< 仙台駅前> 島崎藤村は仙台時代のことを「市井にありて」の”『若菜集』時代”で、「…仙台へ出かける前の四年ばかりというものは、かなり私も暗い日を送ったあとで、よくよく行き詰った揚句、自分の古本でも売って旅に出かけようかと思いつきました。それが或る人の世話で、仙台の東北学院の教師として出かけることになって、旅も出来れば母への仕送りもいくらか出来るという始末であったのです。あの時は寂しい思いで東北の空へ向いました。着物なぞも母の丹精で見苦しくない程度に洗い張したもので間に合せ、教師としての袴は古着屋から買って来たもので間に合せました。荷物といっても柳行李一つで、それも自分があつめた本を大事にいれて行くぐらいなものでした。上野から汽車で出かけて、雨の深い白河あたりを車窓から見て行ったときの自分の気持は、未だに胸に浮んで来ます。そんなに寂しい旅でしたけれども、あの仙台へついてからというものは、自分の一生の夜明けがそこではじまって来たような心持を味いました。実際、仙台での一年は、楽しい時であったと思います。…」、と書いています。生活が苦しくやむをえず東北学院の先生になったようです。仙台行きは都落ちでそうとう滅入っていたようですが、実際に仙台での生活はそれなりに楽しかった様です。
★右の写真はJR仙台駅北口の写真です。正面付近に島崎藤村が仙台で最初に宿泊した「針久支店」がありました。いまはまったく面影がありません。島崎藤村が上野から乗った列車は上野発午前6時40分、白河午後1時、仙台着午後7時ですから12時間くらいかかっています。
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