<「マカオ歴史散歩」 荻野純一、日経BP>
日経BPの「旅名人ブックス」はよく出来た本です。特に中国関連は地図も含めて詳細に書かれており、オタク的にはこんなにによく出来た本はありません。今までの旅行本は買物と食、ホテル関連が中心で、我々にはあまり役に立ちませんでした。
日経BP企画の「マカオ歴史散歩」からです。
「マカオに残る中国近代化と中国革命の足跡
リラウ広場のすぐ近くにマカオでは珍しい大きな邸宅がある。ユネスコ世界遺産に認定された建物群の一つで名前は鄭家大屋。辛亥革命を起こした孫文にも大きな影響を与えた鄭観應の祖居であり故居でもある。
鄭観應は活末の思想家・教育家であり実業家としても活躍した。一八四二年に生まれた彼は清朝の下でヨーロッパ式の立憲君主制の政治体制を打ち立て中国の近代化を進めようとした。明治維新後の日本が進めたような外国技術の導入に積極的で、李鴻章の依頼で上海に設立された官営企業のトップを務めた時期もある。その後の思想をまとめたものが『盛世危言』という著作である。
彼の考えは康有為、孫文、さらには毛沢東にも大きな影響を与えた。…」
通常ツアーでは絶対回らないようなところが掲載されています。当然、有名なところは掲載されていますが、書かれている中身が深いです。日本では歴史散歩本といっていいのではないでしょうか。上記の鄭家大屋の正面の写真と建物内の写真1,写真2を掲載しておきます。
マカオ(澳門、Macau)は中華人民共和国澳門特別行政区(通称マカオ別行政区)の一つ。中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル植民地で、現在はカジノと世界文化遺産を中心とした世界的な観光地としても知られています。カジノではアメリカのラスペガスを抜いて、現在は5倍の売上となっています。1999年まではポルトガルの植民地で中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在します。このため、2005年7月15日に、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前で世界文化遺産に登録されました。(ウイキペディア参照)
★写真は日経BP企画の「マカオ歴史散歩」です。旅名人ブックスは122冊出版されており、写真も大きく掲載されてたいへん面白く読むことができました。ただし、買物、食、ホテル等は殆ど書かれていませんので、遊びに行く場合は、買物、食、ホテルについて書かれている本がもう1冊必要になります。2冊持ちです。
<孫文のマカオでの住居>
孫文は医者(眼科医)になるため1886年(明治19年)広州の博済医院付属南華医学校に入学しています。その後、レベルの高い香港の西醫書院に移り1892年卒業します。卒業後は澳門(マカオ)で兄の孫徳彰が所有していた住まいに居住し、鏡湖医院に勤めます。
日経BP企画の「マカオ歴史散歩」からです。
「…孫文がマカオで生活していた時代は現在の風順堂街(サン・ロウレンソ通り)に居を構えていた。当時は二階建ての建物で長兄の孫徳彰が所有していた。この家から医館までは歩いてすぐであり中西薬局も徒歩圏内であった。
ちなみに国父記念館が置かれている建物は辛亥革命後に建てられた洋館であり孫文が医師としてマカオに居住していた時代の住居ではない。一九二三年に孫文が死去した後は彼の親族が暮らしていた。その家はマカオ駐留ポルトガル軍の誤射で破壊されたため、マカオ政庁が支払った賠償金で一九三三年に現在の建物が再建されている。…」
孫文の家族はお金持ちですね。孫文の生家も立派でしたが、マカオでの兄の住まいも立派です。中国は昔も今も貧富の差が大きいです。特に広州の街角を歩いているとよく分かります。
★写真の建物が「孫文記念館(澳門國父紀念館)」です。上記に書いてある通り、一度破壊されていますが再建されています。孫文がマカオに滞在していた頃から2階建てだったようで、やっぱり裕福だったようです。