●島崎藤村を巡る(最終回) 初版2001年3月24日
二版2005年2月26日 <V01L02>
今週は「島崎藤村の東京を巡る」の最終回として、加藤静子との結婚と麹町区下六番町から大磯で亡くなられるまでを追ってみました。大磯は東京からは東海道線で1時間11分(片道1110円)、ひと眠りしてやっとたどり着きました。
<落穂
−藤村の思い出−> 「…わたしは大正十年の夏、東洋大学の夏季講習会で講師の一人として、藤村をはじめてステージに見た。講演後に講師の控室で数人の同窓の友人達と一緒に藤村を囲んで、まだその頃学生だったわたしは暫らく話しをする機会があった。その時講師のカフスをとめるボタンは、夫藤村が最後の日まで二十数年の間、主人が外出するといえば、あのボタンはその人の手くびをいつも飾っていた。…」。この文は島崎藤村の二人目の妻
島崎静子が折々に書いていた藤村の思い出を昭和47年に「落穂」−藤村の思い出− として明治書院から出版したものです。この中に書かれている”カフスボタン”は終生島崎藤村が愛用していたようで、藤村がパリへ旅立つ際に徳川家から餞別として貰ったもので三つ葵の紋が入っていたそうです。静子が初めて藤村と出会ったのは大正10年の夏、求婚されたのが大正13年4月〜5月、結婚式が昭和3年11月3日となります。島崎静子は旧姓、加藤静子、津田英語塾(現在の津田塾の前身)を中退、「処女地」の同人として参加し、廃刊後、仕事の手伝いに飯倉片町の島崎藤村宅に通うようになり、藤村と親しくなったようです。
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