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最終更新日:2016年07月08日


●島崎藤村の東京を歩く(第一回) 2004年12月25日 <V01L03> 

 今週から「島崎藤村の東京を歩く」を改版します。当初の掲載は平成13年(2001)3月ですから3年半前になります。まず最初は馬籠から東京銀座の長女の嫁ぎ先に上京してから、東北学院に作文教師として赴任するまでを「春」、「桜の実の熟する日」を参考にしながら歩きます。

泰明小学校>
 明治14年9月、島崎藤村(本名:春樹)は姉の嫁ぎ先である高瀬薫方に長男とともに勉学のため上京します。
「…曾て彼が銀座の田辺の家の方から通って行った数寄屋橋側の赤煉瓦の小学校の建築物は、青木も矢張少年時代を送ったというその同じ校舎であることが分って来た。姓の違う青木の弟という人と、彼とは、その学窓での遊び友達であったことが分って来た。あの幼い日からの記憶のある弥左衛門町の角の煙草屋が青木の母親の住む家であることも分って来た。バイロンの「マンフレッド」に胚胎したという青木が処女作の劇詩は、その煙草屋の二階で書いたものであることも分って来た。…」
 姉の嫁ぎ先である高瀬薫方は銀座四丁目の和光の裏通り辺りにあったようです。ですから学校までは数分の近い距離でした。その後、京橋区銀座四丁目四番地 吉村忠道方に転居しています。こちらも近くでほとんど場所はかわりません。

上の写真が泰明小学校の正面看板です。中央区のホームページによると、
「明治11年、元数寄屋町一の一に第一大学区第一中学校区第十七番東京府公立泰明小学校として創立。当時は二階建ての赤レンガの校舎であった。創設以後は増築や新築を繰り返し、大正12年9月の関東大震災により校舎全焼した後、現在の校舎落成。数少ない現役の復興小学校校舎。島崎藤村や北村透谷もここに学んだ。」

と書かれています。写真をクリックすると学校の写真になります。

左の写真は泰明小学校の正面前にある記念碑と銀座の柳です。記念碑には、「島崎藤村、北村透谷、幼き日ここに学ぶ」、と書かれています。銀座の柳は二世と書かれていました。

<島崎藤村(明治5年(1872)〜昭和18年(1943)>
 明治5年(1872)島崎藤村(本名:春樹)は長野県木曽郡山口村字馬籠で父正樹、母ぬいの四男として生まれます。生家は馬籠宿の本陣・庄屋を兼ねる旧家でした。小学生の時に上京、明治25年には明治女学校の教師となります。北村透谷らと文芸雑誌「文学界」を創刊、明治30年に刊行した第一詩集「若菜集」によって名声を得ます。代表作としては「破戒」「春」「家」「夜明け前」などがあります。昭和18年(1943)脳溢血のため、71歳で亡くなります。

島崎藤村の東京年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

島崎藤村の足跡

明治14年
1881
パナマ運河工事を開始
岩波書店創業
9
9月 京橋鎗町の長女の嫁ぎ先高瀬薫方に滞在し、泰明小学校に転入
明治16年
1883
日本銀行が開行
11
京橋区銀座四丁目四番地 吉村忠道方に転居
明治19年
1886
帝国大学令公布
14
泰明小学校を卒業
芝の三田英学校に入学
9月 共立学校に入学
11月 父死去
明治20年
1887
長崎造船所が三菱に払い下げられる
15
9月 明治学院普通部本科に入学
明治21年
1888
森鴎外がドイツ留学から帰国
16
6月 高輪台教会で洗礼を受ける
明治24年
1891
大津事件
露仏同盟
19
6月 明治学院を卒業 横浜伊勢佐木町の雑貨店 マカラズヤを手伝う
明治25年
1892
第2次伊藤博文内閣成立
20
神田仲猿楽町に下宿
9月中旬 明治女学校の高等科英文科の教師となる
明治26年
1893
大本営条例公布
21
1月 明治女学校を退く
明治27年
1894
日清戦争
22
4月 明治女学校に復職
明治28年
1895
日清講和条約
三国干渉
23
7月末頃 本郷湯島新花町転居
12月 明治女学校を再び辞める
明治29年
1895
樋口一葉死去
24
8月 本郷森川町に転居、母と長兄の妻子を移す
9月 東北学院に作文教師として赴任

島崎藤村 東京地図




共立学校(後の東京開成中学校)>
 泰明小学校卒業後、島崎藤村は愛宕町三丁目の三田英学校に通いますがすくに神田淡路町の共立学校(後の東京開成中学)に入学します。
「…「浅見先生には僕は神田の学校でアーヴィングをおそわった。『スケッチ・ブック』なんて言ったって本が無かった。先生は自分で抜萃したのをわざわざ印刷させた。アーヴィングなぞを紹介したのは恐らく浅見先生だろうと思うよ」…」
 島崎藤村は「桜の実の熟する日」に上記のように共立学校時代のことを書いてます。ここで書かれているアーヴィングとは、1783年ニューヨーク生まれのアメリカの作家です。「ニューヨークの歴史」で認められ、短編集「スケッチ‐ブック」で名声を得ています。当時としては新進のアメリカ作家だったのでしょう。

左の写真の左側が当時共立学校のあった神田淡路町二丁目三番地です。現在は受験校で有名な東京開成中学校になって西日暮里へ移転しています。

左の写真は現在の錦城学園高校です。三田英学校は明治13年、慶応義塾旧医学校跡に三田予備校として創立しています。明治14年、芝愛宕町(愛宕町三丁目)に移転して三田英学校となります。明治22年には神田錦町に移転して錦城学校と改称、現在の錦城学園高校となります。島崎藤村が通っていたころの三田英学校は旧陸奥三春藩秋田家屋敷地にあり、現在の新橋五丁目20、25番地付近とおもわれます。写真の手前左側に写っているのは神田錦町の由来が記載されている説明板です。

明治学院>
  昭和20年9月、島崎藤村は明治学院普通部本科に入学します。この入学の経緯については「新片町だより」の中に書かれています。
「…私は十七から二十までの間を、明治学院の学窓で迭った。学院のあるところは、白金今里町で、今は町が出来たり、人家が殖えたりして居るが、私の居た時分は、樹木の多い、静かな場所で、御殿山なども、その時分は開放されて、自由に出入することが出来たので、学校で勉強する余暇には、よくあの辺の谷間やら、丘やら、樹蔭の多い道などを歩いたものだ。自然といふものが、私の眼に映り始めたのも丁度其時分であつた。その界隈の静かな景色は、今も抱私の脳裡に忘るべからざる印象を残して居る。……尚この明治学院へ入るといふに就いては、今、三菱の重役をして居られる江口芳條先生に、もと私が就いて語学を学んだといふ縁故から、尚一層英語を研究するには、何処の学校がよからうかと閏いたところが明治学院がよからうといふことで、それからあの学校へ入ることに定めたのであつた。…」
 やっぱり当時から英語は重要だったようです。明治20年ですから130年程前ですね。この当時、島崎藤村は浜町三丁目一番地浜町二丁目十一番地の吉村家から通っています。日本橋浜町三丁目(箱崎付近)、日本橋二丁目(明治座付近)は現在でもそのままの地名です。

右の写真が島崎藤村が作詩した明治学院の校歌記念碑です(明治39年に作詩)。すぐ左側には古いチャペルがあり、その向こう側にはペポン館があります(ヘボン式で有名)。藤村は明治20年16歳で明治学院普通学部本科(第一期生)に入学し、翌年にはキリスト教の洗礼を受けています。大正8年に出版された『桜の実の熟する時』は、明治学院を舞台にした作品で、藤村の青春への回想がつづられています。この作品によって、明治学院は広く一般に知られるようになったようです。

明治女学校跡>
 島崎藤村は明治学院卒業後、明治25年9月、明治女学校の英文科の教師となります。
「…牛込の見附から富士見町にいって、あの土手の上へ登ると、古い松の樹の間には一筋の細道があって、その頃はそこを歩いても関わないようなことに成っていた。そこから樹木の多い市谷の町々が見渡される。堀に添う一帯の平地も見える。土手は低い岡続きのように、ところどころ拡がって平地に成ったかと思うと、また隆く盛上るという風で、道路へ落たところは面白い小さな傾斜を成している。日の射すところは草が青々として見える。岸本が麹町の学校へ通った頃は、一時赤城に下宿していて、この土手を往ったり来たりしたのであった。土手の尽きたところから、帯坂を上る。静かな蔭の多い坂で、椿の花なぞが落ちている。片側には古い町がある。そこは岸本が気に入った坂で必ず通ることにしていた道路であった。学校へ近づくに随って、混雑した記憶が岸本の胸に湧いて来た。門を入ると、庭がある。入口の左右には講堂や応接間がある。。…」
 当時、島崎藤村は神田仲猿楽町九番地から牛込区赤城元町三十四と下宿を移っています。上記は牛込区赤城元町から麹町下六番町6番地の明治女学校に通ったときのことを書いています。

左の写真の正面ビルの所に明治女学校がありました(日本テレビの斜向かいです)。明治30年(1897)麹町区から西巣鴨に移転しています。明治40年廃校になっています。現在、西巣鴨に明治女学校之址の碑があります。自由学園創立者の羽仁もと子、作家の野上弥生子が卒業しています。

次回は、引き続き「島崎藤村の東京を歩く (二)」を掲載します。

島崎藤村東京地図 -1-



島崎藤村東京地図 -2-




【参考文献】
・冬の家 島崎藤村夫人・冬子:森本貞子、文藝春秋
・群像 日本の作家 島崎藤村:小学館
・新潮文庫大正の文豪:新潮社版(CD-ROM版)
・島崎藤村全集:新潮社
・文学散歩:文一総合出版、野田宇太郎
・新潮日本文学アルバム(島崎藤村):新潮社
・文京ゆかりの文人たち:文京区教育委員会
・文人悪食:新潮社、嵐山光三郎
・大磯町パンフレット:大磯町
・大東京繁昌記(山手篇):平凡社
・飯倉だより:島崎藤村、アルス
・新片町だより:島崎藤村、春陽堂

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