<片瀬2459番地>
大正14年に入ると富永太郎の病状はますます悪化してきます。肺結核が進んでいたようです。片瀬江ノ島近くに母親とともに転地療養します。大岡昇平全集17に掲載されている「書簡を通して見た生涯と作品」から当時の書簡をピックアップします。
「 書簡98 三月七日附。村井康男宛。(同右発)
本、早速ありがたう。今受取ったところだ。多分明日片瀬へ転地することになった。遊びに来ないか。鎌倉あたりへ出掛けてもいゝ。神奈川県片瀬二四五九。(略図あり) 知れなかったら、はますかで熊野徳蔵といふ家を探し、そこできけばすぐわかる。 右取あへずお知らせ。 Au
revoir
書簡99 三月十一日附。杉並町馬橋二二六小林秀雄宛。鎌倉発。
二、三日前からこっちへやって来た。肺尖が大分わるいので。毎日電車に乗って鎌倉まで行く。そして退屈して帰って来る。 気の向いた日にやって来ないか。石丸を誘って来てもい。(略図あり)鎌倉へでも遊びに行かう。白葡萄ぐらゐはつきあへるから。
片瀬2459 長谷にて…」。
昔の人は本当によく手紙を書いていますね。手紙には必ず住所が書かれていましたから場所の特定には苦労しません。またその手紙の中に地図が書かれていれば万全です。因みに”Au
revoir”はフランス語で「さようなら」の意味です。