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最終更新日:2006年2月20日


●池波正太郎の「刀屋」を歩く 2005年9月26日 <V01L01>
 今週は仕事で上田を訪ねたついでに池波正太郎が紹介するそば屋を歩いてみました。信州は何処に行っても蕎麦屋がありますので昼食には困りませんね。昼と夕方二軒、蕎麦屋を歩いてしまいました。それにしても美味しかったです。

<池波正太郎の紹介する刀屋>
 かなり有名なので私が紹介するほどでもありませんが、信州、上田の刀屋です。「…上田へはじめて行き、五目ほど滞在したときに 〔刀屋〕 の蕎麦を、これもはじめて口にした。 東京では口にすることのできぬ、本物の手打ちだ。 私は先ず、その蕎麦切りの手練のほどにびっくりした。 いまも老主人が蕎麦を切っているが、一種の 〔名人芸〕 だろう。 信州の真田藩をテーマにした小説をいくつも書いてきた私は、いま〔真田太平記〕という六年がかりの長篇を週刊誌に連載しているが、そうなると、どうしても上田へは何度も足を運ぶことになってきて、刀屋の蕎麦とも、すっかりなじみになってしまった。…」。これは池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」の”信州ところどころ”に出てくる蕎麦屋さんです。

左上の写真が刀屋さんです。上田駅から徒歩15分位です。上田には蕎麦屋が数十軒ありますが、非常にレベルの高い蕎麦屋さんばかりですので、他の蕎麦屋さんでもそんなに当たり外れはないとおもいます。

<刀屋のそば>
 何を食べようか迷って名物の「真田そば」の普通盛りを頼みました。「…並のもりそばでも、東京の三倍はある。 大盛りとなれば、とても私ひとりでは食べきれない。 昼どきは、客があふれんばかりに詰めかけて来るので、私はいつも、午後の空いた時間をえらぶことにしている。 ……この店の入れ込みへあぐらをかいて、ゆっくりと酒をのむ気分は何ともいえない。合鴨とネギを煮合せた鉢や、チラシとよぶ天ぷらなどで酒をのむわけだが、旅の気分も手つだって、まったく、「こたえられない……」 のである。…」。真田そばは、なめこの入った味噌を出汁で溶いて、その上に蕎麦汁を入れて食べます。なななかでした。

右の写真が刀屋さんの「真田そば」の普通盛りです。掛かっているメニューを見ると小、中、普、大の4種類ありましたので、量を訊ねてみると皆さんは普通盛りを食べられますと言われたので、普通盛りにしたら凄い量でビックリしてしまいました。でも、後で入ってくる人の注文を聞いていたら皆さん普通盛りを頼んでいました。信州の人は本当に蕎麦が好きですね。

<池波正太郎の「刀屋」地図>



●檀一雄の「宮野屋」を歩く 2003年5月3日 V01L02
 今週は連休ということで、檀一雄と宮沢賢治が紹介するそば屋を歩いてみました。歩いたといっても、ついでに廻った二軒を紹介するだけですのであまり期待しないで下さい。場所的には八海山の麓(新潟県)と、花巻市(岩手県)となります。

<檀一雄の紹介する宮野屋>
 ます最初は檀一雄が紹介するそば屋です。御存じの通り檀一雄は食通で食に関する本もたくさん出しています。ここでは「わが百味真髄」の中から紹介したいと思いますが、その前にうんちくを少々、「…それでも、江戸の名残りのソパに対する馴染みから、東京は、日本でも虜高最大の、ソバどころであることに間違いない。神田の「薮」でも並木通の「薮」でも、池之畔の「蓮玉庵」、永坂の「更級」、室町の「砂場」でも、西神田の「一茶庵」でも、二幸裏の「戸隠」でも、いやいや、もっと変わって、神保町の「出雲そば」でも、池袋の「一房」等々、それぞれの好みはあっても、東京は日本の一大ソパ王国をかたちづくっていることはあらそえない事実である。ソバの打ち方、ソバツユの調合、薬味、そのタネモノに至るまで、総合して考えたら、やっばり江戸を継承する東京ソバ王国の真価はわかるだろう。」、やっぱり、蕎麦というと東京の神田、並木、池之端、永坂、室町になってしまいますね、個人的には並木が一番好きです。

左上の写真は檀一雄が紹介する「宮野屋」のマッチ(左側が表、右側が裏)です。何の変哲もないマッチですが、八海山の麓に有るそば屋なので、八海山がサラッと描かれていて、何となく美味しそうなそば屋のマッチです。


<宮野屋>
 すごい場所に有るそば屋です。なんでこんな場所にそば屋があるのか、またこのそば屋を檀一雄が知り得たのが不思議です。「わが百味真髄」の中では、「…そうだ、ひとつ、とびきり素朴な、山家ソバの店を紹介しておこう。それは信濃ではない、越後だが、国道十七号線を三国峠から長岡の方に向かってどんどんゆく。やがて、六日町を越えて、五日町にさしかかるあたり、道路は坦々たる直線コースに変わるだろう。そのあたりで、八海橋という橋のありかを聞いてみるがよい。道を八海橋の方に右に折れ込んで、その八海橋を渡る。八海大明神の在所をたしかめながら、もう一度、細い道を右に折れ込む。山道は辛うじて車を通すだけになり、山家一つ見当たらない、淋しい山中に入り込んでゆくだろう。こんなところに、ソバを食べさせる店などある筈がないと思う頃、「八海大明神」の大きな石柱が立っている。ここで車を降りて、セセラギの音の方に向かって谷間に下ってゆくと、八海大明神の社が見えてくる。…」、と書いていまが、檀一雄が書いた通りに辿ってきても宮野屋には辿り着けませんでした。下記に書いています「八海神社の八海会館(ここもそば屋です)」に間違えて辿り着いてしまいました。詳細は下記を読んで下さい。場所的には大失敗でした!!(そばを食べてしまってから場所が違うのに気がついたのですが、あわてて宮野屋に向かいました)。八海山については日本酒の名前で有名になりましたが、昔から信仰の山だったようです。山自体が神として信仰されており、南北朝時代の「神道集」によると「八海大明神は本地仏を薬師如来とする越後三の宮」となっています。

左上の写真が宮野屋です。八海大明神の左奥にあります。始めてきた人はほとんど場所が分からないようです。

<宮野屋のそば>
 ここのそばは絶品です。東京の藪のように洗練はされていませんがその代わりになんというか、そば本来の味が素直に出ている、無駄のないそばそのままのような気がします(表現が難しいな〜)。「山上から流れ下ってくる水の音のはかには、声ひとつない。蛇のヌケガラがそこらに一つ、二つ。あたりには山の息吹きのような霧が、襲いよってきて、神殿が見えたり、かくれたり。その宮前に「宮野屋」という、山家ソバの店が一軒あって、ワラジだのワラ草履だのを、吊るしている筈だ。そこで、ソパを打ってくださいと頼むがよい。多少の時間はかかるかもしれないが、まさしく「霧下」の、自家の畑でとり入れた、新ソバを打ってくれること、間違いなしである。私は、この数年来、入海山の「宮野屋」のソバほど、山家らしいソパを口にしたことがない。」、やっぱり檀一雄のほうが表現力がありますね、このお店のそばの雰囲気を良く伝えています。

右の写真が宮野屋のそばです。右に付いているのはクルミで上は、なすの漬け物です。メニューの写真を掲載しておきます。

<八海神社の八海会館>
 私が間違えたそば屋です。良く見ると宮野屋とは書いていないのですが、すぐ横に八海神社(紛らわしい名前だ)があり、こんな田舎で同じような場所は有るはずがないとの思い込みで、店に入りそばを頼んで食べてしまいました。でも想ったほどではなくて、おかしいなとおもい良く見ると名前が違いました。まったく困ったものです(でもお店は結構混んでいた、みんな間違っている?)。越後湯沢からくると、此方のお店の方が先にあるため、どうしても間違ってしまいました。

左の写真が八海会館です。宮野屋と雰囲気は似ていますね。周りの雰囲気は全く同じでした。このお店のそばの写真も掲載しておきます

<檀一雄の「宮野屋」地図>



●宮沢賢治の「やぶ屋」を歩く 2003年5月3日 V01L01
 そば屋をもう一軒紹介します。大正10年12月、25歳のときに宮沢賢治は岩手県花巻市の県立花巻農学校の教員として着任しますが,その当時良く通ったそば屋のがこの「やぶ屋」でした。

<やぶ屋>
 宮沢賢治はこのやぶ屋がそうとう好きだった様で、「よく藤原嘉藤治氏や友人同僚を誘って,今日はBUSHへ行きましょうか,などといって,吹張町の藪そばへ連れて行きました。藪そばのものでも,特に天ぷらそばは賢治愛好の食品ですから,たびたび食べに行かれました。病中にも天ぷらそばを思い出して家人と話された事があるそうです。原稿がどんどん売れたら,友だちと好きなそばでも食べようなどと冗談も言っておりました。たしか東京の知名の文士にトラック1ぱいの原稿を送り,今度原稿料が入ったらBUSHへ連れて行くぞと愛弟の清六さんににやにや笑いながら申したと言うくらいですから,BUSHは相当賢治にとって魅力があったわけです。」、と書かれています。やぶはBUSHですね。英語で言うと格好良かったようです。

左上の写真がやぶ屋です。この花巻市もご多分に洩れず、駅前が寂れています。このやぶ屋の周りも寂しい限りです。町おこし頑張れです。

<てんぷらそば+サイダー>
 「やぶ屋のメニューの中でも,賢治の好物は天ぷらそばでした。また,サイダーも好物で,賢治が1杯飲みましょうかと誘うのは,お酒ではなくサイダーで,天ぷらそばとセットで注文するのが常でした。」、当時はかけそば6銭,天ぷらそば15銭,サイダー23銭、なんと天ぷらそばよりサイダーのほうが高かったのです。宮沢賢治の月給は80円,賞与100円でしたので、経済的にはそんなに困っていなかったとおもわれます。それにしても、サイダーと天ぷらそばとは、現在では考えられない組み合わせです。当時はサイダーが最先端のハイカラな飲み物だったのだとおもいます。このサイダーは三矢サイダーだったようです。(やぶ屋のホームページ参照)

右の写真がサイダー+てんぷらそばです。そばは結構おいしかったです。

<宮沢賢治の「やぶ屋」地図>



【参考文献】
・江戸そば一筋:堀田平七郎 柴田書店
・明治東京畸人傳:森まゆみ 新潮文庫
・ソバ屋で憩う:杉浦日向子 新潮文庫
・わが百味真髄:檀一雄、中公文庫

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