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最終更新日: 2017年10月28日


●横溝正史の真備町を歩く(別巻)
  初版2005年7月30日 
<V01L01>

 今週は「横溝正史の真備町を歩く」の最終回です。別巻として「本陣殺人事件」についてと横溝正史一家の関係する総社、清音、真備町を歩いてみました。この後一家は東京に向かいます。



本陣殺人事件>
  本陣殺人事件は昭和21年4月に「宝石」に掲載されます。 「…「宝石」の城昌幸君からの長篇執筆の依頼状を受け取ったのが、昭和二十年の暮れだったか、二十一年の春早々だったか不明なのは、私にとってはなはだ残念なことである。…」。こうゆう依頼で探偵小説を書き始めます。横溝正史自信は探偵小説はこれ一本のつもりだったようです。それにしても原稿一枚20円だったそうですからかなりのものです。この探偵小説の内容は疎開先で得た知識と考えた内容がいっぱい入っていました。「…トリックと、お家柄にこだわる因習的なものの考えかたと旧本陣を結びつけることによってお膳立ては出来上がったのだが、あとに残る問題は、これをいかに小説として表現していくかということであった。なにしろ百五十枚という制約がついているのだから、ふつうの小説のように客観的に描写していくことはむつかしい。そこでものをいったのが岡本綺堂張りのストーリー・テラー的才能である。…… そうだ、ああいうふうに聞き書きという手法を用いればよいのだと、取りあえず書き上げたのが「本陣殺人事件」の第一回二十九枚である。但しここで断わっておくが、この小説は最初から「本陣殺人事件」という題がついていたのではなく、城君へ送った第一回には「妖琴殺人事件」と題されていた。「本陣」では一般読者にわかりにくいのではないかと、こんな妙ちきりんな題がついていたのだが、「妖琴」ではあまりにも戦前の私の作風が連想されそうだし、私はここできれいサッパリ出直すつもりでいたから、原稿を送ったあとで急いで、「題は本陣殺人事件に改められたし」 と、いう意味の電報を打っておいた。本陣の意味については、第二回以降で説明を加えればよいのだからと思いなおしたのである。…」。ここで「本陣殺人事件」の題名が決まったようです。それにしても岡本綺堂風ですね、当時としてはかなり新鮮だったのではないでしょうか!

  坂口安吾が戦後の横溝正史について書いています。 「…日本では横溝正史が抜群であり、作家としての力量は世界のベストテンに楽にはいりうるものである。特に「蝶々殺人事件」は傑作であり、終戦後の作品には、愚作がすくない。最もつまらないのが「本陣殺人事件」で、「蝶々」をおさえて「本陣」に授賞した探偵作家クラブの愚挙は歴史に残るものであろう。…」。「本陣殺人事件」についてはあまり良く書いてくれていません。江戸川乱歩も今一歩と書いています。暫くぶりで書いたのが「本陣殺人事件」で、二作目が「蝶々殺人事件」ですから、どうしても二作目の方が良くなりますね!!

左上の写真は角川文庫版の「本陣殺人事件」です。月刊誌「宝石」に掲載された後、昭和24年に岩谷書店から出版されたのが最初ではないかとおもいます。

横溝正史の真備町地図


横溝正史の真備町年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

横溝正史の足跡

昭和20年
1945
ソ連参戦
ポツダム宣言受諾
43
3月下旬 疎開のため東京を発つ
3月下旬 兵庫県御影の義兄の家に立ち寄る
4月1日 岡山県総社の義姉宅に一時留まる
5月初旬 岡山県吉備郡岡田村字桜に転居
昭和21年
1946
日本国憲法公布
44
3月 「人形佐七捕物文庫」を連載
4月 「本陣殺人事件」を「宝石」に連載
5月 「蝶々殺人事件」を連載
昭和22年
1947
織田作之助死去
中華人民共和国成立
45
1月 「獄門島」を「宝石」に連載
11月 江戸川乱歩が来訪
昭和23年
1948
太宰治自殺
46
2月 「本陣殺人事件」で第一回探偵作家クラブ賞長編賞を受賞
11月 東京に戻る


ふるさと歴史館>
 真備町の「ふるさと歴史館」です。江戸時代の川辺宿の町並の模型や横溝正史関連の展示物があります。ただ、あまり大きな展示館ではありません。二部屋程の展示で、入場料は100円でした。

左上の写真が「ふるさと歴史館」の入り口です。週4日しか開いておりませんので注意してください。

岡田小学校>
  横溝正史一家の一番下の娘が疎開先で通っていた小学校が近くの岡田小学校でした。東京に戻る話の中に小学校名がでてきました。 「…ただちに女房を上京させた。そのとき私がすぐに上京しなかったのは、話があまり急だったので、前任者が完全に立ち退くまでには、まだそう暇がかかりそうだというのと、次女の瑠美が岡田村の小学校へ通っていたので、学期半ばに転校が可能なりや否かを心配したからである。こうして一字期が終わるまで夫婦別居と話がきまった。即ち家内は東京の家で亮一の面倒をみ、長女の宜子が桜の家で私と瑠美の世話を焼くということになった。長女の宜子は昭和三年うまれだからもう年頃、それくらいのことは出来る年齢になっていた。…」。長女が東京に帰るまでの少しの間、父親と末っ子の面倒を暫くみることになります。

右の写真が岡田小学校です。場所は当時と全く変わっていないとおもいます。

矢掛中学校(現在の岡山県立矢掛高等学校)>
  横溝正史一家の長男は岡田村からかなり離れた矢掛中学(旧制)に通い、東京の早稲田大学を受験します。 「…さて、昭和二十三年になると私はすっかり途方に暮れてしまった。件の亮一は東京では府立十中に席をおいていたのだが、疎開してから矢掛中学というのへ転校させてあった。それがその春東京の早稲田を受けさせてみたところ、首尾よくパスしてしまったのである。私もここらが引き揚げどきかもしれないと思ったが、さて帰るに家なしという状態であった。…」。矢掛中学が余りに遠いのでビックリしてしまいました。岡田字桜の疎開先から旧山陽街道を14〜15Kmの距離です。現在は井原鉄道ができていますが、当時はバスがあったか無かったか程度だとおもいます。歩くと3時間ですね!

左の写真が現在の岡山県立矢掛高等学校です。明治36年開校ですから相当由緒ある学校です。

横溝家の出身地>
  横溝家の出身地は疎開先のすぐ近くでした。 「…父はもと岡山県浅口郡船穂村字柳井原の出身で、土地ではそうとうの旧家であり、いまでもわが家のご先祖が築いたという、なんとか城の跡がのこっているそうである。……母のはまは旧姓を市川といい、生家はおなじ岡山県吉備郡の柿の木、総社の町のすぐちかくにあり、これはそうとうの豪農だったらしいが、幼時からその家とは交際がたえているので、私は生母方の親戚というのをひとりもしらない。……それにもかかわらず家業として生薬屋を営んでいたのは、母の生家のある柿の木というところは総社にちかく、その辺一帯は越中富山ほどではないにしても、置き薬の製造販売の盛んなところで、柿の木の家もそれに関係していたのではないかと思われると、これは長女宜子の説である。長女は疎開したとき十八歳(いまの十七歳) であったから、遊んでいると徴用される憧れがあった。そこで世話するひとがあって終戦まで村の役場に勤めていたから、そこでいささか聞くところがあったのだろう。…。」。真備町から倉敷へ向かう途中に柳井原があります。横溝正史の母親の実家は柳井原の反対側で、真備町から総社に向かう途中の柿木にあったようです。

右の写真は柳井原の酒屋さんの看板で、横溝商店と書かれていました。柳井原には横溝性の方が多そうです。

<「本陣殺人事件」の映画化(DVD)>
  横溝正史の「本陣殺人事件」は映画やTVドラマでたびたび映像化されています、 「…「蝶々殺人事件」を映画化したのは大映であったが、最初大映が眼をつけたのは「本陣殺人事件」のほうであった。連載中から映画化の申し出があり、これらの東京における窓口はいっさい江戸川乱歩がつとめてくれた。……果たして「本陣」が誌上で完結すると大映では、あの複雑なメカニズムに辟易して、「本陣」をキャンセルするかわりに、「蝶々」 のほうを映画にしたいと、これまた乱歩を通じていってきたのである。……それはさておき大映からキャンセルされた「本陣殺人事件」 の映画化について、今度は東横映画から名乗りあげてきたのには、私は大いに驚いた。これは乱歩を通じてではなく東横のほうから直接申し込みがあったのだが、その時分には小説も完結し、あの複雑なメカニズムも釈明されているのだから、東横映画ではそこをどう表現するつもりなのか、おそらく自信もってのことだろうからと、これまた一切乱歩に一任した。乱歩の仲介よろしきをえてこの二本は二本ともその年のうちに映画化されたが、二本とも題名が原作とは変わっていた。「蝶々殺人事件」は「蝶々失踪事件」に「本陣殺人事件」は「三本指の男」にと。その間の事情をここに打ち明けておくと、これは映画会社の横暴によるものではなく、GHQの干渉によるものであった。…」。最初の映画化が東横映画だったようです。

左の写真は1977年に毎日放送で放映された「本陣殺人事件」のDVDです。この他「本陣殺人事件」でDVD化された映画は1975年の中尾彬が金田一耕助を演じているATGがあります。

<横溝正史の本陣殺人事件地図>

【参考文献】
・探偵小説五十年:横溝正史、講談社
・横溝正史読本:小林信彦、角川書店
・横溝正史自伝的随筆集:横溝正史、角川書店
・横溝正史の棒ぐ:角川書店編
・本陣殺人事件:横溝正史、角川文庫
・金田一耕助のモノローグ:横溝正史、角川文庫


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