<会瀬海岸> 当時のことを日立市の地元文学史である川崎松壽の「日立文学散歩」では「この谷崎をこころから心配し療養のためにと会瀬海岸への天地をとりはからってくれたのは、谷崎の竹馬の友で谷崎の進学の補助者であり、……笹沼源之助である。笹沼は…日本で初めての支那料理店倶楽部偕楽園を経営し、会瀬海岸に別荘をもち、そこに母親の晩年を送らせていた。そこで笹沼は母親に連絡するかたわら、小学校時代の恩師稲葉氏の夫人をとおして、夫人の実弟である平野俊(元日立製作所戸塚工場長)から、その知己である地元の島崎昇に谷崎の世話を依頼したのである。」、とあります。周りにいる皆が谷崎潤一郎を応援していますね。
★右の写真が笹沼源之助の偕楽園別荘跡から眺めた会瀬海岸の風景です。なかなか絶景ですね。 |