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最終更新日:2006年3月14日


●墨堤通り(桜餅と団子と草餅)と幸田露伴
 
 初版2000年4月30日 <V03L01>

 今週は桜橋(隅田川)から墨堤通り周辺の散歩道をご紹介します。

<長命寺桜餅>
 『向島の名刹・長命寺の裏側は、寺嶋新田の田圃が一面に広がり、ところどころに百姓家と、こんもりした木立が見える田園風景であって、このあたりは鐘ヶ淵の・・・』とある長命寺は、またまた池波正太郎「剣客商売 天魔」の老僧狂乱の編に出てきます。向島の長命寺はお寺で有名と言うより、皆様良くご存じの「長命寺桜餅」で有名ですね!。浅草から歩いて、隅田川を桜橋で超えて高速道路のすぐ下にあります。長命寺は元の名を乗泉寺といい、鷹狩りに来た徳川家光が急に具合いが悪くなり、この乗泉寺で休息をとり境内の井戸水で薬を飲んだところ、たちどころに回復したため、家光はこのお寺の名前を長命寺と命名したそうです。元禄4年(1691)頃から長命寺に寺男として住み込んでいた山本新六いとう男が、ある日、せんこうの煙からなぜか、桜餅を想像したそうです。新六はすぐに桜の葉を集めて塩漬けにし、その葉で餅をくるんで売ったところ、これが大いに当たって墨堤の名物として、あっという間に江戸市中に知れ渡ったそうです。滝沢馬琴(江戸時代)の「兎園小説(とぞの)」のなかに『去年甲甲、一年の仕入高、桜葉漬込三十一樽、葉数〆三十八万枚余、』と繁盛ぶりが書かれています。長命寺の桜餅葉三枚で巻かれていますので、一日700個以上売れていたことになります。(左のお店の写真の裏が長命寺になります)

〜桜餅には関東風と関西風があります〜
 最初に関東風ですが、餡を小麦粉で作った薄皮で包みます。関西風は餡をあらくひいた道明寺粉で作った餅で包みます。道明寺粉とは大阪の道明寺(大阪府藤井寺市道明寺1-14-31)に由来するもので、道明寺糒(ほしい)というもち米を使ったものです。桜餅といっても大きく2つに分けられ、作るお店によって桜の葉の枚数や餡、形等がいろいろになっています。皆様はどちらがお好きですか?
 やはり私は関東風が好きです。ただ、餡を薄皮で包んで、その上に桜の葉3枚で巻いてあります。桜の葉も一緒に食べるのですが、3枚はきつく、私は一枚取って2枚で巻いて食べています。この位が餡のあっさりした甘さと薄皮と桜の葉の苦さが丁度いいのではないかと思っています。お店で食べると右の写真のように木の箱に入ってお茶と一緒に出されます。


<言問団子>
長命寺桜餅のお店から道路を隔てて言問団子のお店があります。「東都のれん会の栞」によりますと『その昔、東国を旅した右近衛中将在原業平朝臣が、隅田川の渡しにおいて都恋しさに詠んだ有名な和歌 「名にしおはヾいざ言問はん都鳥、我が思ふ人はありやなしやと」にちなみ命名しました。・・・人々は墨堤の散策のおり、この地にて憩い言問だんごと渋茶にて、話の花を咲かせました。以来、小豆あん白あん青梅を型どった味噌あんの三色の団子は、初代からの味を引き継ぎ、東京の名物として巾広いお客様のご贔屓を頂いております。』とありますが 「考証・江戸を歩く」の中に、『言問団子の創業は明治4年。植木師の外山某と言う人が土手の参道に団子屋の店を出したのがその始まり。花城翁という隠士が「それでは言問団子と名付けるが良かろう」とのご託宣あり。言問団子と名を変えた植木屋さんの団子は以後見違えるように人気を集め、この辺りの名物の一つになっていったとのこと。』とあり、どっちがほんとかわかりません。でも甘い団子だな〜・・・。

<志満ん草餅>
 「しまんくさもち」と書いて「じまんくさもち」と読みます。言問団子から墨堤通りを700m程歩いていきますと左側にお店があります。お店は地味ですが、次から次へとお客様がどんどんきます。私が買いに行ったときは並びはしませんでしたが、徒歩、自転車、車で買いにくるわ、買いにくるわ、すごい人波です。草餅なのですが、餡入りと餡なしがあります。きな粉がついていて餡なしできな粉をつけて食べると絶品です。創業明治2年より、伝統の味を守り、ひとつひとつが手作りの草餅です。一年中、房総からとれる生のよもぎを使用し、こしあんは、十勝産の小豆を使用しています。素材の風味を生かすために添加物等は、一切使用していないそうです。特に言問団子を食べた後、食べたら、なんとおいしかったこと。


<旧幸田露伴邸>
 幸田露伴は、自分の家を「蝸牛庵(かたつむりの家)」と呼んでいました。そして、やどかりのように幾度も住まいを変えています。明治初めに建てられたこの隅田川のほとりの家もそのひとつです。明治30年から、10年間をここで暮らし、最も長く住んだ家です。水鳥の形の釘隠が、水辺の街に建つ文人の住まいにふさわしいです。写真を好んだ露伴らしく、現像室もあったそうです。この家で生まれた作家の幸田文は、写真をすすめる父から、ドイツのツァイス社製レンズを贈られたと随筆で語っています。現在の旧幸田露伴邸跡は露伴児童遊園になっており石碑しか立っておりません。左の写真は名古屋の明治村に移された旧幸田露伴邸の蝸牛庵(かぎゅうあん)です。

<幸田露伴1867〜1947>
 幸田露伴は1867年(慶応3年)に東京で武家に生まれた。紅葉・漱石と同い年。紅葉とは紅露時代を築いた、擬古典主義の代表者。露伴もやはり逍遙の『小説神髄』に感動した青年だった。武士出身の露伴の文体は男性的、豪快な文体であった。女子に人気のあった紅葉とは対照的である。『五重塔』は大工の”のっそり十兵衛”の生き方をとおして人間の理想を追求している。そのほかの代表作としては『風流仏』『風流微塵蔵』『運命』がある。墓は池上本門寺の五重の塔の近くにある。

桜橋から向島付近地図

【参考文献】
・剣客商売 天馬:池波正太郎  新潮社
・滝沢馬琴全集:本邦書籍
・考証・江戸を歩く:稲垣史生 時事通信社
・新編「昭和二十年」東京地図:筑摩書房
・歴史探訪 地図から消えた「東京の町」:福田国士 祥伝社文庫
・博物館明治村ガイドブック:名古屋鉄道株式会社
・東都のれん会栞:東都のれん会

【交通のご案内】
・長命寺桜餅/言問団子
−東武伊勢崎線 「曳舟駅」 徒歩15分
−都バス 向島二丁目下車/京成バス 隅田公園下車
・旧幸田露伴邸跡/志満ん草餅本店:東武伊勢崎線 「曳舟駅」 徒歩15分

【見学について】
・長命寺桜餅:東京都墨田区向島5-1-14  03-3622-3266
・言問団子:東京都墨田区向島5-5-22  03-3622-0081
・志満ん草餅本店:東京都墨田区堤通1-5-9 03-3611-6831
・旧幸田露伴邸跡:東京都墨田区東向島1-7露伴児童遊園内

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