永井荷風の「断腸亭日乗」に5.15事件関連の記載があります。
「三月五日、快晴、春風頻々たり、表通には自働車の音絶間なく、遠く砲声のきこゆるにも係らず、庭の鶯早朝より午頃まで鳴きつゞけたり、都会の鶯は自ら物の響に馴れたりと見ゆ、……風月堂に往き独晩餐をなす、給仕人の持来る夕刊新聞を見るに、今朝十一時頃実業家団琢磨三井合名会社表入口にて銃殺せられし記事あり、短銃にて後より肺を打ち抜かれしと云ふ、下手人は常州水戸の人なる由、過日前大蔵大臣井上準を殺したる者も同じく水戸の者なる由、元来水戸の人の殺気を好むは安政年間桜田事変ありてよりめづらしからぬ事なり、利と害とは何事にも必相伴ふものなり、昭和の今日に至りて水戸の人の依然として殺気を好むは、之を要するに水戸儒学の余弊なるべし、桜田事変のことを義挙だの快挙だのとあまりほめそやさぬがよし、脚本検閲の役人は鼠小僧の如き義賊の狂言は、見物人に盗心を起さしむる虞ありとて、往々その興行を許可せざる事あり、此の後は赤穂義士、桜田事変の如き暗殺を仕組みたる芝居も、其筋にては興行を禁止するがよかるべし、盗賊の害は小なり、暗殺の害は盗賊の比にあらず、但し甘槽大尉が震災の時大杉栄と其妻及幼女を殺したるが如きは、余いまだ其是非を知らず、……」、
とあり、5.15事件の前段階ともいわれる昭和7年2月9日の前大蔵大臣井上準之助暗殺事件、同年3月5日の三井合名の理事長団琢磨暗殺事件(血盟団事件)について、赤穂浪士や甘糟大尉の件まで持ち出して、かなり厳しく書いています。