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最終更新日:2017年10月28日

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●谷崎潤一郎の食を歩く(熱海編) 初版2002年12月14日 V01L02

※谷崎潤一郎の「日立」と「食の熱海」は、もう少し掲載内容が追加されましたら分離して独立させます。

 谷崎潤一郎の食については「谷崎潤一郎の食を歩く(京都編)」に続いて、「熱海」を廻ってみたいとおもいます。熱海は谷崎潤一郎が晩年過ごしたところで、孫の渡辺たをりが書いた「花は桜、魚は鯛」に沿って熱海を歩いてみたいと思います。谷崎潤一郎については、『三島由紀夫の言葉を借りれば「谷崎文学は見かけほど官能性の全的是認と解放の文学ではなく、谷崎氏の無意識の深所では、なほ古いストイックな心情が生きのびて」いるところがあり「女体を崇拝し、女の我儘を崇拝し、その反知性的な要素のすべてを崇拝することは、実は微妙に侮蔑と結びついてゐる」ことは見のがせない。」と書いており、美食に関しても同様であって、生活人としての谷崎は、どこにでもいる「上等な食いしん坊の常識人」であり、そこに異常性は見あたらない。』と「文人悪食」で嵐山光三郎は書いています。 

谷崎潤一郎の熱海年表

和  暦

西暦

年    表

年齢

谷崎潤一郎の足跡

作  品

昭和25年 1950 朝鮮戦争 64 2月 熱海市仲田805 別荘「先の雪後庵」に転居  
昭和26年 1951 サンフランシスコ講和条約 65    
昭和29年 1954 スエズ動乱 68 2月 熱海市伊豆山鳴沢1135番地「後の雪後庵」に転居  
昭和30年 1955 自由民主党結成 69   幼少時代
昭和31年 1956 日ソ国交回復 70 京都下鴨の家を売却
左京区北白川仕伏町3番地の渡辺家を宿とする
昭和34年 1959 皇太子殿下ご成婚 73   夢の浮橋
昭和36年 1961 加山雄三の若大将シリーズ
ベルリンの壁
75   瘋癲老人日記
昭和37年 1962 YS11初飛行
キューバ危機
76   台所太平記
昭和38年 1963 黒澤明監督の「天国と地獄」
こんにちは赤ちゃん
77 4月 「後の雪後庵」を売却
一時 熱海市西山町614 吉川英治別邸、文京区関口町の目白台アパートに住む
雪後庵夜話
昭和39年 1964 オリンピック東京大会 78 7月 神奈川県湯河原町吉浜字蓬が原1895-104に転居 続雪後庵夜話
昭和40年 1965 江戸川乱歩没 79 7月30日 死去  

tanizaki-atami31w.jpg<三木製菓>
 渡辺たをりの「花は桜、魚は鯛」を読むと「三時ごろになるとおやつの時間です。祖父はまた、書斎から出て居間にやってきます。おやつは熱海市内のレストランの「モンブラン」のチーズトースト、洋菓子屋の「三木」 のクッキー、ラングドシャ、アイスクリームなどの時もありましたし、京都から「松屋」のみそ松風、「道喜」 のちまきなどを誰かに届けさせていることもありました。そのほか、岡山の「初平」 の水蜜桃、金沢「森八」 の和菓子、中津川「すや」 の粟きんとん、東京なら「空也」 の和菓子などなどを季節に応じて送らせていました。こうして書き並べるとデパートの物産展のようですが、昭和三十年代にこれだけのものを自宅にそろえていた労力と情熱はただごとではないと思います。、どんなものだったのでしょ」、とあります。「松屋」のみそ松風、「道喜」のちまきは京都編で紹介しましたので、”岡山の「初平」の水蜜桃、金沢「森八」の和菓子、中津川「すや」の粟きんとん、東京なら「空也」の和菓子”が残っているのですが、熱海以外は別の機会に紹介したいとおもいます。熱海のお菓子ではまず最初が洋菓子屋の「三木製菓」です。今回三木製菓で購入したのはネコの下(クッキー)一袋380円 バタークッキー(4個入)220円”です。さっぱりしていておいしかったです。京都の和菓子ほど歴史はなく、東京のお菓子ほど洗練されてはいませんが、それなりに頑張っているとの印象でした。

左の写真が熱海市渚の三木製菓です。東京のお菓子屋さん等とくらべると小さいお店ですが、なかなかのお店でした。

tanizaki-atami33w.jpg<MONT BLANC(モンブラン)>
 上記にもレストランの「モンブラン」として、チーズトーストがおいしいと書かれています。「私が一番懐かしく思い出すのは、「モンブラン」のチーズトーストです。いま、どこにでもあるピザトーストとは全く違う、とても手のこんだ食べ物なのです。薄く切った玉ねぎをカリカリに揚げたもの、きゅうりのピクルス (甘くないもの)、ベーコンをすベて細かくしてチーズと混ぜ合わせ.固めのペースト状にしたのを少し薄めのトーストの片面に塗りつけ、焦げ目がつくまで焼くと出来上がりです。チーズはピザ用の溶けるものを使うとうまくいきません。普通のチーズでないと香ばしく出来上がらないのです。チーズを使っているわりにさっばりとして、何枚でも食べられます。熱海に行かなくなって以来食べていませんが、「モンブラン」、いまでもあるのでしょうか?」、今でもありました。ただ、レストランではなくて洋菓子屋さんでした。お店の方にお聞きしたのですが、谷崎潤一郎先生のところへはよくお菓子を持って行ったとのことです。お店のご主人が亡くなられて奥様がお店を守っておられます。「亡くなられたご主人が無頓着で、なにも記念になるものを先生からもらっていなくて残念です」といわれていました。

右の写真が現在の熱海市銀座町「モンブラン」です。洋菓子を買ってきましたの見て頂ければとおもいます。味は淡白で薄味、モンブランは注文してから上にクリームを載せていました。ブランデーに浸されて、なかなか美味しかったです。

tanizaki-atami37w.jpg<和可奈寿司>
 谷崎潤一郎は寿司も大好きだったようです。野村尚吾の「谷崎潤一郎 風土と文学」では『散歩に出るから一緒に行かないかと誘われて、熱海の町を歩いたことがある。毛糸で編んだ宗匠ふうの、風変りな黒い帽子をかぶり、角袖のコートにステッキといった散歩姿だった。本屋に立寄ったり、店先の品をのぞいたりして、海岸通のすし屋に入った。「熱海じゃ、すしで食えるのはここぐらいなんでね」と、すLのほかに、日本酒を注文された。あまり飲んじゃいけないといわれているとかで、二本にきめておられた。それで私の方に、いきおい酌をされることになった。「豪胆のようでいて、大変気のまわる先生だな」と恐縮した。』、と書いています。ここで立ち寄った海岸通りの寿司屋は「ひさご」寿司ですか、残念ながら現在はありません。蕎麦屋になっていました。もう一軒、谷崎潤一郎が通っていた寿司屋は「和可奈」 です。まだ記念品等がおいてあります。寿司屋以外では鰻屋の「重箱」に出前を頼んでいたようです。「重箱」もなくなっています。

左の写真が熱海市渚の「和可奈」です。時間が悪くて閉まっていました。暇を見つけて食べに行くつもりです。


谷崎潤一郎 熱海地図



【参考文献】
・追憶の達人:嵐山光三郎、新潮社
・文人悪食:嵐山光三郎、新潮文庫
・細雪:谷崎潤一郎、新潮文庫(上、中、下)
・新潮日本文学アルバム 谷崎潤一郎:新潮社
・谷崎潤一郎「細雪」そして芦屋:芦屋市谷崎潤一郎記念館
・芦屋市谷崎潤一郎記念館パンフレット:芦屋市谷崎潤一郎記念館
・倚松庵パンフレット:神戸市都市計画局
・富田砕花断パンフレット:芦屋市谷崎潤一郎記念館
・谷崎潤一郎の阪神時代:市居義彬、曙文庫
・谷崎潤一郎--京都への愛着--:河野仁昭 京都新聞社
・伝記谷崎潤一郎:野村尚吾 六興出版
・谷崎潤一郎 風土と文学:野村尚吾 中央公論社
・神と玩具との間 昭和初期の谷崎潤一郎:秦慎平 六興出版
・倚松庵の夢:谷崎松子、中央公論社
・谷崎潤一郎全集(28巻):中央公論社(昭和41年版)
・わが道は京都岡崎から:深江浩、ナカニシヤ出版
・花は桜、魚は鯛:渡辺たをり、中公文庫
・谷崎潤一郎君のこと:津島寿一
・日立文学散歩:川崎松壽、筑波書林
・関伊三郎海外日記:関利保、第一印刷

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