<谷崎潤一郎全集(最新版)>
谷崎潤一郎全集の新版が中央公論新社から今年の5月より出版されています。中央公論新社
創業130周年記念出版だそうで、月一冊の発行ですから、26巻で2017年6月まで掛かります。それまで中央公論新社がもつか心配です。(年譜や書簡の掲載された巻はまだ出版されていませんので、前版で記載します)
谷崎潤一郎全集(前版、1981)の年譜から
「 大正十五年・昭和元年(一九二六)丙寅 四十歳
一月十三日、長崎丸で上海に旅立つ。内山完造を通じて、田漢、郭沫若、歐陽予倩、周作人らと相識る。二月十四日帰国の途につく。」。
年譜には長崎からの出発日と帰途に就いた日しか書いてありません。もう少し他の本を探す必要がありそうです。
谷崎潤一郎全集(前版、1981)の書簡から
「六四
十二月二十六日 兵庫縣武庫郡本山村北畑(消印東京中央)より中華民國上海九江路三井銀行支店内土屋計左右宛 封書(親展)
其後は長らく御不沙汰いたしました、いつも御變りなく大慶に存じます。
さて小生は地震後兵庫縣下に引移り、御影の近所に家を持つて居りますが、目下一寸用事があつて東京へ來て居ります。そして東京の用がすみ次第、多分年内に(大晦日頃)上海へ遊びに行かうと思つて居ります。滞在日数、プログラムなどはまだ確定して居ませんが、面白ければ一二月は居るつもりで、或は將來、上海と日本と両方に家を置き、往つたり來たりしようと云ふ考へもあります。さうなれば或は家族もつれて行くかも知れませんが、先づ今同は單獨にて行き、然るべき家具附の部屋を借りて住まうかと云ふ計劃です。それで何かにつけ、大兄の御盡力を仰ぎ度、最初四五日は宿屋住まひをしなければなりませんが、宿屋は日本旅館でなく、支那人経営の洋風ホテルが望ましく、勝手ながらこれも御配慮を煩はし度存じます。
兎に角御地到着次第、御訪ねいたしますが、出立の日に電報をさし上げます。御宅の住所が分らないので銀行宛に此手紙さしあげますが、今日此れから偕楽園へ行きますから笹沼にきくつもりで居ります。
いづれ拜顏の節萬
十二月二十六日
谷崎潤一郎
土屋計左右様
二伸
或は大兄気附にて小生宛の郵便が行くかも知れませんが、その節は御預り置きを願ひます。
洵小生兵庫縣の住所は兵庫縣武庫郡本山村北畑です。一旦東京から歸宅して、神戸より船に乗る豫定です。」
当初は長崎ではなく、~戸から船に乗船する予定だったようです。いつ長崎に変ったかは不明です。
★左上の写真は今年5月に中央公論新社より発刊された谷崎潤一郎全集の新版です。2017年まで掛かりますので気の長い話です。今回は26巻です。前回は30巻だったので、削ったのか、各巻のページが増えているのかまだ分かりません。