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最終更新日:2006年2月20日

●八幡坂(石川啄木)と音羽御殿(鳩山由紀夫)
   
初版2000年4月1日 <V01L01>
 
 今週の散歩情報は選挙の季節が近づいてきましたので石川啄木の八幡坂と音羽御殿を訪ねてきました。

 営団有楽町線を江戸川橋駅で降りて、神田川を超えて江戸川橋通りを護国寺方面に歩いて行きます。(散歩した日は2月でしたが天気もよくて、心地よく歩けました。)少し歩いて目白坂下の交差点を右に曲がります。(細い道ですが)今宮神社があり、神社の左側に八幡坂があります。文京区教育委員会の説明看板があり、東京名所図会によると、「八幡坂は小日向台三丁目より屈折して、今村神社の傍に下る坂をいふ。安政四年(1857)の切絵図にも八幡坂とあり。」と書いてあります。明治時代のはじめまで、現在の今宮神社の地に田中八幡宮(明治2年日輪寺境内の氷川神社と合併して服部坂西側の小日向神社となっています)があったので、八幡坂と呼ばれたようです。今宮神社はもとは護国寺の観音堂裏にあったのですが、明治維新の神仏分離令でここに移転しています。坂上の高台一帯は「久世山」といわれ、かって下総関宿藩主久世氏の屋敷がありました。この坂道の上の左側に石川啄木が初めて上京したときに住んだ下宿跡があります。期間は明治35年11月2日から2月26日までで、小石川区小日向台町3丁目93番地(現、音羽1-6-1)の大館みつ方でした。(「部屋は床の間つきの七畳、南と西に縁あり、眺望大に良し」と「啄木日記」に書いています。)音羽御殿の横で坂の上てすので、目白坂方面の眺めがよかっただろうと思もわれます。

<鳩山会館:音羽御殿>
江戸川橋通りに戻って、またすこし歩くと、右側に鳩山会館の入り口があります。(民主党のポスターが張ってあるのですくに分かります)立派な門を入って坂道を丘の上に登って行きます。(かなりの坂ですが相当立派な屋敷だと分かります)S字に上り詰めた所が鳩山会館です。この洋館が文京区の音羽の丘の上に姿を現したのは、関東大震災の翌大正13年です。元々鳩山和夫氏は、結婚後京橋の弥左衛門町に住んでいましたが、春子さんが妊娠すると静かな環境の牛込東五軒町に引っ越し、最後に明治24年 (1891)に音羽に居を構えたそうです。鳩山家は、衆議院議員の和夫氏(1856〜1911)総理大臣となった一郎氏(1883〜1959)、外務大臣をつとめた威一郎氏(1918〜1993)、さらに衆議院議員の由紀夫氏(1947生れ)、邦夫氏(1948生れ)、と四代にわたり指導的な政治家を生み育てています。

hatoyama2-w.jpg この洋館を建てたのは鳩山一郎氏で、ここを舞台に、戦後政治の画期となった自由党(現・自由民主党)の創設が計られ、また首相として決断した日ソ国交回復の下準備も行われています。
設計を手掛けたのは鳩山一郎氏の友人の岡田信一郎(1883〜1932)で、大正・昭和初期を代表する建築家として知られています。鳩山一郎氏の没後、傷みがひどくなり、このたび大修復を加え、往年の輝きを回復しています。修復に当り、鳩山一郎氏、その夫人で教育者の薫さん威一郎氏を記念する部屋を設け、公開しています。バラの庭を前に建つイギリス風の外観、ハトをモチーフとするステンドグラス、アダムスタイルの応接室、朝倉文夫作の和夫、春子夫妻像、などなど見るべきものが多いです。民間で運営されていますので、邸内の写真撮影もOKですし、時間をかけてゆっくり見られればいいと思います。

参考文献】
・英才の家系:講談社文庫
・鳩山会館パンフレット:鳩山会館
・ぶんきょうの坂道:文京区教育委員会

【交通のご案内】
・鳩山会館:営団地下鉄江戸川橋駅徒歩7分、護国寺駅徒歩8分
 鳩山由紀夫ホームページ

【見学について】

・鳩山会館:文京区音羽1-7-1 ??03-5976-2800
 入館料:一般¥500円
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