
「金蔵王(尊義王)の墓所」と「かくし平行宮跡」を目指して、柏木の先の大迫で国道169号線と別れて入之波に向います。この国道169号線を左折するところには現在は大迫ダム(昭和48年施工)があり、この本の書かれた頃(昭和40年)とは様変わりです。
小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」からです。
「…武断戦乱の中世において、武家をおさえて朝権を上古の至上に復さんとした、勇武の帝の遺志は百年ののちに、ついにこの南畿山岳中に万斛の怨をのんでほろんだ。吉野、北山の深い山ひだの奥、谷のはざまのすべてに歴史をこえた妄執がみち、怨みがこもっているように思える ── まして、ここ、台高山脈の内ぶところ深くはいりこんだ、三ノ公御所跡八幡平では、頭上をおおう老杉と、いりくんだ深い谷と山肌にこめられて、五百年、出口をふさがれた自天王の亡魂が、草木の一本々々に宿っているような気がして、ゆらめくランプのほの暗い影も、とうとうとなる谷川の水も、まことに鬼哭啾々として、総毛立つような気配にみちていた。 ── まったく、さあらぬ神にたたりなしで、思えばこの時まだ、そのままひきかえせば、無事だったのだが……」
「金蔵王(尊義王)の墓所」と「かくし平行宮跡」を車で訪ねようとおもったのですが、どうも車では行けそうにない場所のようです。最初訪ねたときは登山準備をしていなかったためあきらめて、再度準備(ハイキング程度)を整えて二度目のチャレンジで「かくし平行宮跡」まで訪ねました。
★左上の写真が「かくし平登山道入口」です。2006年2月の撮影です。小松左京が書いた「本邦東西朝縁起覚書」の頃は車は「三之公出合」までだったようですが、現在はもし少し進んで「八幡平黒木御所跡」からその先まで車で訪ねられるようになっています。