<「砂場」発祥の地>
「砂場」発祥の地については大阪ということで、かなり詳しく分かっています。「…砂場 (新町西口南の町の地名なり。ここに麺類を商ふ家あり。難波の名物とて遠近ここに来集する事日々数百に及べり。ひさしに蠣殻を葺きて火災を除く用とす。南の方を和泉屋といふて初めは和泉国熊取郷御門村の産、その類族かの地にありとなむ。中氏といふ。すべて屋号といふはむかしは戸主の二字なり・今略して屋の字を射ゆ。和州法隆寺の鐘の銘に戸主の字見えたり。またこの家の先主に風騒あり)。…」。上記は寛政十年(1798)に発行された「摂津名所図絵」からなのですが「摂津名所図絵」が手に入りませんでしたので、「摂津名所図絵」が掲載されている「日本名所風俗図会 10 大阪の巻」 を参照しました。上記の通り、はっきり「砂場」と書かれています。「蕎麦屋の系図」を参照すると宝暦七年(1757)に出された『大坂新町細見之図澪標』の「廓名物之分」では、当時この地域には「和泉屋」と「津国屋」の二軒の麺類屋があったと書かれているそうです(実物をまだ読んでいない)。
★左上の写真は昭和60年(1985)大阪市西区新町二丁目の新町南公園に「大阪のそば店誕生四百年を祝う会」によって建てられた記念碑です。記念碑の裏には、「本邦麺類店発祥の地
大阪築城史蹟・新町砂場 天正十一年(1583)九月、豊太閤秀吉公大阪築城を開始、浪速の町に数多、膨大を極めし資材蓄積場設けらる。ここ新町には砂の類置かれ通称を「砂場」と呼びて、人夫、工事関係者日夜雲集す。人集まる所食を要す。早くも翌天正十二年、古文書「二千年袖鑒」に、麺類店「いずみや・津の国屋」など開業とある。即ちこの地、大阪築城史跡にして、また、本邦麺類店発祥の地なり。 坂田孝造
識」、と書かれていました。太閤秀吉の頃ですからそうとう昔です。坂田孝造さんの本を購入しようとおもったのですが手に入りませんでした。