<護国堂> 5.15事件を巡るには昭和初期の水戸大洗まで戻らなければなりません。その当時の水戸大洗のことを松本清張の「昭和史発掘」では「昭和三年春ごろから、茨城県磯浜町大洗の近くの、通称ドンドン山という低い丘陵に小さな堂を建てて、法華経の題目を唱えている日蓮宗の坊さんがいた。井上日召という名で、すでに四十のなかばを越した年齢だった。加持祈躊などもするので、坊さんは次第にその地方の信用を得ていた。昭和四年三月ごろ、近くの東光台に護国堂というのを土地の水浜電鉄会社が建立した。大洗といえば、磯節で有名な太平洋にむかった名所で、大洗神社もある。電鉄会社では、宣伝と土地発展の手段として新しく右の護国堂を造ったのだが、このとき近所で評判のいい井上日召がそこに迎え入れられたのである。」とあります。冒頭に永井荷風が書いた水戸の者とはこの大洗の護国堂に集まった人たちのことを示しています。
★左上の写真が現在の「護国寺」です。平成元年に井上日召翁の銅像が建てられています(写真右)。写真には写っていませんが昭和維新烈士の墓が左側にあります。護国寺の周りは上記にも書いてある通り、水戸市内から10数キロの距離で海に近い小高い丘陵地帯にあり、右側にはスーパーマーケット、左側には「常陽明治記念館(幕末と明治の博物館)」があります。遊びに行くには丁度良いところかもしれません。
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