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最終更新日:2006年4月22日

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●常盤台散歩(東武東上線の田園調布)
  
2000年5月20日 2版

 板橋区の田園調布、東武東上線の田園調布と呼ばれている「常盤台」の散歩道をご紹介します。



  常盤台は、東武東上線で池袋から5つ目「ときわ台」駅の北側に広がる、2万3千余坪の住宅地で、現在の常盤台一丁目、二丁目に該当しています。この常盤台住宅地は、東武鉄道初の宅地開発により分譲された住宅地で、1935年(昭和10年)東武東上線武蔵常磐(現在の東武東上線ときわ台)駅の開業を契機としたものでした。いまでも当時の道路網や駅前広場、公園などを随所に見ることができ、また独特な雰囲気をもっており、田園調布と並ぶ郊外住宅地ということができます。当初、常盤台住宅地の計画敷地は、東武東上線と伊勢崎線の接続に伴う操車場用地確保のために、東武鉄道が昭和2年頃に買収していたものだったそうです。しかしながら、採算面の問題から接続案は見送られ、その代替案として住宅地建設が浮かび上がってきたものです。もともと東上線は、大正3年に設立された東上鉄道株式会社の路線でしたが大正9年に東武鉄道と合併し、東武東上線となったものです。(左の写真は現在のときわ台駅です。東武東上線の駅の中で一番古い駅です。)


(左の写真は当時の東武鉄道の住宅地販売の案内図の表紙の字です。)


tokiwadai3-w.jpg 分譲当初は、住宅展覧会が開かれ、モダンな文化住宅(和洋折衷住宅)が売り出され、以後も住宅地の美観を保持するための建築内規により文化住宅が建ち並ぶ住宅地となっていました。常盤台住宅地の大きな魅力のひとつに、住宅地をほぼ一周する環状道路と駅前ロータリーからのびる幹線道路との組み合わせによるユニークな街路計画が上げられます。しかしながら当初の街路計画は、いわゆる「碁盤の目」状であり、ごくありふれたものでした。常盤台住宅地の基本設計者は、昭和9年に東京帝国大学の建築学科を卒業し、内務省に省入した小宮賢一です。常盤台住宅地の分譲開始が昭和11年からであることを考えれば、小宮賢一は入省した直後から常盤台住宅地の設計に取り掛かっていることになります。そして設計の指導には、上司である菱田厚介、北村徳太郎、本多次郎の3氏がそれぞれ当たったようです。


tokiwadai4-w.jpg<常盤台写真場>
 常藍台写真場は、現在の板橋区常整台に1937年(昭和12年)に建てられた写真舘です。スラントといわれる自然採光のしくみをもっており、照明設備の発達していない時期の特徴をよく表している写真館です。 建築は木造2階建てで、外壁をリシン仕上げとしている。外観は、全体的に左右非対称の構成で、交差点に面した角の部分を塔状に高くしている。このように、軒の水平線と角部の垂直線の対比を強調するデザインは、昭和戦前期の都市建築に流行したものである。総体的に開口部が多く、特に北側立面は大部分が晶りガラス窓で占められており、写真館の特徴を外から見ても感じとることができます。
(左の写真は現在のときわ台写真場です。右下の写真は小金井市にあります江戸東京たてもの園に移築された昔の常盤台写真場です。)


tokiwadai5-w.jpg 玄関から内部に入ると、玄関ホールの西側に書生室があります。ホール南側の応接室は、天井の太い猿額縁が印象的で、和風の照明器具は写真にもとづいて復元したものだそうです。六畳の2室は居間と老人室ですが、とくに後者は、網代天井、床の間の柄形意匠など、数寄屋風のデザインが特徴的です。また、2室の庭側足下には小窓が、食堂との境には回転式のガラス欄間が、それぞれ設けられています。これらは、南側下部から入る風を北側上部に抜くためであり、夏場の通風にも配慮していることがうかがえます。2階への階投を上ると、高い天井と広々とした空間、豊富な自然光などが特徴的な写場(スタジオ)です。階段室に面した腰壁の円形開口、棚板端部の半円形、ニッチ2)風の飾り棚などのデザインは、写真撮影の背景としての機能を意識したものであろう。屋根の勾配がそのまま天井の傾斜となり、北側にはトップライトを設けている。また北側に大きな摺りガラス窓をとっているが、これはムラのない自然光を取り入れるためで、画家や写真家などのアトリエにしばしば用いられる方法です。


 常盤台住宅地の街路計画の最大の特徴は、住宅地内を一周するように計画された環状道路が存在することです。残念ながら一部、土地買収の不成立により完全な「環状」道路は、出来ませんでしたが、住宅地案内地図に「遊歩道」と記載があるように、中央にプラタナスが植樹され、文字通り散歩などに適した、非常に質の高い空間を提供しています。そしてまた、その環状道路を南北方向に貫く幹線道路が3本と、東西方向に弓なりに貫く幹線道路が1本あります。常盤台住宅地の主要交通はこれらの合計4本の幹線道路によりなされるよう計画されています。駅前ロータリーから北に伸びて環状道路を貰いている3本の幹線道路は、中央が11メートル幅であり、その両側が8メートル幅になっています。その内、中央11メートル幅の幹線道路により、住宅地はほぼ二分され、東側は「常盤台一丁目」、そして西側は「常盤台二丁目」となっています。(左の写真は当時のままの帝都幼稚園です)


 南北方向の3本の幹線道路は、それぞれ富士見街道(通称、エスビー通り)に接続することになります。東西方向に貫く幹線道路は、当初、昭和2年に都市計画決定されていました。環状7号線(通杯、環七通り)に東端で接続される予定でした。しかしながら、これも十分には実現していません。また、その西端についても、周辺の住宅地との接続が考えられていましたが、実際には、ほとんど行き止まりに等しい状態で、こちらも十分に計画段階の意向が反映されていません。街路計画の最大の魅力は、緑溢れる環状道路の導入ですが、その他にも常盤台住宅地では、細部にわたって様々な手法が駆使され、工夫がなされています。その中でも「クルドサック」)や「ロードペイ」は、当時の日本の住宅地では、まずみることができない常盤台住宅地に独特のものです。
田区の田園調布と比べると、全体にこじんまりしていて、道路も一部未完成の所もあり、残念ながら少々見劣りします。もう少しお金と時間を掛けて環状道路等を完成させけおければ、田園調布より有名な高級住宅地になっていたことでしょう、残念です。


<クルドサック>
 クルドサックは、設計段階においては、7箇所が計画されていましたが、そのうちで実現したものは5箇所だけで、いずれも常盤台一丁目に位置しています。常盤台住宅地のクルドサックの特徴は、クルドサックの一番奥に円形またはそれに準じた形に植栽がなされていることと、人間専用の路地があり、通り抜けが可能なところです。特に路地が導入されたことによって住宅地内に妬遊性が生まれています。そして戦前には、路地に面した家の行き来が額繁に行われて、良好なコミュニティー形成の一助となっていたそうです。


<ロードペイ>
 ロードペイは、住宅地の北東に1箇所あります(現、常盤台一丁目児童遊園)。このロードペイの本来の目的は、道路沿いに設けることによって、住宅を道路から後退させ、あわせてセミパブリックな空間を生み出させることだぞうです。常盤台住宅地には、環状道路沿いに設けられており、環状道路中央の植栽と共にオープンスペース確保のためだと思われます。このロードペイ以外にも、環状道路沿いに、小さい公園が配されており、同様なことと思われます。これらの他にも、道路が鋭角に分かれる時に出来てしまう三角形の敷地に植栽を施したり、住宅地を南北方向に貫く中央の幹線道路に、富士見街道に面した北端と、ときわ台駅前の南端にそれぞれロータリーを計画するなど、細やかな配慮が各所にみらます。なお、富士見街道側のロータリーは、隣壊する前野町側の道路拡幅がなされなかったために実現していません。


ときわ台付近地図


【参考文献】

・江戸東京たてもの園展示解説シート:東京都江戸東京博物館分館
・常盤台住宅物語:板橋区教育委員会

【交通のご案内】
・ときわ台
−東武東上線「ときわ台駅」下車 駅前から

【見学について】
・ときわ台:東京都板橋区常盤台一丁目、二丁目
 

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