
室町砂場 赤坂店を語るには室町砂場から語らないといけないのですが、どうしてもこの「赤坂店」から書き始めたいとおもいます。「『赤坂砂場』は、吉行たちが麻雀や花札をする時の潜まり場として利用していた旅館『乃なみ』から、ほど遠からぬ位置どり。そのため吉行は、乃なみの女主人や、阿川弘之、黒鉄ヒロシ、俳優の芦田伸介の各氏などと一緒に、よく蕎麦を食べに訪れた。「吉行さんは、酒の肴に皆で食べられる『そばがき』 の大や、『別製ざる』をよく注文されました」女将の村松ヨシ子さん(63歳)は、そう話す。店を訪れると、吉行は、入って一番左のテーブルの、左奥の席に座るのが常。麻雀の合間に足を遅ぶことが多かったためか、長居はせず、酒を注文しても量はさほど飲まなかった。また、麻雀仲間ではなく、宮城まり子さんや友人と連れ立って来店したことも何度かあったと、女将は記憶している。「テーブル席でお話しされていて、時折、にこっと笑う。その笑顔が素敵でしたね。作家さんというのは物静かなんだな、と思いました」…」。下記に掲載している「サライ」にから引用したものです。吉行淳之介が好きな蕎麦屋として「室町砂場 赤坂店」が書かれています。もっとも、赤坂のよい場所にあるので様々な人がよく知っている蕎麦屋だとおもいます。私は相変わらず「おおもり」を頼んでしまいました。すると、写真を見ると分かりますが、薬味の小皿(ねぎとわさび)が二つ来ました。美味しかったです。
★左上の写真は「室町砂場 赤坂店」です。周りは高層ビルばかりです。この付近では二階家の木造はこの「室町砂場 赤坂店」のみでした。「…「戦後室町砂場の名声が高まり、砂場に対する認識を深めた功績は特筆に価しよう」 と書いているが、この功績とは、三代目の茂とその弟の亀次郎の時代である。亀次郎は昭和三九年に赤坂に支店(赤坂砂場)を出し、現在は息子の幸一が跡を継いでいる。「室町砂場」と「赤坂砂場」と、一見別の店のようにも見られるようだが、たんに場所を名乗っているだけで経営は一体である。…」。岩崎信也の「蕎麦屋の系図」からです。室町砂場のパンフレットには自店だけではなく「室町砂場 赤坂店」も書かれていました。