※谷崎潤一郎の「日立」と「食の熱海」は、もう少し掲載内容が追加されましたら分離して独立させます。
谷崎潤一郎の食については「谷崎潤一郎の食を歩く(京都編)」に続いて、「熱海」を廻ってみたいとおもいます。熱海は谷崎潤一郎が晩年過ごしたところで、孫の渡辺たをりが書いた「花は桜、魚は鯛」に沿って熱海を歩いてみたいと思います。谷崎潤一郎については、『三島由紀夫の言葉を借りれば「谷崎文学は見かけほど官能性の全的是認と解放の文学ではなく、谷崎氏の無意識の深所では、なほ古いストイックな心情が生きのびて」いるところがあり「女体を崇拝し、女の我儘を崇拝し、その反知性的な要素のすべてを崇拝することは、実は微妙に侮蔑と結びついてゐる」ことは見のがせない。」と書いており、美食に関しても同様であって、生活人としての谷崎は、どこにでもいる「上等な食いしん坊の常識人」であり、そこに異常性は見あたらない。』と「文人悪食」で嵐山光三郎は書いています。 |