<漱石全集>
夏目漱石はかなりの回数、関西を訪ねています。その中で今回は明治44年8月の大阪朝日新聞社主催の講演会で明石、和歌山、堺、大阪を訪ねた足跡を巡ってみました。参考図書は主として「漱石全集
第二十巻」の日記と、「漱石全集 第二十七巻」の年譜を参考にしました。
「漱石全集 第二十七巻」の年譜、明治44年8月からです。
「8月11日 大阪朝日新聞主宰の講演会のため東京を出発した。十日発の予定であったが、台風で鉄道が不通になり予定を遅らせた。《S日記九》
8月12日 箕面の朝日倶楽部に泊まった。《S日記九》
8月13日(日) 明石の公会堂で『道楽と職業』と題した講演を行なった。《S日記九》
8月14日 電車で和歌浦に出て、エレベーターに上ったり、紀三井寺に参詣したりした。《S日記九》
8月15日 新和歌浦を見物した後、県会議事堂で『現代日本の開化』と題して講演を行なった。固辞した講演後の宴会に出るが、風雨はげしく漱石らは和歌浦に戻らず新和歌浦に泊まった。《S日記九》
8月16日 大阪に戻った。《S日記九》
8月17日 堺の市立高等女学校講堂で『中味と形式』と題した講演を行なった。《O》
8月18日 大阪の中之島公会堂で『文芸と道徳』と題した講演を行なった《O》。講演後、宿舎の紫雲楼に戻ったところ、「宿屋で寝てゐると何も食んのに嘔吐を催ふしてとうとう胃をたゞらして夫から血が出ましたので驚ろい」たと。後に回顧した《○23書簡1556》。
…
8月19日 大阪朝日新聞社の紹介により、大阪市東区の湯川胃腸病院に入院した。《鏡子》
8月21日 鏡子が東京から駆けつけた。《鏡子》《荒》
…
9月14日 十三日に大阪を発ち、この日帰京した。 《荒》…」
上記の年譜は大阪朝日新聞社主催の講演会で明石、和歌山、堺、大阪を訪ねた項目以外は省いています。”○23”は○の中に23が入っています(第二水準を超えるため)。
8月13日から8月18日で講演は終っているのですが、漱石の持病である胃の病気が再発し、大阪で約一ヶ月入院しています。そのため帰京が遅れ、9月に東京に戻っています。
年譜内容に関しては、一部、日記との相違が見受けられます。
・8月12日 箕面の朝日倶楽部に泊まった。《S日記九》 → 日記では明石の「衝濤館」に宿泊
・8月15日 …風雨はげしく漱石らは和歌浦に戻らず新和歌浦に泊まった。《S日記九》 → 本町の富士屋旅館に宿泊
日記の方が正しいとおものですがどうでしょうか?
★上記写真は岩波書店の「漱石全集」です。全28巻、別巻一巻となります。凄い量なので本棚ではなくて積み上げています。この全集は古本でしか買えませんので、文庫本で筑摩書房版の漱石全集を紹介しておきます。文庫本は安くていいですね。