<小松左京「本邦東西朝縁起覚書」>
吉野、後南朝といえば谷崎潤一郎の「吉野葛」ですが惜しくも戦前のお話です。戦後では小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」が其れなりに有名なのではないのでしょうか。私だけかな!!
小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」からです。
「… 「歌書よりも、軍書にかなし」とうたわれた吉野
── といっても、実は、大変にひろい範囲をさすので、吉野郡の領域は大台、大峰の山岳地帯から、大搭、十津川の村々にかけて、すなわち奈良県の南半分全体にわたっており、奈良県は大半吉野郡だといっていい。古くは紀妃神社から壬申の乱へ源平盛衰の哀話や、南北朝の秘史、くだっては幕末天誅組の挙兵にいたるまで『軍書』にのこる遺跡は、たたなわる”近畿の屋根”紀伊山塊のひだひだにかくれて、この吉野郡の全域にちらばっているのだが
── 中で、紀ノ川上流、吉野川の源流が、大台、大峰の両巨峰の間へわけいるあたりへかけての歴史は、すべてこれ、南北朝から後南朝にわたる、中世朝廷闘争史に、衂られているといっていいだろう。…」
これは「本邦東西朝縁起覚書」の書き出しです。小松左京ですから当然SFの話になっていくのですが…‥‥…この「本邦東西朝縁起覚書」は本当に面白かったです。暇な方は是非とも一読されることを!!
★左上の写真が小松左京の「本邦東西朝縁起覚書」です。ハヤカワ文庫版なのですが、残念ながら絶版です。古本しかありません。右にアマゾンのリンクを掲載しておきます。