カクシ平というのがある」 「ええッ?」さすがに私もおどろいた。「正気か? ─ 後南朝のタタリにやられたんじゃないか?」 ここでも平田の強引さにおしまくられ、断崖の中腹をへつっている小道から、のぼりロを見つけると、汗みずく、泥だらけになって、やっと滝の上に出た。 ─ その上に、さらに十メートルほどの滝があり、それをヒイヒイいいながらのぼると、もう、どうやって歩いていいかわからないほど、せまい谷に出て、どうやって歩いていいかわからないほど、へバってしまった。…」。”明神滝分岐”までも道は段々悪くなってきたのですが、”明神滝分岐”を過ぎてからは上りもキツく道もかなり悪くなり、疲れる一方でした。かなり歩いたつもりで広い谷に出たので着いたかなとおもったら、”かくし平1.0Km”の看板がありました。どっと疲れました。僅か500m歩いただけでした。9時25分着です。500mが14分でした。ここからの上りが尋常ではありませんでした。道も細くて所々木の梯子が渡してあり渡るのが大変です。

右の写真が”かくし平1.0Km”の標識です。標識の手前に丸太を組んだペンチがあるのですが、誰かが座った形跡は全くありませんでした。

かくし平入口
 やっとのおもいでたどり着いた”かくし平入口”です。物凄いアップダウンの連続で膝にきていたのですが、何とかたどり着きました。たどり着いた時間は9時50分、登り始めてから1時間21分(明神滝を見た時間も含めて)、明神滝分岐から39分、”かくし平1.0Km”の標識から25分でした。ここから「かくし平行宮跡」まで100m、「金蔵王(尊義王)の墓所」まで300mと書いてありました。

左の写真が”かくし平入口”の標識です。この場所も谷間では広くなっていました。橋の架かっていない川を渡って右の方へ少し登っていきます。

三之公行宮跡
 ”かくし平入口”から100mだったはずなのですが、とても100mとはおもえませんでした(もっと長く感じた)。「…このカクシ平谷をつめきった左岸に宮跡、奥に墓跡があるというが、私と月野とは、谷の途中でひっくりかえってしまった。平田だけが、1人で宮跡を見にいった。そこは、正面に鼻つくような山壁がたちはだかり、屋根が三方をとりまいて、おちこんだような谷間だった。─ 鳥も適わぬようなこんなものすごい深山幽谷の中に、よくも宮殿などつくったものだ、と思うが、 …」。上記には”左岸に宮跡”と書かれています。左岸とは下流に向って左側なので上流に向うと右側になります。”かくし平入口”から橋のかかっていない川を右側に渡り、少し登っていくと”三之公行宮跡”がありました。かなり広くなっていましたので行宮も建てることができるとおもわれます。

右の写真が三之公行宮跡の記念碑です。この辺りがかなり広くなっていました。よくこんな所まで記念碑を運んできたなとおもいました。反対側に”尊義親王御墓200m”の標識が建っていました。

尊義親王御墓
 ”三之公行宮跡”から少し下って再び川を超えて右岸(左に渡る)に渡ります。渡ったところに標識が建っているのですが、ここからが分かりにくく、そのまま右岸を150m位歩くと「金蔵王(尊義王)の墓所」です。途中で左岸に渡る道があるのですが、渡らずに右岸を少し登ると墓所になります。こんな奥に墓所があるのはここだけでしょう。本当に遠いです。

左の写真が「金蔵王(尊義王)の墓所」です。本当に歩き疲れました。

洞穴が
 小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」ではここから本当のお話が始まります。「…「いま、この上の、宮跡と墓所跡を見て、ここまでかえってきたら、突然」 平田の指さす巨岩のかげ、崖っぷちの革や木の葉がたれさがる下に、1箇所、人間1人が立ってはいれるぐらいの洞穴がぽっかり口をあげていた。「--その前には、たった今たおれたとおぼしき、巨大な一枚岩が、横たわっている。下になった外側は、自然そのままに、苔むし、しのぶやシダにおおおわれているが、上になっている内側は、あきらかに人工ののみあとが見られ、まったいらに削り出されていた。…」。亡くなったはずの宮が生きていたのです。昭和の時代に南朝が復活します。流石のSF作家小松左京です。この続きは本を読んでください。

右の写真が「金蔵王(尊義王)の墓所」付近の河原です。昨年の大雨で流木が河原に流れ、たくさん残っていました。この付近に大岩があって、その後ろに洞穴があるはずなのですが!!SF?

次回は紹介していないところを掲載します。

入之波から三之公付近地図




【参考文献】
・吉野葛・盲目物語:谷崎潤一郎 新潮文庫
・本邦東西朝縁起覚書:小松左京 ハヤカワ文庫
・南朝全史:森茂暁 講談社選書メチエ
・闇の歴史、後南朝:森茂暁 角川選書
・吉野仙境の歴史:前園実知雄、松田眞一、文英社
・西吉野朝太平記:童門冬二、奈良新聞社
・吉野・高野・熊野をゆく:小山靖憲、朝日新聞社
・吉野・大峰の古道を歩く:山と渓谷社
・新太平記:山岡荘八、講談社文庫
・吉野路案内記:宮坂敏和、吉野町観光課
・歴史読本「南朝秘史」 昭和62年9月号:新人物往来社
・歴史読本「後南朝の皇子たちと山岳ゲリラ」1989年4月号:新人物往来社
・歴史研究「後南朝一族の謎」:新人物往来社
・小説の四季(上巻):読売新聞大阪本社
・吉野紀行:前登志夫、角川文庫
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