< 六番目 北千反畑町の家>
熊本で最後に住んだのがこの北千反畑町の家です。「…明治三十三年、私たちはこの年の七月に長らく住みなれた土地熊本を去るのですが、それより先、四月、私が嫁いでから六度めの最後の転居をいたしました。北千反畑というところです。……夜おそくなって夏目が謡の会に行って帰って参りました。門に音がしたと思うと、ひとしきり犬が吠えて、そうして玄関が開きました。出迎えて見ると、夏目はまっ青な顔をしています。そうして袂と袴とがひどく破けています。どうなすったのですと驚いてたずねますけれども、黙っております。だんだんきいてみると、家の犬にやられたのだとわかって、これこそ飼い犬に手をかまれた恰好だといって笑いますと、夏目もしかたなしに苦笑いをしておりました。…」。この家に住んだのは東京に戻るまでの僅か四カ月です。
★右の写真が漱石熊本最後の住いです。藤崎宮のすぐ傍です。この後、夏目漱石一家は東京に戻り、漱石はイギリスに旅立ちます。
「…私たちは横浜まで見送りました。プロイセン号という外国船で、日本人の客といっては、芳賀さん藤代さん、それに夏目の三人でした。それは九月八日のことでした。立つ前短冊に、
秋風の一人を吹くや海の上 漱石
の一句をしたためて残して行きましたが、洋行から帰って来て、私の部屋に入るなり、床の間の横にかけておいた短冊をはずして、どういう気かびりびりに裂いて捨ててしまいました。いよいよ出立という前に子規さん、虚子さんあたりから、短冊に書いた送別の句がとどきました。
漱石を送る
萩す、き来年あはむさりながら 規
送別
秋の雨荷物ぬらすな風引くな 升
二つある花野の道のわかれかな 虚 子
前の二句が子規のものですが、今それを見ますと、帰朝しました時にはもう子規さんは亡くなっておられてお会いができなかったのですから、ほんとうに感慨深いものがございますのです。…」。漱石が帰国後、先に書いた句を捨てたというのは、イギリス留学があまり良くなかったということなのでしょうか。それにしても子規の句は素晴らしいです。漱石に送った最後の句なのでしょうか。
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