バー アカデミーは「細雪」には書かれていませんが、佐藤春夫との関係では有名なバーです。地理的にも「細雪」で登場する”上筒井六丁目の鈴木病院”の近くにあり、”上筒井六丁目”の地名はこのバーの地名から使ったと思われます。遺跡探訪会の「文学のふるさと ─ 神戸とその周辺」に、この「バー アカデミー」について書かれていました。
「…さて、このあたりに一軒のバーがあった。飾り気はないが、さっぱりした店で、作家・文化人に常連が多く、谷崎潤一郎や佐藤春夫もそのメンバーであった。 佐藤春夫は昭和三九年五月六日、書斎で『自叙伝』のラジオ録音中に、「幸にも……」 のことばを最後にしてくずれるように逝った。かけつけた千代子夫人でさえ間に合わなかったほど突然訪れた最期だった。その三日後、五月九日付けの朝日新聞に、谷崎潤一郎は 「佐藤春夫のことなど」 と題して思い出話を載せている。
佐藤が始終私の家に出入りしていたので、妻との間に問違いがあって、私とわかれ、佐藤のところへ行ったと思っている人が多いが、そんなことはなかった。昭和五年八月一八日に「我等三人この度合議をもって千代は潤一郎と離婚致し春夫と結婚致す事と相成……」 という、当時としては破天荒な声明文を出し話題になった事件について、まずふれてから、いま、よくおぼえていないが、ある晩、佐藤が神戸に出て、アカデミーというバーに行った。このバーは、場所はかわったが、いまの加納町にあるなかなかいいバーで、当時は阪急の終点の上筒井にあった。私はそこがひいきで始終行くので、佐藤も行ったが、その晩、佐藤はここでひどく酔って帰って来た。彼は酒を飲まない男で、少し飲んでも赤くなって息苦しくなったが …… 翌日に軽い脳出血を起した。顔がゆがんで、なにかいうことがわからない。と、佐藤のある夜の行状を述べている。彼に痛飲させた原因はあかされていないが、「この時のことは佐藤の文学によほど影響していると思う」と、谷崎は判断している。…」。
上記に書かれている通り、当時「バー アカデミー」は神戸市中央区上筒井二丁目の交差点にありました。阪急神戸線は現在は三ノ宮から高速神戸まで繋がっていますが、大正9年(1920)に阪急神戸線は十三から上筒井二丁目まで開通しており、ここで神戸市電に連絡していました(下記の地図参照)。ですから、この周辺は繁華街だったわけです。阪急神戸線が昭和11年(1936)4月に三ノ宮まで開通すると、この上筒井線は4年後の昭和15年(1940)廃止されます。
★左上の写真は加納町交差点にある現在の「バー アカデミー」です。建物は古く、当時の面影があります(空襲で焼けていますので戦後の建物ですが!)。残念ながら、私は時間がなくて入っておりません。建物の写真を掲載しておきます。
★右の写真は下記に書かれている関西学院の
「…いま、王子動物園のあたりは、関西学院(現在西宮市上ケ原)の旧校舎のあったところで、動物園西隣の市立王子図書館のレンガ造りの建てものなど、少なくはあるがその遺構をとどめている。しかし、朽ちたような木の門柱が二本立ったきりで、垣根も塀もない草原に、赤い煉瓦造りの礼拝堂が異国的な風景となって眼に映った。最上の金の十字塔が煌いていた。と、今東光の『悪童』に描写された学院の趣はない。…」。
よくできた文学館で、面積は大きくありませんが、神戸で活躍したた文士達を簡素に紹介しています。











