●成田山新勝寺
初詣の散歩情報 《真言宗智山派大本山》 《初詣人出トップ2》
成田山に初詣するには東京からはJR成田線、京成電鉄が中心になります、京成成田駅前から成田山門前に至る表参道。赤い欄干の開運橋を渡って表参道に合流します。ここには、創業百年以上という貫禄を見せる老舗も珍しくありません。随所に土蔵造りの漢方薬店、見上げるばかりの三階建木造建築の大型旅館などが見られます。また成田名物のようかん(米屋の栗羊羹です)、鉄砲漬、川魚の佃煮、地酒などの土産ショッピング、そして手焼きせんべいをパリパリやりながら参道を歩いたり、こってりとしたウナギの蒲焼に舌鼓を打つのも門前町ならではの醍醐味です。国際都市成田だけに、外国人観光客が表参道を闊歩する姿が多く見うけられます。また外国エアラインのクルー(乗務員)がグループで利用するため、ほとんど外国人専用食堂と化してしまっているラーメン店や洋食店などが不思議に門前町にとけこんでいます。
表参道の第一信徒会館前から門を入ると成田山境内です。参道の右側に土産物店が軒を並べる広場を堂庭といいます。客殿の光輪閣を左に見て、石段を登ると大提灯が下がる仁王門(重要文化財)をくぐります。さらに石段を登り切ると、左右に翼殿を持つ重層入母屋造り大本堂の雄姿が視界に入ってきます。ここには弘法大師が彫ったという本尊の不動明王がまつられています。その内陣の広いことといったら、畳296枚分もあります。内陣中央に焚かれている護摩の香煙は1日も絶えたことがないといわれています。大本堂右手には三重塔(重要文化財)と一切経堂、鐘楼があります。まず大本堂前の広場左手に釈迦堂(重要文化財)が鎮座しています。釈迦堂は安政5年(1858)に建立された前本堂で、仏教を開いた釈迦如来がまつられています。堂の周囲には「二十四考」の彫刻などが施され、江戸時代末期の特色を示しています。
大本堂左手から順次、大塔への道を巡っていきましょう。石段を上ると正面に光明堂(重要文化財)、左手には額や絵馬が並ぶ額堂(重要文化財)が建っています。入母屋造りの額堂の軒下には、成田山に奉納された額や絵馬が掲げられています。大日如来をまつる光明堂(重要文化財)は、釈迦堂の前の成田山の本堂で元禄14年(1701)に建立された貴重な建物です。毎年5月に光明堂の前で、薪能が催されます。光明堂の右手には清滝権現の社殿が、光明堂裏には奥の院があります。三重塔の右手の一切経堂があります。ほの暗い堂内には、一切経全巻を納めた巨大な一切経蔵(回転台)があります。現在は、文化財保護のため回すことができなくなってしまいましたが、願い事を唱えながら3回まわすと、不思議に願い事がかなうといわれています。
受験生は正月の七草(1月7日)に成田山をおまいりしてください。大本堂で不動明王の印紋(スタンプ)をひたいに、ポンと押してもらえます。これは「七草のご印紋」といって、身体健全、学業成就の功徳があります。
護摩の修行を行った参詣者には、本坊の光輪閣で「坊入り」が供されます。坊入りは、小鉢や皿に盛り付けられた豪華な精進料理。これにお神酒は一本付きますが、不思議なことにご飯は付きません。なぜかというと、ご飯でお腹をいっぱいにしないで、お中食(成田では、お昼をこう呼びます)は参道の食事処で召し上がってくださいという配慮なのだそうです。料理の中でも珍品中の珍品は大浦ゴボウ。輪切りの直径が20cmもあります。一般の料亭や食堂ではけっして食べることができない成田山独自のものです。なお大浦ゴボウは八日市場市大浦地区の10軒の農家でだけ栽培されており、同市の天然記念物に指定されています。
成田屋の屋号を名乗る市川団十郎が、代々、成田山とは深くて強い縁(えにし)で結ばれているのは有名なお話ですね。初代市川団十郎は江戸時代の万治3年(1660)に生まれましたが、その父・堀越重蔵は下総国埴生郡幡谷村(成田市幡谷)出身でした。子宝に恵まれなかった初代団十郎は、一途に成田不動尊を念じたところ子ども(二代目団十郎)が授かりました。その後、初代団十郎は不動尊の霊験をテーマにした歌舞伎を打つようになり、親子で「兵根元曽我(つわものこんげんそが)」を演じたところ、これが大ヒット。二代、三代も不動尊の熱心な信者で、代々不動尊が衆生を利益(りやく)する「利生記(りしょうき)」を演じて、江戸庶民の間に成田不動の話題が沸騰しました。歌舞伎でのPR、また成田山が深川永代寺で不動尊を出開帳をしたことで江戸庶民の成田山への関心は、いやが上にも高まっていきました。いつしか成田山詣でが江戸庶民の憧れになったのです。初めは花柳界や豪商など一部の豊かな層に限られていましたが、江戸から成田までわずか16里、3泊4日の楽しい遊山道中だったこともあって、文化文政期(1804〜1829)から一般庶民の間にも成田山参詣が広がっていきました。(成田市のホームページより)
●成田山新勝寺開山縁起 成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正によって、開山されました。寛朝大僧正は、朱雀天皇より平将門の兵乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を奉持し難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜(現匝嵯郡光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り兵乱平定のため平和祈願の護摩を奉修し成満されました。大任を果たされた大僧正は再びご尊像とともに都へ帰ろうとしましたが不思議にもご尊像は磐石のごとく微動だにしません、やがて「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が響きました。これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立させ「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されました。(成田山新勝寺ホームページより)
●智積院は真言宗智山派の総本山であり、京都市東山七条にあります。 成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、東京都の高幡山金剛寺、栃木県の出流山満願寺、名古屋市の大須観音宝生院を別格本山として全国に三千余りの寺院教会を擁し、総本山智積院は全国約三十万人の檀信徒の信仰のよりどころとして総菩提所、総祈願所と位置付けられています。
〔交通のご案内〕 ◆京成電鉄 京成成田駅下車 徒歩10分(平常時)
京成上野から特急で約65分 スカイライナーで約50分 京浜急行→都営地下鉄→京成電鉄と乗り入れ接続もあります。
(羽田空港より特急・急行の直通運転あり)
◆JR線 成田駅下車 徒歩10分(平常時)
横須賀線・総武線直通の「快速エアポート成田」で東京駅から約70分 上野から我孫子経由で約80分
大晦日には、鉄道の終夜運転が実施されます。
[参拝について]
所在地: 〒286-0023 成田市成田1 番地 電話(0476)22-2111 (代)FAX 0476-24-2210
問い合わせ先:成田山新勝寺ホームページ
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