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最終更新日:2006年2月20日

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●ビートたけしの亀有を歩く  初版2004年4月10日 <V01L01>

 今週は「小説家の新宿を歩く」から離れて、ビートたけしが有名になる少し前に、奥様の幹子さんと新婚時代を過ごした亀有を歩いてみました。凄くローカル!!

 ビートたけしというと、足立区梅島辺りが有名なのですが、常磐線の亀有駅付近にも新婚時代(新婚時代と呼んでいいのか分かりませんが)の数年間、住んでいたようです。「…うちのカミさんが元漫才師だったというのは有名な話で、この前は『オレたちひょうきん族』という番組の中で、オレと夫婦漫才やっちやったりしたけど。大阪の漫才でミキ&ミチというコンビ。松竹芸能に所属しててね。……オレが『大正テレビ寄席』に出たとき。「ツービートさんの漫才好きなんです」ってきたわけよ。カミさんが。オレがネタ作ってるっていったら、「じやあこんどあたしたちのネタも作ってください」なんていわれてさ。こりゃオレに気があるのかな。よし、遊んじゃおう……。最初はその程度の軽い気持ちだったのに、結局カミさんのほうがウワテで、つかまっていっしょんなるはめになっちゃった。…」、と「たけし!」の中で書いています。最初は奥様のマンションで同棲していましたが、亀有の駅近くにアパートを見つけて引っ越します。この時代を「ビートたけしの亀有時代」と呼びます(私がかってに呼んでいるだけです)。

左の写真はビートたけし自らが「自身の半生」についてまとめた本です。前回に紹介した笑芸人と合わせて読むとなかなか面白いです。

ビートたけしの年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

ビートたけしの足跡

昭和51年 1975 山陽新幹線(岡山-博多)開業
ベトナム戦争終結
28 4月 テレビ初出演(テレビ東京)
昭和54年 1178 新東京国際空港(成田)開港
31 漫才師の幹子さんと結婚
平凡パンチの初インタビューを受ける
昭和55年 1979 イラン革命 32 9月 父菊次郎死去
フジテレビの花王名人劇場に初出演
昭和56年 1980 モスクワ・オリンピックのボイコット 33 元旦の生番組にツービート初登場
昭和57年 1981 スペースシャトル打上げ、回収に成功 34 1月1日よりオールナイトニッポンの木曜日を担当

高木荘>
 ビートたけしが常磐線の亀有で幹子婦人と二人で住んだのが高木荘です。「…結婚してオレんとこの3畳間に住むわけいかないから、カミさんが借りてた武蔵小山のマンションに転がり込んだ。ところがカミさんがやっばりよくないっていうんだ。女が男のところへ行くのが結婚だって。へんなとこ古いんだよ。こだわるんだよね。「とにかく自分の力で部屋を借りて。どんな汚いところでも行くから」そういわれたらしようがない。無理して部屋を借りた。常磐線の亀有で建物は古くて汚いアパートだったけど、6畳に4畳半のダイニングキッチン、それにバス・トイレがついてる。部屋代は4万で新婚が住んでも恥ずかしくない。部屋を借りたものの、オレのかせぎが少ないからとても食えない。恥ずかしながらカミさんの実家から月に10万ぐらい仕送りうけていた。…」。この高木荘は三棟あって、どの棟に住んでいたかはわかりません。駅から300m位ですから、歩いて5分の距離だったとおもいます。

右の写真の左側の小道の右側手前から三軒が高木荘です。手前二軒は昔のままで、この何方かに住んでいたのではないかとおもいます。反対側から撮影した写真も掲載しておきます。この小道、50m先は環状七号線です。

日立湯>
 ビートたけしが通った風呂屋さんがこの日立湯です。「…「よく関西なんかに行くとお土産に八ツ橋とか買ってきてくれたよ。『平凡』の取材でうちの銭湯を撮影に使ったこともあるしね。」(亀有『日立湯』主人・坂田善次氏)…」。高木荘からは環状七号線を超えて行かなければなりませんが、近くに他の風呂屋は無く、仕方がなかったのだとおもいます。

左の写真が「日立湯」です。亀有5丁目には「日立湯」さんは二軒有り、経営は一緒のようで、もう一軒は12番辺りです。

大衆酒場 大野屋(推定)>
 ビートたけしが、風呂屋の返りによく飲んだお店が大野屋さんです。ちょうど上記の日立湯さんの前に有り、通いやすかったのだとおもいます。「…「なかなかの親分肌で4〜5人ぐらい若い衆を連れてきてはよくオゴツてたよ。偉ぇと思ったね。」(大衆酒場『大野屋』主人・石島光一郎氏)…」。残念ながら、このお店はもうありませんでした。ただし、お店が閉店していたため、確認がとれていません。あくまでも推定です。

右の写真が現在の大野屋さん跡です。日立湯の斜め前辺りです。お店跡もぼろぼろで、看板も字が読めませんでした。

ヌマタ精肉店(田沼精肉店?)>
 奥様の幹子さんが買い物をした商店街が亀有北口商店街です。俗に”こち亀商店街”です(下記の亀有駅北口で紹介します)。「…「よく奥さんがロースハムを買いに来てたわよ。2人幕らしだから100gぐらいしか買わなかったけどロースハムが好きだったみたい。」(亀有『ヌマタ精肉店』・沼田良子さん)…」、と買い物の様子を伝えています。「笑芸人」ではお店の名前を「ヌマタ精肉店」としていますが、調べてみたところ、「田沼精肉店」でした。”ヌマタ”と”田沼”の前後が入れ違った間違いだとおもいますが、私が間違えていたらごめんなさい。それにしても、ロースハムが好きとは!!

左の写真のお茶屋さんの左隣に田沼精肉店がありました。いまはビルが建って焼鳥屋?になっていました。わたしもロースハムが食べたかったな……残念!!

亀有駅北口>
 常磐線の亀有駅北口といえば、「こち亀」が直ぐに思い浮かびますね。両津巡査のいる「葛飾区亀有公園前派出所」のことです。この派出所は亀有駅北口の真ん前に有ります。ビートたけしもこの亀有時代はそんなに忙しくなくて、貧乏なりに夫婦で楽しんだようです。「…貧乏してもグチこぼさないほうでさ。オレとおんなじで貧乏を苦にしない。金がなくなりゃ自分で仕事さがしてパートタイマーでもスナックでも勤めちゃう。カミさんがホステスやって、オレがボーイをやったこともあるんだぜ。埼玉県の八潮という所にあるせこいクラブでね。金になるし、ふたりいっしょなんだからやつてみようよ」 って、面接に行った。カミさんはホステスOK。オレはボーイの経験があるっていったら、いきなりボーイ長だって。乱暴な店だよ。もっともボーイはオレとバイトの学生風のだけ。カミさんがホステス風の衣装着て客につくわけなんだけど気になってね。ちょっとでもさわったり肩を抱こうもんなら、「あんた、うちの女房に何するんですか」なんておどしたりして。これじゃつつもたせのセリフだよ。一日でやめてふっ飛んで帰ってきた。…」。けっこう楽しそうです。

左上の写真の右側辺りに交番があります。亀有駅前交番で、俗に言う「こち亀」です。北口商店街は丁度正面辺りです。

<ビートたけしの亀有地図>




【参考文献】
・スイングジャーナル 59/12 68/6:スイングジャーナル社
・琥珀色の記録〜新宿の喫茶店:新宿歴史博物館
・新宿ACB:講談社、井上達彦、寺内タケシ
・新説 たけし!:講談社α文庫、ビートたけし
・たけしくん ハイ!:新潮文庫、ビートたけし
・浅草キッド:新潮文庫、ビートたけし
・少年:新潮文庫、ビートたけし
・コマネチ!/!2:新潮文庫、新潮ムック、ビートたけし
・ユリイカ 北野武:青土社
・笑芸人2、5:白夜書房、高田文夫編集
・なぜかたけしの兄です:主婦と生活社、北野大
・たけし:ビートたけし、講談社
・余生:北野武、ロッキング・オン
・ここに母あり:北野さき、太田出版
・午前3寺25分:ビートたけし、太田出版

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