<日本郵船長崎丸>
芥川龍之介は上海行きの船に門司から乗船しましたが、谷崎潤一郎は乗船時間の一番短い長崎から乗船しています。長崎−上海間の航路は大正12年開設ですから間に合っています。この航路は翌日には上海に到着しますから一日の船旅でいいわけです。下関からでは2日掛かります。門司ー長崎間の列車も急行で6時間掛かりますので、船旅か鉄道かは好みだとおもいます。
谷崎潤一郎全集の書簡から
「六五 一月十二日 長崎市大浦ジャパンホテル方より京都市上京區田中關田町四四濱本浩宛 封書(御直披)(オテル・ドユ・ジャポン用便箋用紙、横書)
濱本浩様
新年おめでたう、昨冬は大變御厄介になりました。
六日に家族をつれて出發、長崎へ来て四五日遊びました。明十三日長崎丸にて出帆します。
いづれ上海から叉御便りします。先は一寸御挨拶まで
大正十五年正月十二日
谷崎潤一郎」。
谷崎潤一郎の長崎での宿泊場所はジャパンホテルでした。このジャパンホテルについては別途掲載したいとおもっています。
濱本 浩(はまもと ひろし、1891年4月20日 - 1959年3月12日)は、日本の作家。
愛媛県松山市生まれ。高知市出身。同志社中学部中退。改造社編集部員時代に谷崎潤一郎の担当編集者として知遇を得ていました。(ウイキペディア参照)
★左上の写真は日本郵船長崎丸です。長崎ー上海間に就航した高速船です。25時間で結んでいたようです。大正13年には神戸まで航路が伸びていますので、谷崎潤一郎は帰国では神戸まで乗船しています。