<「大阪春秋 9号」 昭和51年1月発行>
「大阪春秋
9号」は”特集 大阪昭和50年総覧”とあり、大阪の昭和50年史が中心だったのですが、その中に古賀蔵人氏が書かれた”青年正岡子規と大阪
─ 気ままの六日旅 ─ ”を偶然に見つけました。古賀蔵人氏は子規の研究家としては有名なのだそうですが、私は全く読んだことがありませんでした。明治23年7月の大阪訪問を詳細に書かれていました。今回はこの古賀蔵人氏が書かれた”青年正岡子規と大阪
─ 気ままの六日旅 ─ ”を参考にして歩いてみました。
「 子規が大阪を訪れたのは、はっきりしているだけで、明治二十二年から二十八年までに前後九回、この旅はその二度目である。
登場した在阪の友人太田正窮(柴州)は、後に商業学校教師をやめて日印貿易株式会社の社員となり、また大谷藤治郎(是空)は、中外商業新報の客員記者として活躍した。」
子規が九回も大阪を訪問しているとは驚きました。すべてをフォローするのは無理だとおもいますが、できるだけ忠実に歩いてみます。
★写真は大阪の地域雑誌「大阪春秋」です。歴史も古く、有名な雑誌なのですが、何回も廃刊しそうになっては継続しています。現在は新風書房より季刊で発行されています。ほとんど新風書房の福山社長の趣味で継続しているのではないかとおもっています。古い号は古書として手に入れるのが難しくなっていたのですが、オークションに大量に出品されていましたので、必要な号だけ手に入れることができました。