
谷崎潤一郎の「細雪」は過去に何回か読んでいるのですが、改めて読み直すと、風俗小説そのものと感じます(下巻の最後に磯田光一が書いていますが)。一種の観光案内ではないかとも思います。登場場所の中心は阪神間ですが、、大阪、京都、東京の固有名詞がたくさん登場しています(それもお店の名前)。
「「こいさん、頼むわ。 ── 」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、「雪子ちゃん下で何してる」と、幸子はきいた。
「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」
── なるほど、階下で練習曲の音がしているのは、雪子が先に身支度をしてしまったところで悦子に掴まって、稽古を見てやっているのであろう。悦子は母が外出する時でも雪子さえ家にいてくれれば大人しく留守番をする児であるのに、今日は母と雪子と妙子と、三人が揃って出かけると云うので少し機嫌が悪いのであるが、二時に始まる演奏会が済みさえしたら雪子だけ一と足先に、夕飯までには帰って来て上げると云うことでどうやら納得はしているのであった。
「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
「そう、── 」
姉の襟首から両肩へかけて、妙子は鮮かな刷毛目をつけてお白粉を引いていた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆く盛り上っている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える。…」。
「細雪」の書き出しです。四人姉妹のお話なのですが、雪子のお見合いの話から小説は進展していきます。「細雪」は大阪船場の古いのれんを誇る蒔岡家(まきおか)の四姉妹(鶴子、幸子、雪子、妙子)をめぐる物語で、鶴子(養子を貰って本家を継ぐ)と幸子(養子を貰って分家)はすでに結婚してしているで、芦屋に住んでいる幸子の家に同居している雪子、妙子が物語の中心になって話が進んでいきます。特に昭和10年代の関西の上流社会の生活のありさま(お見合いや男女関係等)を、特に高級住宅街の芦屋を取り上げて表現しています。”肉づきがよいので堆く盛り上っている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える”等は谷崎流のエロティシズムというか、なにかいいですね!!
★左上の写真は「細雪」の記念碑です。阪急芦屋川駅の山側、芦屋川を渡ったところにあります。
★右の写真は昭和13年当時の帝国酸素株式会社本社です。現在の神戸大丸の裏になります。大岡昇平が帝国酸素株式会社に入社したのは昭和13年10月末ですから、7月の阪神大水害の後になります。谷崎潤一郎と大岡昇平の関係はどうなのでしょうか。下記に仏蘭西系ガス会社、帝国酸素株式会社(MB化学工業)が書かれていました。
「…「井谷さんが持って来やはった話やねんけどな、!」
「そう、 ── 」
「サラリーマンやねん、MB化学工業会社の社員やて。!」
「なんばぐらいもろてるのん」
「月給が百七八十円、ボーナス入れて二百五十円ぐらいになるねん」
「MB化学工業云うたら、仏蘭西系の会社やねんなあ」
「そうやわ。── よう知ってるなあ、こいさん」
「知ってるわ、そんなこと」
一番年下の妙子は、二人の姉のどちらよりもそう云うことには明るかった。そして案外世間を知らない姉達を、そう云う点ではいくらか甘く見てもいて、まるで自分が年嵩のような口のきき方をするのである。
「そんな会社の名、私は聞いたことあれへなんだ。── 本店は巴里にあって、大資本の会社やねんてなあ」
「日本にかて、神戸の海岸通に大きなビルディングあるやないか」
「そうやて。そこに勤めてはるねんて」
「その人、仏蘭西語出来はるのん」
「ふん、大阪外語の仏語科出て、巴里にもちょっとぐらい行てはったことあるねん。会社の外に夜学校の仏蘭西語の教節してはって、その月給が百円ぐらいあって、両方で三百五十円はあるのやて」
「財産は」…」。
ひょっとしたら、MB化学工業のお見合い相手は大岡昇平をイメージしたものでは!!(大岡昇平全集では神戸での谷崎潤一郎との関係については一切書かれていませんでした)考えすぎかも!!