
吉野郡川上村の秘境、「金蔵王(尊義王)の墓所」と「かくし平行宮跡」を訪ねました。訪ねましたといいましたが、殆ど登山でした(トレッキング程度ですが)。久しぶりだったので、かなり疲れました。
小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」からです。
「…話にきけば、明神滝の下流で合流しているもう一方の谷を、東へとれば、千メートルの高みで台高山脈をこえ、三重県側大杉谷の支流に出る間道があるという。 ── 大杉谷は、宮川となって、伊勢へ流れこむから、いざという時は、伊勢の北畠氏のもとへおちのびる便もあったのだろう。…」
後南朝の頃になると、室町幕府(北朝)の力が強くなり、吉野よりも後退して南朝方北畠氏の伊勢(三重県)に近い川上村の山中に行宮を建てています。吉野からは後退しましたが、禁闕の変で御所から神璽を奪取しており、神璽は皇位の証としての三種の神器の中では最も重要ものであり、北朝に対しては南朝方が正統性を示せたわけです。
★左上の写真がかくし平にある「金蔵王(尊義王)の墓所」です。「かくし平行宮跡」から200m程先の河原から少し登った所にあります。